第36話 再会

 アンジェラは目をまたたいた。


「……?」


 そろいの伝統的な衣装に身を包み、手に灯明たいまつを持った人間たちがぞろぞろと練り歩いてくる。


 一人や二人ではない。九人いる。広場に建つ木製のやぐら──その中心に打ち込まれている杭と同じ数だ。


「……何をするの?」

 

「お祭りですので。あの櫓はこの後、天へと架ける橋にするのです」


 答えた侍女の言葉に、アンジェラの心臓がビクッと跳ねた。──天へと架ける橋?


「どうやって……?」


「はい、それは──」


 明るい口調で説明する侍女の背後で、九人の人間が一斉に灯明を高く掲げた。


「──火をつけて燃やすのです」


 九人の持った火が、九本の杭に同時に触れた。


「え……!?」


 炎が一気に燃えあがる。黒い煙が立ちこめ、木を組んだ櫓はまたたく間に巨大な火柱に包まれた。


「──っ!」


 アンジェラは息を止めたまま凍りついた。


 灼熱に照らされた空が歪む。視界が血塗られたように赫くなる。


 前世の死因となった炎の恐怖に、体が金縛りに遭ったようにこわばった。


(い……嫌……!)

 

 手が震える。足がすくむ。逃げればいいとわかっているのに、どうしても動くことができない。


(どうしよう……苦しい……!)


 運の悪いことに風向きが変わって、黒煙がアンジェラの元へとただよってきた。


(もうだめ……!)


 流れてくる煙を少し吸っただけなのに、呼吸ができない。胸が塞がれて、苦しくて、窒息してしまう。


 アンジェラが気を失いかけた時だった。


 地面に倒れる寸前に、体がふわっと宙に浮いた。誰かの腕に抱き止められて、軽々と持ち上げられる。


「──お怪我はありませんか?」


 耳元でささやかれたのは、低いのによく通る、痺れるような甘さを秘めた声だった。


(……?)


 硬直した瞼をそっと開くと、短いダークグレーの髪が風にそよぐのが見えた。


 アンジェラを横抱きにしているのは、精悍せいかんな体格をした長身の男。


 なつかしさを誘う色の髪が揺れて、眼光鋭い切れ長の双眸がアンジェラを見下ろす。


 片目は黒い眼帯をしているが、もう片目はまるで澄んだ冬空のような、忘れようもないアイスブルー。


(……リル!)


 アンジェラは思わず心で呼んだ。


 目の前のたくましい青年の姿に、前世で会った少年の面影がはっきりと重なる。


(リル! リルだわ!)


 煙を吸った喉はうまく動いてくれない。アンジェラは心の中で何度もくりかえした。


 リルと最後に会ってから十五年の月日が経っている。十歳だった彼は今は二十五歳になっているはずだ。


 いくら過去に顔見知りだったとしても、十歳の子供が二十五歳の大人に成長したら、すぐには判別できないだろう。

 

 だが前世で最後に会話した相手だからだろうか。それとも折に触れて何度もリルのことを思い返していたからだろうか。目の前の青年が年齢を重ねたリルなのだと、はっきりと視認できた。


(リル……すっかり大きくなって……!)


 心の中は感動に震えていたものの、体は腰が抜けたまま。


 アンジェラの震えが止まらないのを感じたのか、リオネルは侍女を振り返った。


「どうかこのまま、安全な場所までお守りさせていただけないでしょうか」

 

「は、はい。では馬車まで……」


 喧嘩の仲裁に行った騎士たちはまだ戻らない。


 侍女は先ほど馬車を停めた場所までリオネルを誘導した。


(リル、すごく格好よくなってる……)


 すらりと伸びたリルの上背は高く、手足は長い。鍛えられた体躯は均整が取れていて、服の上からでもわかるくらいしっかりと筋肉をつけていた。


 侍女もほのかに顔を赤らめているし、美形の兄たちを見慣れているはずのアンジェラさえ惚れ惚れしてしまう。


(大人の男の人って感じ。本当に立派になったのね……)


 待機していた御者が馬車の扉を開けると、リオネルはアンジェラを優しく座席に乗せてくれた。


 アンジェラの首元に落ちた視線がわずかにおののいたものの、表情は変わらない。


「あの、お名前を……」

 

「名乗るほどの者ではありません」


 侍女が名を尋ねたが、リオネルは短く答え、颯爽ときびすを返した。


「失礼いたします。──どうかお大事に」


 立ち去っていく後ろ姿を見送りながら、侍女がため息を洩らした。


「今の方、見た目は怖いけれど紳士でしたわね」

 

「……見た目が……怖い?」


 アンジェラはか細い声を絞り出しつつ、首をかしげた。


 リルの背丈は見上げるほど高かったし、片目に眼帯をしているのは気になったけれど、怖いとは少しも思わなかった。それよりも──。


(もう一度、会いたい……)


 炎におびえて動けなくて、声すら発せなかった。


 せっかくリルに会えたのに、何も話せなかった。


 自分が情けなくて、アンジェラはしゅんと意気消沈した。


「……今日はもう宮殿へ帰りたいわ」


 兄たちはゆっくりしてこいと言っていたけれど、もうお茶を楽しめる気分ではないし、祭りを見る余力もない。


「ええ、早く戻りましょう。晩餐会の準備もございますし、国賓こくひんをお迎えするなど久しぶりですものね」


「え?」


 アンジェラは思わず聞き返した。


 今夜、晩餐会があるなどとは聞いていない。


「……国賓って……どなた?」

 

「コライユ王国のお方です」


(コライユ……王国?)


 前世の祖国の名に、アンジェラの胸はざわめいた。


 国賓として接遇するのは、他国の国家元首かそれに次ぐ立場の人間だ。


 鼓動を速めた心臓に、侍女の言葉が降り注ぐ。


「王弟殿下──ロシェル公リオネル様でいらっしゃいます」

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