まだ見ぬ恋の待ち合わせ

またり鈴春

まだ見ぬ恋の待ち合わせ

入学式が終わり、三週間が経った。

新入生の私は、パリッとした制服に身を包み……



「はぁ~」



学校からの帰り道、どんよりとしたため息をついていた。



「あっちこっちでカップルが誕生している……」



つい三週間前は「友達できるかな?」っていう共通の悩みを持っていた同級生も、今日までの期間に「フレンド募集」は終了したらしい。



じゃあ次――と言わんばかりに、今度は恋へと目を向けていた。



「穂波ちゃんも、好きな人が出来たって言ってたしなぁ」



つい最近、友達になった穂波ちゃん。サッパリとした性格に安心していたら、今日「好きな人できちゃった」と言われた。



あぁ、そんな……。穂波ちゃんは私と同士だと思ったのに……っ。



「って、穂波ちゃんに失礼だよね。初恋も〝まだ〟な私と一緒にされちゃあさぁ」



そう――私は、恋をしたことがない。恋の始まりが分からないまま、この十五年間を生きてきた。



「好きな人っていっても、家で待ってくれてるカノン以上に好きな子はいないし」



カノン――とは我が家で飼っている愛犬のこと。チワワ特有の大きな瞳で見つめられたら……もう骨抜きになるくらい愛しいの。



「ワンちゃんなら、いくらでも好きになれるのになぁ……」



どうして対(たい)人間となると、こうも上手くいかないんだろう、なんて。自分のふがいなさに、再びため息をついた時だった。



ポツ、ポツ――



「わ、え、なんで⁉ 今日は晴れの予報じゃなかったのー⁉」



空を見ると、日が照って明るいのに雨が降っている。


えぇ、通り雨?

傘なんて持ってきてないよー!



「うわ、最悪!」

「どっかお店に入ろう!」



帰り道には、既に誕生していたカップルが私の前を歩いていた。その二人は、互いの手を取ってこじゃれたカフェへと入っていく。


あぁ、いいなぁ……。私も学校帰りに、あんなお店に寄ってみたい……。



「って一人じゃ無理だけどさぁ」



はぁ――と。今日何度目かになるか分からないため息をついた、


その時だった。


ププッ


高いクラクション音が聞こえたと思ったら「君」と。落ち着いた優しい声が、後ろから聞こえた。



「君だよ。カバンに白いスカーフを巻いてる、茶色い髪の君」

「わ、私……?」



学校を出た直後から、胸の前の白リボンがやたら窮屈に思えて、カバンにくくっていた。周りを見ると、そんな事をしている人は一人もいない。


ということは、やっぱり私なのね……?

誰が私を呼んでるんだろう、と。

意を決して振り向くと――



「濡れてるよ。その真新しい制服を見るに、君、一年生でしょ?」

「そ、う……ですが……」



大きな黒い車に乗り、窓ガラスを降ろして私を見る、その人は――本来なら助手席だろう場所に座って、ハンドルを握っていた。つまり、左ハンドル。高級車!



「わ、わわわ! 私、何かしてしまったでしょうか⁉」

「え?」



高級車、こわ!それを普通に乗りこなしてる人も、こわ!見た目は大学生くらい若く見えるけど……左ハンドルだよ? 高級車だよ?そんなに高い車を買える人が、若いわけがない! きっと怖い大人の人なんだ!



「もし何かしてしまったなら、すみませんっ!」

「あ、ごめん。驚かせちゃったね」



はは、と笑った男の人は――私と似た茶色の髪に、いかにも高級そうなネクタイをつけ、いかにも高級そうな生地のスーツを着ていた。そして慣れた手つきでスーツの胸ポケットからケースを取り出し、一枚のカードを私に見せる。



「怪しい者じゃなくて、俺はこういう者です」



それは「ただのカード」じゃなくて――名刺。

その名刺には、



聖山ホールディングス

代表取締役

CEO

聖山 蓮心

Hasumi Hijiriyama



と書かれていた。



「しーいーおー?」



って、なんだっけ?

ドラマとかでよく聞くけど……なんの職業?



「? おーい」

「あ、すみません。それで、えっと」



なぜ私は高級車に乗っている「しーいーおー」に呼び止められているのか――という顔をすると、男の人はフッと笑った。



「入学直後に風邪を引くと災難でしょ? だから、コレを使って」

「傘?」

「ちょっと渋いし、重いかもしれないけど」



そう言って、窓から出されたのは――これまた高級そうな傘。「はい」と軽く渡された割には、私の両手にズッスリと重みが加わる。う……、すごい重量感。



「こんな重……じゃなくて。こんな良い傘……むりです、使えません!」

「あ、重かった? 実は腕を鍛えたくてね。ちょっと重めにしてもらってるんだ。俺専用にね」

「〝俺専用〟!?」



たかだか傘を、オーダーメイド!?



