第40話 大好きなお兄様
「ダメだ!」
ダンッと机を叩く音とともに、ミッシェルの拒絶の声が響き渡った。
「な……何がダメなのですか?」
アンジェラがおろおろと困惑すると、ラファエルがため息をつき、ガブリエルがきっぱりと否定した。
「何がって、何もかもがダメですよ」
「外交を兼ねてとはいえ他国に渡るのもダメだし、仮とはいえ男と婚約なんてダメに決まってるから」
"ロシェル公と契約婚約させてほしい"
晩餐会の後。改めてそう申し出たアンジェラに降り注いだのは、案の定というべきか、兄たちの有無を言わせない一刀両断だった。
普通は娘の婚約を反対するのは父親の役目なのだろうが、皇帝は何も言わなかった。父は頭髪も薄いがアンジェラへの関心も薄いのだ。
そのかわり兄たちの反発たるや並大抵ではなかった。
ダダンッと再び机を叩いて、ミッシェルはきっぱりと却下した。
「絶対にダメだ! 会ったばかりの男と婚約など許さん!」
(いえ、お兄様たちよりも古い知り合いです)
前世を含めればリオネルは兄たちよりも長い付き合いだ。言っても信じてもらえないだろうが。
「王命に背けばロシェル公が罰される、それが気の毒だという気持ちはわかりますよ」
「でもさぁ、それはあちらの国の問題でしょ? アンジェラが助けてあげる義理はないと思うけど」
ラファエルとガブリエルが肩をすくめ、アンジェラは「そんなことありません!」と反論した。
「聞いてください、お兄様たち! ロシェル公は街で私を救ってくださったのです!」
アンジェラはおしのびで街に出た際、リオネルに助けられたことを語った。
「突然の体調不良で倒れた私を、通りかかったロシェル公が馬車まで運んでくださったのです。一緒にいた侍女も紳士的な方だと感心していましたわ」
護衛の騎士たちはアンジェラの頼みでその場を離れていたことも話した。「私がお願いしたのですから決して咎めないでください」と強く念を押しながら。
アンジェラは迫真の演技で、よよと泣き真似をした。
「ああ……まさか急に具合が悪くなってしまうなんて……。もしもロシェル公が居合わせなかったら私、どうなっていたかしら? 転んで頭を打って大怪我をしていたかもしれません。いえ、打ち所が悪かったら死んでいたかも……?」
大げさに言うと、兄たちの顔色がみるみる青ざめていく。
「ガブリエルお兄様。お兄様だって私が怪我をしなくてよかったですよね?」
「……それはそうだけど……」
ガブリエルはぐぬ、という顔をした。
「ラファエルお兄様。ロシェル公は私の命の恩人なのですわ」
「……そうと言えないこともないかもしれませんが……」
ラファエルはぐぬぬ、という顔をした。
「ミッシェルお兄様。受けたご恩は返さなくては、ヴァングレーム家の名が
「ぐぬぬぬ……」
ミッシェルに至っては顔以前に言葉で言っている。
なかなか実際に「ぐぬぬぬ」と言う人間を見ることがない上、それが眉目秀麗な皇太子だという絵面もめずらしい。
兄たち三人が黙ったところで、アンジェラはさらにたたみかけた。
「ロシェル公は必ず約束を守ると誓ってくださっています。国王に嫁ぎたくない私の意向を汲み、いつでも速やかに契約婚約を解消すると」
「それならい……い、いや! ダメだ!」
ミッシェルは婚約解消と聞いて一瞬納得しかけたが、すぐに首を横に振った。
「ロシェル公といくつ離れていると思っているのだ! いくら何でもアンジェラより年上すぎるだろう?」
「そんなことはありませんわ」
アンジェラはここぞとばかりに満面の笑顔を振りまいた。
「ロシェル公は二十五歳でいらっしゃいます。ミッシェルお兄様と一緒ですわ」
ミッシェルとリオネルは同い年。二人ともアンジェラより十歳上だ。
「私はミッシェルお兄様のことがだーい好きなので、同い年の方を年上すぎるなんて思いません」
「だーい好き」の部分をなるべく強めに発音しながら、アンジェラは上目遣いでミッシェルを見つめる。
「……お願いを聞いてくださらないなら私、お兄様たちのこと……少し……すこーしだけ嫌いになっちゃうかもしれません……」
「「「……!!!」」」
これは劇薬のような発言なので、取り扱いには慎重を要する。
ほんの一滴「嫌い」の可能性を垂らしただけで、三人は絶望に打ちのめされた顔をしている。
今まで一度たりとも兄たちに言ったことのない言葉だけに、効果は抜群のようだ。
「ね……だから……!」
アンジェラがそのまま、きゅるるんとした視線を兄たちに向けて盛大に発射すれば、勝利は目前だった。
「お願いです! 大大大好きなお兄様たち!」
◇◇◇
陥落した兄たちは了承してくれたものの、いかにもしぶしぶといった様子だった。
生まれて初めて帝国の外に出るのだと思うと、胸がドキドキする。
出国の準備を急いでいると、母のジョゼフィーヌ付きの侍女がアンジェラを呼びに来た。
「皇女殿下、皇后陛下がお呼びです」
「お母様が?」
「はい。大切なお話があるので、心して来るようにとの仰せです」
「大切な……お話……?」
アンジェラは荷造りを中断して、母の部屋へと向かった。
「お母様。お呼びでしょうか? アンジェラです」
「お入りなさい」
許可されて入った母の私室は、いつもながら趣味のいい調度品で統一されていた。
ジョゼフィーヌはアンジェラを見て、しみじみと目を細めた。
「早いものね。あなたがもうすぐ十五歳になるなんて。ついこの前生まれたばかりのような気がするのに」
「はい、お母様。私もついこの前赤ちゃんだったような気がします」
実際に口にしたのは前半の「はい、お母様」だけで、後半は心の中だけにとどめた。
赤ちゃんの頃の記憶があるなんて、話しても気味悪がられるだけだろう。
「お母様、お話とは何ですか?」
「……いつかは話さなくてはいけないと……思っていたの」
アンジェラの純粋なまなざしを避けて、ジョゼフィーヌは長い睫毛を伏せた。
「アンジェラ。あなたは私の本当の娘ではないのよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます