第43話 王国への渡航

 アンジェラの初の外国訪問は、通常のざっと三倍の護衛を伴うことになった。妹を溺愛する兄たちがこれでもかというほど厳重な警護を命じたのだ。


 もたもたしていてはますます護衛の数を増やされる一方だし、いつ兄たち自身が一緒に行くと言い出すかわからない。


 大事な公務を担っている兄たちに迷惑はかけられない。アンジェラは急いで準備を済ませ、迅速にサフィール帝国を発った。


 皇室所有の帆船は素晴らしく大きくて立派だ。"海に浮かぶ宮殿"と呼ばれるだけあって、船内は上質なデザインのインテリアで統一されている。


 選び抜かれたアンティークの家具が配置された客室はあたたかみがあり、まるで私室にいるようにリラックスして過ごすことができた。


 部屋の窓からも移り変わっていく景色と、凪いだ水面のきらめきを楽しむことができたが、デッキに出てみるとさらに明るい陽光があふれて、空と海の青と溶け合っていた。


「ロシェル公!」


 デッキには先にリオネルが来ていた。船首に据えられた金の羅針盤らしんばんを、興味深そうに見つめている。


 白いシャツに茶のトラウザーズという軽装だが、簡素な服がかえってリオネルの硬い胸筋と引き締まった腹筋を引き立たせていて、惚れ惚れするほど凛々しかった。


「いいお天気に恵まれてよかったですわね」


「はい。順調な航海ができているようです」


 よく晴れた空はどこまでも見通せるほど澄んでいる。


 出航前は無風だったが、帆を張った途端におあつらえ向きの風が吹いて、船をぐんぐんとコライユ王国へ進めていた。


──あの、とアンジェラはリオネルを見上げた。


「契約とはいえ私たちは婚約者でしょう? ロシェル公と呼ぶのはよそよそしいですよね?」


 いつまでも爵位で呼んでいては、かりそめの関係だと疑われてしまうかもしれない。


「だから、リオネル様とお呼びしてもいいですか?」


 本当は昔のように「リル」と呼びたいが、そんなことは言えないので我慢する。


「……はい。ですが、無理はなさらないでください」


 リオネルは屈強な肩をすくめた。


「私は見ての通りの隻眼せきがんです。皇女殿下もさぞ恐ろしく思われることでしょう」


「そんなこと、ありません!」


 アンジェラは反射的にかぶりを振った。


(隻眼だって、リルはリルだわ!)


 リオネルが片目を失って不自由ではないか心配だし、痛くはないかと案じてはいるが、怖いとは少しも思わない。


 いくら成長しても、隻眼になってしまっても、ジュリエットを慕ってくれたリルはずっとリルのままだ。


「怖くなんてありません。──リオネル様」


 波がさわやかに船を押す。


 潮風が船頭に彫り込まれた皇帝の紋章を撫で、掲揚された国旗をひるがえして駆け抜けていった。




 ◇◇◇




 やがて航海を終え、降り立ったコライユ王国の湾岸も、まぶしい陽光で満たされていた。


 アンジェラにとっては生まれて初めての外国、前世のジュリエットにとっては死を遂げたかつての祖国だ。


 用意されていた馬車に乗り換えてしばらく進むと、整備された集落が見えてきた。


 山波がくっきりとした稜線を描きながら、里を守るように連綿と広がっている。


 リオネルの預かる領地──ロシェル公爵領だ。


「まぁ、きれい!」


 アンジェラは感嘆した。


 野には一面の花畑が続いている。馬鈴薯ばれいしょが見渡す限りに植えられているのだ。


 花は白もあればピンクも紫もある。色だけでなく花の形も品種によって、五角形もあれば星型もある。


 丘を埋め尽くす緑の葉と花の群生は、絶景と言っていい美しさだった。


「おひめさま!」


 無邪気な声に呼ばれて振り返ると、近隣の子供たちが寄ってきていた。


 普段訪問している帝都の孤児院の子供たちを思い出して、アンジェラはにこっと笑う。


 子供たちはアンジェラの笑顔を見て、もじもじと顔を赤らめた。


「ぼく、こんなにきれいな人はじめてみた……!」


「やっぱり本物のおひめさまはすっごくかわいいんだね!」


(もう、可愛すぎるわ!)

 

──小さいのにちゃんとお世辞が言えて偉いわ、とアンジェラは紫色の目を細めた。


 ロシェル領の家臣たちがあらかじめ仕込んだのだろうか。だとしても教えられたセリフをちゃんと言える子供たちはたいしたものだ。よくできましたと褒めてあげたくなる。


「皇女さま。これ、うけとってください!」


 恥ずかしがる子供たちの間から一人の女の子が進み出て、摘んだばかりらしい花をアンジェラに手渡してくれた。


「こ、こら! 皇女殿下にそんな粗末な花を!」


 家臣たちがあわてて止めたが、アンジェラはにっこりと微笑んだ。


「いいえ、馬鈴薯の花は好きよ。どうもありがとう」


「ば、馬鈴薯だとご存知なのですか?」


 皇族が素朴な馬鈴薯の花を知っているとは思わなかったらしい。


 アンジェラが花を受け取ると、女の子は嬉しそうに胸を張った。


「あのね、領主さまもこの花の色がすきだと言ってたの!」


「まぁ、そうなのね」


 もらった花は愛らしい紫色だ。リオネルはこの色が好きなのか──と微笑ましく思っていると、女の子は口を尖らせた。 


「わたしね、領主さまにこのお花をあげて、およめさんにしてっておねがいしたの。でもだめだったの。領主さまはだれともけっこんしないんだって」


「えっ……」


 リオネルは結婚願望のないタイプだったのか。知らなかった。


(そうだったのね……。契約とはいえ婚約して、迷惑だったかしら……)


 元より期間限定の関係ではあるが、リオネルが独身主義ならなおのこと、速やかに婚約解消しなくては彼に悪い。


(早く……リルを自由にしてあげなきゃ……)


 アンジェラはぎゅっと手をにぎりしめた。


 燦々と降り注ぐ陽光は変わらず明るいのに、なぜか心にすき間風が吹いたような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る