第37話 晩餐会
炎におびえて呼吸困難になったアンジェラの体調は、馬車で休むうちに快復していった。
苦しかった肺の痛みも和らぎ、
そこでアンジェラが目にしたのは、手入れされたドレスと、ドレスに合わせた靴や小物を吟味していた侍女たち。
「お帰りなさいませ、皇女様!」
「お早いお戻りでよろしゅうございました!」
「私たちも晩餐会について聞いたばかりなのです!」
皇子三人が示し会わせて晩餐会の予定を皇女の周辺に伏せていたらしく、侍女たちはあきれた顔をしている。
「え? お兄様たちが?」
皇宮で行われる公式の晩餐会には、特段の事情がなければ皇族は全員参加するものだ。
幼い頃は欠席していたけれど、アンジェラはまもなく十五歳だ。国賓を迎えるのであれば出席しなくては非礼にあたるのに、どうして兄たちは隠していたのだろう。
「皇女様をご来賓の目に触れさせたくないお気持ちはわかりますけれどね……」
侍女がぼやき、アンジェラはきょとんとした。
「さぁ、お支度をいたしましょう」
侍女が見立ててくれたのは、柔らかなチュールを重ねた桃色のドレスだった。パニエに支えられてふわりと広がるスカートは満開の花のよう。裾に散りばめられた刺繍が彩りを添えていて愛らしい。
肌を露出しないクラシカルなデザインで、首もしっかりと隠れるため、薔薇の形をした痣が人目に触れることもなさそうだ。
髪はこめかみの位置でハーフアップにしてくれた。毛束を丁寧に巻き、サイドで編み込んでふわりと背に流す。
耳や首にアクセサリーを飾り、頭にティアラを乗せて固定すれば、全方位どこから見ても隙のない、可憐な皇女のできあがりだ。
「大変お似合いです!」
「天使のように愛らしくていらっしゃいますわ!」
「本当に皇女殿下は何でも美しく着こなされますこと!」
「ありがとう。みんなのおかげよ」
わいわいと絶賛してくれる侍女たちに付き添われながら、アンジェラは会場の大広間へと向かった。
(……迎える国賓はコライユ王国の王弟……ロシェル公……)
これまでもロシェル公の名が「リオネル・ド・ランスフォール」であることは知っていたが、特段気に留めていなかった。
けれど先ほどコライユ王国にいるはずのリルと街で出会った時から、胸の高鳴りが止まらない。
(まさか……そんなはずが……)
ドキドキと脈打つ心臓に手を当てて、開かれた扉の奥へと進んだ刹那。
アンジェラは呼吸を忘れた。
(……やっぱり……!)
繊細な漆喰細工に彩られた大広間。燦爛と輝くシャンデリアの光に照らされて立っていたのは、間違いなくリルだった。
鍛えられた頑健な肉体を包むのは、体型に合ったジュストコール。
地味な色だが、威風堂々とした立ち姿だけで充分に見栄えがする。水もしたたるような男ぶりだ。
(リルが……ロシェル公だったの……?)
前世で幼なじみのように過ごしたリルが王族だったことに、驚きが隠せない。
アンジェラが言葉を失っていると、リオネルは深々と礼を取った。皇女の入場に敬意を表しているのだ。
(いけない。私の方から話しかけなくちゃ!)
公式の場で下位の者から発言することはできない。アンジェラから先に声をかけなくては、リオネルも動くに動けない。
「アンジェラ・ド・ヴァングレームです。お会いできて嬉しく思います。」
アンジェラが片膝を曲げて名乗ると、リオネルも落ち着いた挨拶を返した。
「リオネル・ド・ランスフォールです。ロシェル公位を預かっております」
リオネルの背は昔よりずっと高く、声はずっと低い。顔立ちは彫りが深くて雄々しく、薫り立つような男の色香があふれていた。
(リル……本当に大きくなったのね……)
すっかり立派な大人になったリルに、子供の頃の姿を重ねずにはいられない。
アンジェラは表情に出さないように、心の中だけで感動を抱きしめた。
(今日会ったばかりとはいえ、ほんの少しだけだもの。私だとはわからないわよね)
昼間のアンジェラはケープを羽織った軽装だったが、今は正装している。
おしのび姿とドレスアップした姿では同一人物には見えないだろう──。
そう思っていると、リオネルは長身をかがめ、小声でささやいた。
「あれからご体調はいかがでしょうか?」
(あ、ばれてた)
「は、はい。大事はありません……」
(どうしてわかったのかしら?)
アンジェラはどぎまぎと焦りながら、リオネルを見上げて感謝を告げた。
「ロシェル公、先ほどは助けてくださってありがとうございました」
「礼には及びません。当然のことをしたまでです」
リオネルの口調は素っ気ないが、冷たくは感じない不思議なぬくもりがあった。
その雰囲気が、無口だが優しかった幼いリルと重なる。
アンジェラは思わず姉のような、保護者のような気持ちでリオネルを見つめた。
(リルが王弟殿下だったなんて……)
弟のように思っていたリオネルが実は前国王の子で、ナタンの弟で、現ロシェル公爵。
思いもしなかった現実に、まだ理解が追いつかない。
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