第44話 フルコース

「……皇女殿下。先にお詫びしておきます。私の城は……殿下にご宿泊いただくのは申し訳ないほど粗末な場所で……」


 頑健な容貌にめずらしく冷や汗をかいて、リオネルはすまなそうに肩をすくめる。


 アンジェラはにこやかに笑んだ。

 

「お気になさらないでください、リオネル様」




 ◇◇◇




「ええっと……あのぅ……」


 いざロシェルの城を目前にしたアンジェラは、惨状に言葉を失った。


 朽ちた門に腐った扉、折れた杭に錆びた跳ね橋にからからに乾いたほり


 積み上げられた黒煉瓦れんがは崩れて落ちたまま、修復されることなく雑然と転がっている。


 とても他国にまで名を馳せるロシェル公の自城とは思えない。荒れ果てた廃墟のような城だ。


 城下の村には活気があって、畑も手入れが行き届いていたのに。主君である公爵の居城が一番古くてボロボロだ。


「皇女殿下をお迎えする栄誉をたまわり、誠に光栄の至りです」


 だが出迎えてくれた使用人たちは礼儀正しく、心からの歓待の気持ちが伝わってきた。


「帝国の姫君にはさぞお見苦しいことと存じます。お詫びのしようもございません……」


 執事らしき男性がアンジェラに深々と頭を下げつつ、リオネルを睨んだ。


「ですから修復するようにと何度も申し上げたでしょう! 聞く耳を持たなかったのは旦那様ですからね!」


「……こんなことになろうとは思っていなかったんだ……」


 リオネルはずっと居城の補修を後回しにしていたらしい。


 皇女の来訪が決まり、大至急で補強させたようだが、執事から「そういうのを焼け石に水というのです」と厳しく言われて、しおしおとしおれている。


(リル、何だか可愛いわ)


 大きな体を小さくして執事に叱られているリオネルは、子供の頃に戻ったみたいで愛らしい。


 背が高くて筋肉質で、一見して恐ろしい印象を抱かれそうなリオネルだが、先ほどもおませな女の子に求婚されるほど好かれていたし、使用人たちとの距離も近いようだ。


(リルがみんなから慕われていてよかった……)


 孤児だった頃のリルを覚えているだけに、彼に味方がいることが何よりも嬉しい。アンジェラは紫の目を細めた。



 城の外観は幽霊屋敷のようだが、内部は思いの外きれいだった。古いが掃除は行き届いており、蜘蛛の巣が張ったりねずみが巣食っていたりもしていない。


 開放感があって広く見えるのは、調度品の類いが一切置かれていないからだろう。他の城に飾られているような絵画や彫刻、花瓶や甲冑かっちゅうといった装飾品がまったく見当たらなかった。


「……殺風景で申し訳ありません」


「そんなことありませんわ」


 またリオネルに謝られて、アンジェラは首を横に振った。


 前世でジュリエットがいた神殿も同じくらい殺風景だったのだ。


 潔いほど飾り気のない城内は、幼いリルと過ごした昔の頃に戻ったみたいで、むしろ落ち着く。


 ふと、背後でメイドたちがひそひそと耳打ちする声が聞こえた。


「旦那様は国王陛下がお越しになられた時は、何の手入れもしなかったのにねぇ」


 ナタンのことだろう。リオネルの異母兄だが、この城を訪ねて来たことがあったようだ。


「視察の名目だったけれど、実際はうちの旦那様の弱みをにぎろうと、目を皿のようにして探しておいでだったわよねぇ」


「穴にはまって激怒して、半時と滞在されなかったけどねぇ」


 ふと見れば、床板には空いた穴を埋めた跡がある。ナタンはここに落ちたのかと思うと、アンジェラは思わず笑ってしまった。




◇◇◇




 やがて夕食の時間になり、アンジェラはダイニングホールに案内された。


 一品目のスープは馬鈴薯ばれいしょを使った冷たいヴィシソワーズ。


 次に運ばれてきたのは前菜アントル。肉と馬鈴薯を重ねて焼いた、ギルエットという伝統料理だ。

 

 魚料理ポワソンはサーモンと馬鈴薯のキッシュ。肉料理ヴィアンドは羊肉の赤ワイン煮込みで、付け合わせレギュールにマッシュした馬鈴薯のサラダが添えてある。


「全! 部! 馬鈴薯じゃないか!」


 リオネルは椅子から勢いよく立ち上がった。


「皇女殿下に! お出しするのに! なぜ! 馬鈴薯ばかりなんだ!」


 帝国の皇子たちが三つ巴になって詰め寄っても冷静沈着な態度を崩さなかったリオネルが、初めて我を失っている。アンジェラに出す料理が馬鈴薯のフルコースだという理由で。


「うちの料理人は豪華な料理を作り慣れていないのです。旦那様がいつも食事などどうでもいいと言うせいで……」


「だからと言ってこれはないだろう!」


「わ、私はこれで満足です!」


 アンジェラは言い争う執事とリオネルの間に割って入った。


「どれも心をこめて作ってくださったお料理だとわかります。ほら、このヴィシソワーズなんてとても澄んでいますわ」


 ポタージュは煮るよりも炒める作業が重要だ。決して焦がさず、しっかりと炒めてつやを出し、甘みを十分に引き出すには時間と手間がかかる。


(前世では私も料理していたもの。こんな上手に作るのは難しいってわかるわ)


 聖女でありながら冷遇されていたジュリエットは、自身で馬鈴薯の皮を剥いて調理したこともあるし、幼いリルと一緒に野草やベリーを摘んで食べたこともある。


 当時の食生活を思えば、派手ではないが心のこもったこのフルコースは立派なご馳走だ。


「皇女殿下はなんとお優しい……!」


「見目麗しいばかりでなく、お心まで天使のような姫君だ……!」


 料理人たちは感動にむせび泣いた。


 アンジェラは子供からさし出された馬鈴薯の花も笑顔で受け取っていたし、素朴な料理にも嫌な顔一つせず褒めてくれる。


 帝国の皇族がこんなに慈悲深いとは思わなかった。使用人たちは口々に感嘆をこぼしながら、皇女の寛大さに感じ入ったのだった。

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