第48話 王妃のお茶会

 昼食会は終わったものの、まだ日は高い。


 アンジェラが用意された部屋に戻って休んでいると、王妃付きだという侍女が訪ねてきた。


「ぜひ皇女殿下をお茶にお招きしたいとのことです」


「王妃様が?」


 前世のジュリエットの記憶では、オルタンスはテュレンヌ侯爵令嬢だった頃のイメージが強い。


 オルタンス・ド・テュレンヌといえば社交界の華と呼ばれた令嬢だった。聖女のジュリエットとは住む世界が違うからほとんど関わりはなかったけれど、王太子だったナタンとの噂は耳にしたことがある。


 ナタンとの間に子はいないが、宰相を務める父テュレンヌ公爵の後ろ盾もあり、オルタンスは王妃として絶大な権力を誇っているはずだ。


(昼食会ではご機嫌ななめに見えたけれど……本当は私と仲良くしたいと思っておられるのかしら?)


 アンジェラがリオネルに嫁げば、オルタンスとは義理の姉妹になる。だから今のうちから親交を深めようということなのか。


(リルとの婚約は解消するのだけれど……お誘いを無碍むげにしてはいけないわよね)


 オルタンスと義姉妹になることはないのだが、せっかくの好意を断っては悪い。


 アンジェラは侍女たちを伴い、王妃の待つ応接間を訪れた。


(王妃様は昼食会ではただ緊張していらしただけで、本音は私と親しくし──)


「まぁ、皇女殿下! いらしてくださって嬉しいわ!」


(あ、嫌われてる)

 

 部屋に一歩入った瞬間、アンジェラは察した。


 オルタンスの表情はにこやかなものの、目は少しも笑っていない。


 丹念に巻かれたオルタンスの髪はまるで生きた蛇のようにうねり、アンジェラへの敵意や対抗心といった負の感情がふつふつと沸き立っているのが感じ取れた。


(こ、こわい!)


 前世のジュリエットは聖女、現世のアンジェラは皇女だ。どちらも同じ立場の女性が存在しない立場であるため、これまで誰かに張り合われた経験がなかった。


 あからさまにライバル心を剥き出しにしてくる相手に免疫がないせいで、アンジェラはまるで蛇に睨まれた蛙のようにびくびくと委縮してしまう。


「まぁ……本当にお若くて可愛らしいお方ですこと……」


 オルタンスはアンジェラの白粉おしろいを使わなくても透き通るような白皙はくせきの肌や、紅を引かなくても薔薇色をしたピチピチの頬を憎たらしそうに睨めつけた。


「王室御用達の特別な茶葉をご用意しましたの。皇女殿下にも味わっていただきたいわ」


「あ、ありがとうございます……」


 オルタンスが目で合図すると、メイドが琥珀色の茶を運んできた。


 苺のコンフィチュール、銀白をあしらったムース、クリームを添えたタルト。宝石のようなセイボリーがきらめきながら、茶と一緒に並べられる。


 その間にもオルタンスからの視線がひしひしと突き刺さって、アンジェラは居心地悪そうに身を縮めた。


(コライユ王国の女性として最高の地位にある方だもの。私を目ざわりに思うわよね……)


 オルタンスからすれば、アンジェラが夫のナタンに降嫁すれば自身は王妃の座を追われてしまう。


 王弟リオネルに嫁ぐと言っているので最悪の事態は回避できたものの、皇女が王弟妃になったなら王妃よりも格上として扱われることは充分にありえる。


 いずれにせよアンジェラはオルタンスの地位を脅かす不届き者なのだ。


 オルタンスの憎しみのこもったまなざしには「婚約を辞退しろ」とはっきりと書いてある。


(言われなくても解消するけれど……今それを告げるわけにはいかないわ)


 リオネルの幸せを願って婚約は解消するつもりだが、まだ時期尚早だ。


 アンジェラが口をつぐんでいると、オルタンスは含みのある物言いでささやいた。


「会ったばかりの男とすぐ婚約されるなんて、皇女殿下は皇室を出たいご事情がおありなのですね」


「え……?」


「きっとお国では肩身が狭くていらっしゃるのね。お可哀相に。のですもの。人知れず悩まれていたのではなくて?」


 アンジェラの顔から血の気が引いた。


 オルタンスはアンジェラが皇后ジョセフィーヌの実子でないと知っている。


 アンジェラ自身すら知ったばかりなのによく把握しているものだが、父のテュレンヌ公爵の諜報力なのだろうか。


「お気の毒に。継母とは継娘に厳しく当たるものですもの。皇女殿下もさぞつらい思いをされてきたのでしょうね。手頃な男をつかまえて、早く帝国を離れたいと切望されるほどに」


 アンジェラが出会ってまもないリオネルと早々に婚約を決めたのは不仲の継母から逃れるため。オルタンスはそう解釈しているらしい。


「いいえ、お母様は私につらく当たったことなどありません」


かばわなくてよろしいのよ。ここには皇后の目も届きませんもの。正直におっしゃっても誰も咎めませんわ」


 オルタンスの言葉は一見、義姉として義妹をいたわっているようにも聞こえるが、内実はアンジェラが自分よりも「下」である弱みをにぎった優越感に満ちていた。


(私の出自は、私の弱みなんかじゃないわ)


 実母のアンナは命をかけてアンジェラを産んでくれた。


 皇后ジョゼフィーヌはアンジェラを大事に育ててくれた。


 恥じることなど何もない。二人の母のおかげでアンジェラはここにいる。


(私を牽制けんせいするのはかまわないけれど……お母様を悪く言われたくない!)


 大好きな母が継娘を虐げた悪辣な皇后だと噂されることは看過できない。


 アンジェラは毅然と姿勢を正した。

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