第42話 出生の真実②

「お母様、なぜ私を皇女として育ててくださったのですか?」


「あなたを皇女として育てないなんて、考えたこともないわ」


 きっぱりと答えるジョゼフィーヌに迷いはなかった。間違いなく皇帝の反対を押し切って、アンジェラに皇女の身分を与えてくれたのだろう。


「だってあなたは息子たちと実の兄妹ですもの。あなたが生まれてミッシェルやラファエルやガブリエルがどんなに喜んだか、見せてあげたいわ」


(はい、見せてもらいました)


 言えないけれど──言いたかった。


 生まれたばかりのアンジェラを、三人の兄たちが競うように可愛がってくれたことを知っている。


 かけてくれた優しさを、注いでくれた思いやりを、与えてくれた愛情をすべて覚えている。


 兄たちだけではない。ジョゼフィーヌもアンジェラを慈しんでくれた。


 不義の子だと疎まれたことはなかった。赤子には何もわからないからと呪詛じゅその言葉を吐かれたことも一度もなかった。それどころか。


『アンジェラ、私の可愛い娘。元気に大きくなってちょうだいね』


 ジョゼフィーヌはそう優しくささやき、額に口づけを落としてくれた。


『ずっと男の子ばかりで飾りがいがなかったのですもの。アンジェラが生まれてくれて嬉しいわ』


 そう言って大量の布地を広げさせ、すべてアンジェラの服に仕立ててくれた。


『アンジェラを触る前に手を清めなさい。不潔な手で触れるなど許さなくてよ』


 そう兄たちを厳しく叱り、アンジェラの健康を気遣ってくれた。


 ジョゼフィーヌが率先してアンジェラを認めてくれたから……だから皇子たちは妹として、周囲も皇女として扱ってくれたのだ。


 アンジェラは目に涙を溜めた。


「私……お母様がどんなに私を慈しんでくださったか知っています……」


 アンナは出産で亡くなった。アンジェラは母の命を奪った不吉な子だと忌む声もきっとあっただろう。


 そんなアンジェラをジョゼフィーヌは受け入れてくれた。


 実母とも兄たちともつながる名前を与えてくれた。


 非嫡出子だったアンジェラを嫡出子として──皇女として育ててくれたのだ。


 それがどれほど大きな慈愛に満ちた行動だったのか、痛いほどよくわかる。


 アンジェラがぽろぽろと涙をこぼしていると、ジョゼフィーヌは優美な目を細めた。


「……あなたが初めて話した言葉はね、『まま』だったのよ」


 初めての言葉。皇宮の庭園で開かれたピクニックの日のことだ。


 兄たち三人が自分の名前を呼んでほしいと熱望する中、アンジェラが発した初語は『まま』だった。


「天使のように可愛い顔で、私に向かってはいはいしてきた姿は一生忘れないわ。あなたは私の娘よ」


 優しくほころぶジョゼフィーヌの笑顔は『健やかに大きくなってくれたなら何も望まないわ』と言ってくれた時とあの日と同じ、大輪の花のようだった。


 アンジェラは濡れた目元を拭い、


「……命をかけて私を産んでくださった、アンナお母様には感謝します……でも」


 潤んだ瞳でまっすぐにジョゼフィーヌを見つめた。


「でも、私の母はジョゼフィーヌお母様です。大好きなお母様」


「アンジェラ……」


「お母様!」


 母と娘はぎゅっと抱き合った。


 まるでかつてのピクニックの日、初めて「まま」と呼んだ娘と呼ばれた母がそうしたように。


「お母様……どうして今、アンナお母様のことを教えてくださったのですか?」


「あなたがコライユ王国に赴くことが決まったからよ」


 アンジェラを抱きしめたまま、ジョゼフィーヌは答えた。


「あなたは陛下と私の娘。この城にいる間はそれで通るわ。でも国外へ出るとなれば……防ぎきれない事態もあるかもしれないでしょう?」


 城では誰もがアンジェラを皇后の娘として扱ってくれる。だが外に出れば、予期せず出生について知ることになるかもしれない。


 ジョゼフィーヌは他者に暴露されるくらいならと、自分の口から真実を告知してくれたのだ。


「ありがとうございます、お母様……」

 

 どこまでも大きな母の愛に、アンジェラは深く礼を言った。


「お母様、最後に一つだけ聞いてもよろしいですか?」


 アンナはジョゼフィーヌの侍女だった。


 メイドは平民でもなれるが、侍女は貴族階級出身の令嬢が務める上級職だ。特に皇后付きとなればそれなりの名家の出のはず。


「アンナお母様はもしかして、コライユ王国にゆかりのある方ではありませんか?」


「ええ、そうよ」


 ジョゼフィーヌは優雅にうなずいた。


「アンナの生家のシャロン子爵家はコライユ王国の貴族だったの。アンナは王国の生まれだけれど、幼い頃にこの国に亡命してきたのよ」


「帝国に……亡命……」


 王国ではおよそ三十年前、大規模な内乱と粛清があったと聞いたことがある。いくつもの家が権力闘争に敗れ、他国への亡命を余儀なくされたのだと。


 幼いアンナを連れて王国を脱したシャロン子爵は、親交のあった帝国の公爵家を頼った。この公爵家がジョゼフィーヌの実家だ。


 実家が没落したとはいえアンナの血筋は確かだ。素直で真面目なアンナは公爵家の人々にも可愛がられ、ジョゼフィーヌの侍女として仕えた。


「私の本当のお母様は……コライユ王国の貴族だった……」


 今までずっとアンジェラは純粋なサフィール帝国の人間だと信じていた。


 だが、アンジェラの実母はコライユ王国の貴族だった。


 現皇帝にもコライユ王国の血は流れている。何代か前の皇帝が王国から妃を迎えたからだ。


 たまたまその血がアンジェラに色濃く出たのだとしたら、アンジェラは帝国の生まれでありながら、血はコライユ王国の民に近いのかもしれない。


 アンジェラははっと肩を震わせた。


(もしかして、ジュリエットもそうだったのではないかしら?)


 三十年前の内乱で没落したのはシャロン子爵家だけではない。他にも複数の貴族の家がその地位を追われた。


 三十年前──ちょうどジュリエットが生まれた頃だ。


 アンナは親に連れられて帝国に逃れたが、爵位を失っての亡命は大人でも過酷な旅だ。


 もしも生まれたばかりの子供がいたとしたら、孤児院に託した方が子供の命を守れるかもしれない。


 ジュリエットの育った孤児院は王国の端に位置し、他国に渡る港にも近かった。


(ジュリエットも……貴族の血を引く少女だったかもしれない?)


 確かめるすべはないが、前世でさんざん「聖女は貴族にしか生まれない」と言われ続けてきた答えが今、初めて見えたような気がした。


 ジュリエットはおそらく零落れいらくした元貴族の娘だった。歴代の聖女と同じく、王国の貴族階級の出だったのだ。

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