第47話 昼食会

 王宮の大広間で、アンジェラを歓迎するための昼食会が開かれた。


 豪奢な漆喰しっくい細工に彩られたホールの、吹き抜けになった高い天井に、管弦楽団の演奏が反響する。


 装花も絢爛だった。普通は食事を邪魔しない優しい香りの花を飾るものだが、相当気合が入っているらしく、匂いの強い大輪の花もふんだんに盛られている。


 むせかえるような芳香に軽く咳払いしながら、アンジェラは肩をすくめた。


(こんな贅沢をしている場合じゃないはずなのに……)


 歓待されている身でこんなことを思うのは失礼かもしれないが、どうしてもモヤモヤする。アンジェラをもてなすよりも貧民の救済に費用を使ってほしいと願ってしまう。


「いやぁ、アンジェラ皇女殿下は実にお美しい! 素晴らしいひとときをご一緒できて光栄の至りです──」


 ナタンはぺらぺらと自慢話と自己アピールを披露してくるが、残念ながらアンジェラの耳は右から左に流してしまい、内容は入ってこない。


 ナタンの横に座った王妃オルタンスは、浮かれる夫とは対照的にツンとしていた。隙なく装った横顔は美しいが、あからさまに機嫌が悪そうで近寄りがたい。


 食前酒アペリティフから始まるフルコースは趣向を凝らしていて豪華だが、上機嫌にはしゃぐナタンと不機嫌を撒き散らすオルタンス夫妻がそばにいては、ろくに味がしなかった。


(ロシェルのお城で出してもらった馬鈴薯のお料理の方がよほど美味しかったわ……)


 息が詰まるが、皇女らしくテーブルマナーは完璧にしようと気を付ける。


「それにしても、愚弟がこれほど大胆不敵な身の程知らずとは思いませんでした」


 ナタンはワイングラスのステムを高く掲げて息を吐いた。すでに相当の酒量を摂取しているようで、顔は赤らみ、目はとろんとしている。


「己の立場もわきまえず、恐れ多くも帝国の皇女殿下に言い寄ろうとは……殿下のお近くには礼節を知らぬ人間などいないでしょうから、さぞ驚かれたのではありませんか? リオネルの分別のない厚かましい行動が、逆に新鮮に映ったのかもしれませんな」


 リオネルが恥も外聞もなくアンジェラに言い寄り、箱入り皇女のアンジェラはころっと騙されてしまった──そう言いたいらしい。


「強引に言い寄るような倫理観のない男に、皇女殿下はこれまで出会ったことがなかったのでしょう。ですが図々しさと情熱を勘違いしてはいけませんよ。あなたにふさわしいのは私のような地位と権力のある男──」


「違います」


 アンジェラはナタンの言葉を遮って、首を振った。


「リオネル様は私に言い寄っていません。私がリオネル様に惹かれたのです」


「なっ……!」


 酔いの回っていたナタンの顔が、一瞬にして青ざめた。


「婚約を言い出したのも私からです。私がリオネル様に嫁ぎますと申し上げたのです」


 本当の話だ。この婚約はアンジェラの方から提案した。……期間限定の契約関係とは言えないけれど。


 会話を聞いていた王国の侍従たちは、ざわざわと驚きに揺れた。


「まさか皇女殿下の方から婚約を望まれていたとは……!」


「可憐なお方なのに、意外と積極的でいらっしゃるのだな……!」


「それほど王弟殿下に心を奪われたのか。運命の出会いということか……?」


 王家に仕える臣下としては、やはり皇女が降嫁するのであれば王弟妃ではなく王妃になってほしいと思っていた。


 現王妃オルタンスとの離婚は悶着を産むだろうが、それでも帝国の皇女が王妃になれば王室の人気も回復する。長く続くこの国の停滞を打破する、何よりの慶事となりえる。


 しかし皇女は王弟リオネルを慕い、自ら婚約を申し出たと言った。政略結婚ではなく、真実の恋に落ちたということなのか。


「で、ですがリオネルはしょせん僻地の一領主! 皇女であるあなたとは到底身分が釣り合いません! その点、私はこの国の王で──」


「ええ。身分を越えた愛があるということをリオネル様が教えてくれました。この方を守りたい、この方と一緒にいたいと思った男性は初めてですわ」


 これも本当の話だ。リルを守り、一緒にいたいと願っていた。……彼が子供の頃からとは言えないけれど。


「リオネル様を帝国に遣わしてくださったこと、国王陛下に感謝いたします。おかげで私はリオネル様と出会えました」


 アンジェラが堂々と言い、ナタンは青を通り越して顔を白くした。


(も、もしや……皇女はリオネルと共謀して、王位の簒奪さんだつをもくろんでいるのでは……)


 ナタンが冷や汗を流した時。アンジェラは晴れやかに微笑んだ。


「地位で選んだ婚約者ではありませんので、もちろんこれからも地位は求めておりません。ロシェル領はとても素敵な場所でしたわ。リオネル様にはこれからもあの地の主として、領民に慕われる存在でいてほしいと願っています」




 ◇◇◇




 最後のデザートデセール小菓子プティフールまで滞りなく提供され、昼食会は無事に終了した。


 しかし控え室に戻ったアンジェラはというと。リオネルの厚い胸筋と固い上腕二頭筋に閉じ込められていた。


(えええ! どういうこと?)


 いつになくリオネルの顔が近い。精悍な体躯に詰め寄られて、アンジェラの心臓は急速に鼓動を早めた。


「……あのようなことを言わなくてもいいのです」


「あのような?」


「その……あなたが私に惹かれたなどということを……」


 リオネルは耳朶じだまで朱に染めた。──あんなことを言われては、と低くささやく。


「……あなたを手放せなくなってしまう……」


(あ、別れにくくなるから困るということね)


 そうだった。リオネルには忘れられない女性がいるのだ。


 この婚約はいずれ解消する。それなのにアンジェラがリオネルに惚れ込んでいると強調しては、円満に別れるのが難しくなってしまうだろう。皇女を捨てたと非難されてしまうかもしれない。


「わかりました。気をつけますね」


 リオネルのことは守りたいが、彼がいずれ本命の女性と結ばれる邪魔はしたくない。


 迷惑をかけないように注意しようと、アンジェラは改めて心に刻んだのだった。

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