第3話 私の知らないトキくん


踊り場に着いた時、吾妻くんは繋いでいた手をパッと離した。少し顔が赤い……早歩きで歩いたからかな?


考える私を前に、吾妻くんが「あの」と、ゆっくり話し始めた。



「いきなり…ごめん。あの大橋が変な事いうから、倉掛さんを巻き込んで逃げてしまった……ごめん。あと、それと……どうしても確かめたい事があって」

「確かめたい事……?」


「さっき聞こえて……。受験の日に会った男の子が君の初恋の人……っていうの」

「……え……え!?」



恥ずかしがる私に吾妻くんは、一歩、私に近寄った。今まで逸らしていた瞳も、私に向ける。その顔は、真剣そのもの。そして――



「その男の子が俺って言ったら……どうする?」

「……へ?」



とんでもない発言をした吾妻くん。すると、私の呼吸が、ヒュッと一瞬だけ止まったのが分かった。地味だった初恋の男の子に久しぶりに再会したら、とんでもないイケメンになっていて……私とは、真逆の人になっていた。


地味な私と、地味だった男の子。私とは違う、私とは正反対――女子が放っておかない遠い存在の人。



「(そんな事って、ある……?)」



呆然とする私に、吾妻くんは「俺さ」と話を続けた。



「また……会いたかった。河原で泣く君が、今は笑ってるかなって……考えたりして」

「……」


「今日、会えてよかった。名前は……ごめん。受験票を拾った時に、君の名前が見えたんだ」

「……」


「あの、倉掛さん……?」

「! あ、その……ごめん、ちょっとビックリ、してて……」



吾妻くんは心配そうな目で私を見た。だけど――やめて。今の私を、見ないで。



「(私、最低だ……っ)」




『私と同じ地味な男の子。地味仲間』

『同じ「地味」という事が、私には嬉しい事なんだから』



そんな事を思った自分を叱りたい。あの男の子を、見た目だけで判断してた。私と同じ地味な子だって。仲間だって。恥ずかしい……ただの想いあがりだった。自分と同じカテゴリーに勝手に分類して、そして色眼鏡を使って、勝手に恋に落ちていた。



「(私はひどいくて、ズルい人間だ……っ。穴があったら入りたいほど、自分が恥ずかしい……っ)」



涙が出そうになるのを我慢する。だけど、泣いたら吾妻くんが、あの日のように慰めてくれるに決まっている。だからこそ、絶対に泣かない。



「……っ」

「倉掛さん……あの?」



何も喋らなくなった私を見て、オロオロする吾妻くん。――思えば、あの日に会った男の子も寡黙だった。ボサボサな髪の面影はないけど、少し猫ッ毛な毛先が伸びたら、あんな感じになるのかな?背は……すごく伸びたなぁ。どうやったら、短期間でそんなに伸びるの?



「あのね…………っ。ううん、何でもない」

「倉掛さん?」



聞きたいことはたくさんあるのに、何一つとして言葉にならなかった。質問も、あの日の思い出も……何もかも全て、私の胸の奥にしまい込んでしまう。



「(高校でも、ダメな私だなぁ……)」



ここで逃げるのは、やっぱり私が臆病者だからだ。キラキラしたしずかちゃんが隣にいるのに、いつもそっちへ一歩踏み出せないのは……いつまでも地味のままでいるのは……きっと私が臆病者だからだ。弱気――その根っこが、私の体中に絡みついているみたい。


私は唇を一回キツく噛み締めて、吾妻くんに向き直った。



「初恋の人だなんて、変な事を言って……困らせてごめんね」

「変な事なんて……それに、困ってもないよ……。むしろ、俺の方こそ……」

「(あ、もしかして気を遣わせてるかな……っ?)」



寒い河原で見ず知らずの私に寄り添ってくれた、優しい吾妻くんのことだ。きっと、今だって私のことを考えているに違いない。初恋の人って思ってくれてたのに、それを無下にするのも悪いなぁ……とか。そういう優しい事を思っていそう。でも、私のせいで吾妻くんが自由に恋を出来ないのは、絶対に嫌だ……!私のことは放っておいていいからね、吾妻くん……っ。


吾妻くんの話を遮って「あのね」と話す。



「私の告白は、気にしないでいいからね。だから、吾妻くんは好きに恋愛してね。私は何にも思わないから大丈夫!」

「え……」


「本当、すっかり変わってたから、一瞬誰だか分からなかったよ~っ。前も良かったけど、今の吾妻くんも素敵だね!」

「……っ」



鳩が豆鉄砲を食らったような顔――というのは、イケメンがしたら、そんなに変な顔にならない。頭の中がいやに冷静になった私は、そんな事を考えていた。その後のことは、ぼんやりとしか記憶にない。


「じゃあ戻ろうか」と言った私の後ろを、大人しくついてきてくれた吾妻くん。そして教室に入る、その前に――私は吾妻くんに振り返って、お礼を言った。



「受験の日は本当にありがとう。みっともない姿ばかり見せちゃってごめん。吾妻くんがいなかったら、今の私はなかったと思う。支えてくれて、嬉しかった」



一気に喋ると、吾妻くんは少しだけ苦い顔をした。教室に入ろうとする私の手を取って、振り向かせる。私の瞳に写ったのは、吾妻くんの切ない顔――



「受験の日は、今度いつ会えるか分からないのに……先のことが楽しみで仕方なかった。なのに今日は……これから毎日会えるのに……変だ。倉掛さんが言う言葉が、まるで別れの挨拶みたいに聞こえる」

「!」



吾妻くんは、あの時も察するのが上手だった。もしかしたら、私の「図星だ」という顔に、気づいたのかもしれない。


私は今、確かに初恋のあなたにお別れをしようとしているんだもの――


吾妻くんは、私を握る手に力を込めた。そして――



「俺はあの日で止まるつもりないから……。倉掛さんと、もっと仲良くなりたい。だから――俺の事はトキって呼んで」

「と、トキくん……?」


「そう。少しずつでいい。離れるんじゃなくて……近づきたい。じゃないと俺は、何のために今日まで――」

「?」



私と目が合って、ハッとなるトキくん。握っていた手をすぐに離して「ごめん」とだけ言い、先に教室に入る。



『じゃないと俺は、何のために今日まで――』



あの言葉が、気になる。


どういう意味?

どういう事?


それを知るには、もっとトキくんと仲良くならないといけないって事だよね?仲良く、なれるかな?


そう前を向きかけた時――



「「「キャー!!」」」



トキくんが教室に戻ると、女子達の歓声がすぐに湧く。その声が、私の戦意を簡単に削いだ。



「(あの声に、私みたいな地味子が勝てるはずがないよね……)」



ため息を一つ漏らす。

今日は入学式。


そして、私の初恋が、静かに幕を閉じた日――


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