第49話 王妃のお茶会②

 オルタンスはもう一度くすっと笑い、「お可哀想な皇女殿下」とくりかえした。

 

「ご兄妹でお一人だけ非嫡出子として生まれたなんて、どんなにか孤独で心細い思いをされてきたことでしょう。わたくしの前では我慢などなさらないで。皇女殿下の苦しみはお察しいたしますわ」


 "非嫡出子"というショッキングな話題に、優しさをまぶしたような甘いささやき。


 オルタンスの蠱惑こわく的な唇から紡がれる言葉は、あたかも飴と鞭でアンジェラに揺さぶりをかけ、巧みに篭絡ろうらくしようという思惑が透けて見えた。


 アンジェラはまもなく十五歳。多感で敏感な年齢だ。


 この年頃の少女なら誰にでも悩みや鬱屈のひとつやふたつあるものだ。たとえアンジェラがジョゼフィーヌと実の母娘でも、ささいな衝突や行き違いくらいは生じただろう。


 それが血のつながらない親子となれば、苦悩は嫌でも大きくなる。


 どんなに恵まれた境遇でも、人もうらやむ高貴な身分でも、若くて未熟な子供はどこかに不満を見つけ、自ら大げさに膨らませて「なんて可哀相な私……」と悲劇のヒロインに浸ってしまう生き物なのだ。


 そこに出生の秘密という繊細な話題を指摘され、「あなたの苦しみはお察しします」と欲しい言葉をささやかれたら、心をつかまれてしまっても不思議ではない。


「継母が継娘をよく思うはずがない」と焚き付けられれば、そうかもしれないと疑心暗鬼になったかもしれない。──乳幼児期の記憶がなければ。


 疑心を吹き込んでくる相手を「この人だけは私をわかってくれる」と信じ、傾倒し、心酔してしまったかもしれない。──本当に十代半ばの思春期であれば。


(私……前世と合わせると三十歳くらいなのよね)


 あいにくアンジェラの中身はとっくに成人していて、思春期なんてもう過ぎている。


 アンジェラが本物の十代の少女なら、自分の出自の真実だけで頭がいっぱいになって、他人のことまで考えられなかったかもしれない。


 けれど実際は見た目の倍ほど生きているおかげで、よくわかるのだ。ジョゼフィーヌの器の大きさが。


 夫に浮気されながらもアンナを責めなかった母の度量が。侍女の子を我が子として受け入れてくれた優しさが。注いでくれた愛情が本物であることが。


 自身の苦悩などというちっぽけなものよりも、はるかにはっきりと感じられるのだ。


「さぞお辛かったでしょう。もう耐えなくていいのですよ。これからはわたくしを頼っ──」


 言いかけたオルタンスの前で、アンジェラは音を立てずにカップをソーサーに置いた。


「本当に美味しいお茶でしたわ。王妃様のお心遣いに感謝いたします」


 アンジェラは背後に控えている侍女に向かってにこやかに笑んだ。王宮の侍女ではない。帝国から一緒についてきた皇女専属の侍女だ。


「私からもお礼がしたいわ。お返しにお茶を淹れてさしあげて。私の一番お気に入りのカップでお願いね」


「かしこまりました。皇女殿下」


 侍女は丁重にお辞儀をして下がると、しばらくして銀の盆にティーセットを乗せて戻ってきた。


「どうぞ、王妃様のお気に召せば幸いですわ」


「まぁ、なんていい香り──」


 オルタンスは茶から薫る芳香に、うっとりと目を細めた。


 しかしティーカップを手に取った瞬間、艶然とした顔は急速に凍りつく。


「え……!?」


 カップの側面には皇后ジョゼフィーヌの肖像画が描かれていた。ソーサーには皇室の紋章と皇后のイニシャルが印字されている。


 先日アンジェラが街に出た時に見つけた、皇帝一家のグッズの一つだ。


 あの時はやぐらの炎を見て倒れてしまったが、どうしても母のグッズが欲しくて、後日使用人に頼んで買い求めてきてもらったのだ。


「皇女殿下……こ、これは……?」


「素敵でしょう? 先ほども申し上げたように、私の一番のお気に入りなのです!」


 アンジェラは無邪気な笑顔を振りまいた。


「お父様やお兄様たちの商品もあったのですけれど、お母様のものだけ欲しいとお願いしました。あ、これは旅行用に持ってきたもので、皇宮には保存用と観賞用もあります」


「は……!?」


 オルタンスは絶句した。


 困惑に満ちた顔には、皇帝や皇子たちのグッズには目もくれず皇后のグッズだけを……? それも何セットも……? 外国訪問にまで持参する……? という疑問符が忙しく交差している。


 アンジェラは可憐な頬をむくれさせて、自身のカップを手に取った。もちろん同一商品だ。


「でも私、少し不満なのです。よく描けてはいますけれど、本当のお母様はもっとずっと優雅でお美しいのですもの。やはり絵で本物の気品を表現するのは難しいのね……」


 残念そうに嘆くアンジェラに、嘘や媚びは感じられない。


 どこからどう見ても"本物ガチ"勢である。


「お母様は私がこの世で最も敬愛する方なのです。それで……先ほどのお話は……何だったかしら?」


「い! いいえ! 何でもありません!」


 アンジェラの思わぬ皇后愛に圧倒されたオルタンスは、虎の尾を踏んでしまったと気付いたような焦った顔で、あたふたと発言の火消しを急いだのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る