第52話 図書棟へ
「よ、ようこそいらっしゃいました! 皇女殿下!」
アンジェラが騎士たちを伴って図書棟を訪れると、勤務していた司書たちはガチガチに緊張しながら、腰を直角に曲げて礼を取った。
「ほ、本当にお越しになるとは思いませんでした……!」
先ぶれは出していたはずなのだが、本当に皇女が訪問するとは思っていなかったらしい。
(ナタン様やオルタンス様はここに来ないのかしら?)
司書たちのあわてぶりを見る限り、コライユ王国の王族たちはめったに図書棟に顔を出さないようだ。
久しぶりに貴人に拝謁したらしい司書たちは、恐縮しきってぺこぺこと頭を下げている。
(ここは昔と変わっていな……いえ、昔よりも
内部を案内されながら、アンジェラは密かに眉をひそめた。
ここには前世から何度も訪れていたが、当時から蔵書が増えた様子はない。
むしろ以前よりも空気が
(こんな王宮の奥までも……
上手く言葉にできないが、今のこの国には大事な"
決して代替の利かない大事なパーツが失われたまま、その欠落を埋めることができずに、腐敗と崩壊がじわじわと広がっている──そんな気がしてならなかった。
(……)
不穏な気配に心を痛めながらも、アンジェラは司書たちの話ににこやかにうなずく。
しかし一番奥の書架まで進んだところで、アンジェラははっと
「ここは……?」
一見して行き止まりのように見えたが、本棚と本棚の間には、ちょうど人が一人通れるほどのわずかな空間があった。
空間を塞いでいるのは古びた扉。まるで墨を流したように黒々とした一枚板に、アンジェラは見覚えがあった。
「まさか……」
「あっ! そこは!」
司書があわてた声を出した。素早くアンジェラと扉との間に立ちふさがり、両手を広げて行く手を阻む。
「申し訳ございません。こちらは禁室です。皇族のお方であっても立ち入ることはできません。どうかご容赦ください」
「禁室……」
サフィール帝国の図書棟にも封印された禁室があった。アンジェラは五歳の時、女教師から近づいてはならないと厳しく咎められたのだ。
どこの国の王宮にもそういった禁忌の間が存在するものなのだろうか?
国は違えど、扉の重々しい黒色も、歪んだ蝶つがいの形も、瓜二つと言っていいほどそっくりだ。
(この部屋の中に……いったい何があるの……?)
心は惹かれるものの、無理を通すことはできない。
アンジェラは後ろ髪を引かれながらも、おとなしく司書に従ったのだった。
◇◇◇
司書の案内と説明を一通り受けた後は、自由に書籍の閲覧が許された。
アンジェラは気になる本を取ってもらい、書見台に広げて読んだ。
王国と帝国では使われている文字が異なるが、前世の記憶があるので問題ない。
司書たちからは「皇女殿下はコライユ王国の文字も習得されておられるのですか!」と驚かれ、「なんと聡明な勉強家でいらっしゃるのでしょう!」と絶賛されたが、努力の成果ではないので
なので「いいえ、たいしたことはありませんわ」と謙遜したら、今度は「謙虚で素晴らしい……」と感じ入られてしまった。なおさら面映ゆい。
無心で本を読みふけって、しばらく経った頃。
「……?」
ふと顔を上げたアンジェラは、奇妙な違和感を覚えた。
周囲が異様に静かなのだ。
もちろんここは図書棟なのだから、静粛にするのがマナーである。司書たちも音を立てないよう注意して働いているし、皇女付きの護衛たちはいつも以上に気配を殺していた。
しかし護衛たちは常に一瞬たりとも気を抜かずにアンジェラを守っている。その彼らの息づかいや
「えっ!?」
席を立ち、あたりを見回して、アンジェラは愕然とした。
「ど、どうしたの?!」
護衛騎士たちがそろって、折り重なるように床に倒れていたのだ。
外傷はない。脈も心臓の鼓動も感じられる。ただ深く眠り込んでいるだけのようで、すやすやと寝息を立てているのが聞き取れた。
「みんな! 大丈夫?!」
アンジェラの護衛たちは全員、三人の兄が妹のために選りすぐった優秀なエリート騎士ばかりだ。任務の最中に居眠りなど考えられない。
「いったい何があったの?」
護衛たちだけではない。司書たちも一人残らず気を失っていた。
この場で意識を保っているのは、アンジェラただ一人。
「……!」
アンジェラが思わず息を飲んだのは、塔の一番奥から淡い光が洩れてきたからだ。
「禁室が……
なぜそう思ったのかはわからない。
だがアンジェラは禁室に──正確には禁室に収められた「何か」に
「何が起こっているの……?」
目の前には今、まるで魔法にかけられたような不思議な光景が広がっている。
(魔法なんて……この世にないはずなのに……)
この世界には魔法が日常に根付いているわけではない。
魔術師と呼ばれる人間がいるわけではなく、便利な魔道具が流通しているわけでもない。超能力者も存在しなければ超常現象もありえない……はずだ……。
では、聖女は?
治癒の力を持つ聖女がいるのに他に人智を超えた力は存在しないとどうして言えるのだ?
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