第50話 却下

 昼食会とお茶会とを終えた翌日。


 自由な時間のできたアンジェラは、使用人を通じて希望を伝えた。


「コライユ王国には女神を奉じる神殿があると聞きます。ぜひ訪問してみたいのですが」


 ずっと気にかかっていたのだ。前世で生涯の大半を過ごした神殿のことが。


 もちろん自分が先代の聖女だったなどと名乗るつもりはない。だが現在のコライユ王国が急速に衰退しているのを見れば、神殿の現状も心配になる。


 現在の神殿にはアンジェラと同じ日に生まれた聖女がいるはずだ。何かできることがあるのなら、現聖女の力になりたかった。


 しかし神殿側が遣わしてきた神官は、アンジェラの要望をにべもなく却下した。


「申し訳ございません、皇女殿下」


 その神官には見覚えがあった。よくジュリエットを高圧的に怒鳴っていた男だ。


 当時は肥え太っていたが、今はすっかり痩せこけて、男は別人のように老けていた。


「神殿にはお入りいただけません。聖女はこの国の秘蹟ひせき。神聖なる神殿から出てはならないと決まっているし、世俗の人間が神殿に立ち入ることも禁じられているのです」


(何それ……?) 


 アンジェラはあ然とした。そんな規則は聞いたことがない。


 ジュリエットはよく外に出て野草やベリーを摘んでいたし、神官以外の人間たちも毎日のようにずかずかと神殿に出入りしていた。


「帝国のお方はご存知なくて当然ですが、我が国の聖女には古来からそうしたしきたりがあるのですよ」


(何を言っているの、この人?)


 謎の「しきたり」を堂々と言い放つ神官に、アンジェラはあきれるしかなかった。


 出国前から何度も「神殿を訪問したいからスケジュールに入れてほしい」と打診してきたのに、煮え切らない返事ばかりだと思ったら、ついに面と向かって断られてしまった。


(私が死んだ後、神殿のルールが変更になったのかしら?)


 それでもたった十五年程度で「古来から」などと言うのは大げさすぎる。


 そもそも聖女は人を癒す奇跡の力を持つ存在だ。それなのに他者と会うことを禁じるなんておかしい。ジュリエットは力を使った反動にどんなに苦しんでいても、早く次の患者を癒せと罵られたのに。


(まさか……神殿の内部を見せられない理由があるの?)


 皇女が表敬訪問するとなればこの上ない誉れのはず。実際、前世で帝国の使者が視察に来た時は、神殿側は大喜びで受け入れていた。


 それなのに、この不自然さは何なのか。


 まるで神殿側が何かを隠蔽いんぺいしているかのようで、アンジェラは表情を曇らせた。




◇◇◇




「……神官はかたくなですね。力及ばず、申し訳ありません」


 がっかりしているアンジェラに、リオネルが真摯しんしに詫びた。


「いいえ。リオネル様が謝ることではありませんわ」


 聖女を擁する神殿は不可侵の権威を誇っている。いくら王弟でも簡単には手出しできないだろう。


「他にお望みはありませんか? 私に叶えられることがあれば……」


「ええと……」


 リオネルの優しい声に、心のもやもやがほぐされていくような心地がする。アンジェラは指を顎に当てて考えた。


「では、王宮の図書棟を見学させていただけないでしょうか?」


 宮殿の離れには外殻塔があり、内部はまるまる一棟、貴重な蔵書を納めた書庫になっている。


 前世ではジュリエットもよく訪れていたし、現世でもアンジェラは皇宮の図書棟に入り浸っているので、本に囲まれていると落ち着くのだ。


「わかりました。ご案内します」


 リオネルがうなずき、二人で連れ立って廊下に出た時だった。


「アンジェラ皇女殿下! こちらにおいででしたか!」


 うきうきとスキップしながら、ナタンが廊下を渡ってきた。


 昨日とは違うジュストコールはこれまた派手なデザインで、ナタンが羽織るとまるでオスの孔雀が羽を広げているかのようだ。


「……国王陛下」


「ご機嫌麗しゅう! 皇女殿下!」


 孔雀……もといナタンはひらひらと鮮やかな裾をそよがせて、決めのポーズらしい所作を取った。


「私と観劇に行きませんか? 王都でもっとも評判のいい舞台を貸し切りにしました。女性に大人気だという演目でして、皇女殿下もきっとお気に召すはずです!」


「いいえ、結構です」


「では舟遊びはいかがでしょう? 雲一つない爽やかな快晴ですし、湖に舟を浮かべればきっと楽し……」


「結構です」


 前世で殺されたナタンとは、デート以前に同じ空気を吸いたくない。


 そもそも観劇だの舟遊びだのと浮かれずに、救民のための政策に時間とお金を使ってほしい。


「な……なぜ……!?」


 すげなく拒絶されて、ナタンはわなわなと戦慄した。


 ナタンは王太子として育ち、現在は国王だ。女に不自由したことなどないし、ナタンが誘えばどんな女もなびいた。社交界の華と持てはやされていたオルタンスもだ。


 それなのにアンジェラは取り付く島もなく冷淡で、まるで仇を見るような冷たい目をしている。


(こ……この皇女はなぜ私をこんな目で見るのだ!?)


 まさか自分が前世の彼女を死罪にしたせいだとは夢にも思わず、ナタンは狼狽ろうばいした。


(ナタン様はもう三十代よね? どうしてこんなに軽薄なのかしら……)


 ナタンのことは前世でも浅はかだと思っていたが、今でも薄っぺらく感じてしまう。リオネルが清冽だから余計にそう思うのだろうか。


「リオネル! 貴様!」


 ナタンは行き場のない怒りをリオネルに向けた。


「おまえは皇女殿下より十も年上のくせに! 年端もいかない乙女と婚約など恥を知れ! この変態が!」


(それを言うなら、ナタン様は十七も年上じゃ……?)


 なぜ自分の年齢は棚にあげるのだろう。


 アンジェラはそっとため息をついた。

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