「なおさら使えません!」

「そんなこと言わずにさしてよ。君が濡れる方が嫌だし」

「ッ!」



やっぱり、見た目よりも大人なんだと思う。こんな歯の浮いたセリフを、すんなり言えるなんて……。聞いてるこっちが恥ずかしいです!



「あ、開け方わかる? ここにホックがあるからね、これを――」

「~っ」



ドキッ


窓から男の人の手が伸びてきて、ゴツゴツした二の腕が私の目の前を横切った。それだけのことで。クラスの男子からは得られない、特別な胸の高鳴りを覚える。



「こうすればOkだから、って聞いてる?」

「えと、はい……あの、…………はい」



目の前の光景が、なんだかわけわからなくなって。自分が何を喋っているか、何を考えているかさえ分からないくらいパニックになってしまう。


絶対にヤバい女子高生だと思われてるよ……。私だって、今の自分をヤバい奴だって思うもん!


自分に自分にドン引き!って思ってるのに。男の人――聖山さんは「はは」と笑った。



「やっぱ若いっていいね、元気でよろしい」

「こ、子供扱い、してますか……っ?」


「他意はないよ、素直な気持ち。そうだ、君。名前は?」

「え、……」



いくら名刺を見せられたからと言って。いくら無害そうな大人の男性だからと言って。この時代、知らない人にホイホイと名前を教えていいものか――なんて。


そんな「信用できないオーラ」が私から溢れていたのか、聖山さんは「おっと」と伸ばした腕を、車内に戻した。



「そうだ。これから君、どっち方面に行くの?」

「駅です。電車通学なので」


「ちょうど良かった。なら、その傘――駅のどこかに立てかけといてよ。後で取りに行くからさ」

「え、でも……」



オーダーメイドするくらい大事にしてる傘なら……そんな雑な扱い、しちゃダメだよね?



「お届けします、お礼もしたいので」

「ううん、そういうつもりで渡したわけじゃないから」



ニコッと笑った男の人は、カチカチうなるハザードランプを消し、ウィンカーを出した。そして、最後に私を見て――



「風邪ひかないうちにさすんだよ」



その言葉だけを残し、颯爽と去って行った。もちろん。残された私は、


ドッ



「な、に……今の……」



混乱の極地にいて。さっきまでの事が本当に現実だったのかな?って、何度も自分に問いかけていた。でも両手に持つ傘を見たら、さっきのが夢か現実かなんて一目瞭然で……。



――君が濡れる方が嫌だし

――風邪ひかないうちにさすんだよ



「――〜っ!」



私は人生で初めて、男の人にドキドキした。



「あ、あれが大人の余裕ってやつなのかな? す、すごかったなぁ~!」



人生で初めてのドキドキを覚え、テンションが上がってしまう。変に大きな声で独り言を呟きながら、駅へと向かった。



「本当は、徒歩通学なんだけどな」



見ず知らずの怪しい人に、自分の情報を一つだって教えたくないと思って、嘘をついた。



――駅です。電車通学なので



だけど、男の人の言葉を聞いて……肩の力が抜けた。「そこに傘を置いといて」なんて。一人で身構えた自分がバカみたいだ。



「でも置いておくなんて……出来ないよ」



なんたってオーダーメイドの傘だもん。

それに――



「このドキドキの正体を知りたいな」



この傘と一緒にいたら、ドキドキの答えを知れる気がして。私の中で止まっていたモノが動きだす気がして。



「何かが……始まる気がする」



ギュッ


傘の柄を、強く握り締める。一度でも雨に濡れた体は冷えて行っているのに、傘を持っている手だけはほかほかと温かい。



「あ、お礼にコーヒーとか……や、やりすぎかな?」



そういうつもりで傘を渡したわけじゃないって言ってたし……。でも、何もしないっていうのもいたたまれない。



「あ~、もう。どうすればいいのー!」



ソワソワ、そしてワクワクする気持ち。これが恋の始まりなんだって、


キキッ



「あれ? わざわざ待ってくれてたの?」

「え、あ……ッ」




その答えを知るまで、あと5分――




𝕖𝕟𝕕 𓂃 𓈒𓏸

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