第35話 おしのび

「皇女殿下、お足元にお気をつけて」


 瀟洒しょうしゃな馬車が人目につかない路地に停まる。


 御者の手を借りて馬車を降りたアンジェラは、ケープのフードをかぶった。


「いつもの場所にお付けできず、申し訳ございません」

 

「大丈夫よ。今日はとても人出が多いのね」

 

「ええ、本日は祭りがあるようです。もうそんな時期なのですね」


 今日は城下へ久しぶりの外出、つまり「おしのび」に来ている。


 というのも、いつもアンジェラを溺愛する兄たちが最近はちょっと様子が違うのだ。


 今日も三人は雁首がんくびをそろえて、書状のようなものを渋い顔で見ていた。


「お兄様、それは何ですか?」


 アンジェラが尋ねるとミッシェルは話を逸らすように「そうだ、アンジェラ。久しぶりに街に出て羽を伸ばしてきたらどうだ?」と提案し、ラファエルは「いいですね。馬車を手配するのでゆっくりしてきなさい」と賛同し、ガブリエルは「いい? ゆっくりだからね? 帰りは遅くなってかまわないからね?」と強めに念を押してきた。


 怪しい。根拠はないが、怪しい気がする。


(お兄様たち……何か隠してる?)


 不審には思ったものの、兄たちの提案にはありがたく乗ることにした。


 もちろん周囲には護衛の騎士が張りついているし、往復する経路も厳密に指定されていて寄り道は許されないが、それでもアンジェラにとっては貴重な外出の機会だ。


 行き先は有名なティーサロン。アンジェラの五歳の誕生日に贈られたプレゼントである。


 あの時は一緒に宝石店と服飾店も贈られたものの、その二つは丁重に辞退して返却した。


 唯一、どうしても断り切れずに受け取ったのがティーサロンだ。


 いつもは店の裏口に馬車を停めてもらい、個室でお茶を楽しんでいるのだが、今日は何かの催しと重なっていたようで、大通りが通行止めになっていた。仕方なく少し離れたところで馬車を降りる。


 お付きの侍女は申し訳なさそうにしているが、自分の足で街を歩く機会などめったにないのでアンジェラはわくわくする。


 護衛騎士はいつでもアンジェラを守れるよう付かず離れずの距離にいるが、人混みに揉まれて少し動きづらそうだ。

 

「あれは何?」


 広場の中央に、見たことのない塔のようなものが築かれていた。


 地面に円を描くように杭を打ち込み、木の板をたくさん渡して、見上げるほどの高さに組み立ててある。


「今日の祭事で使われるやぐらですよ。私も久しぶりに見ましたわ」


 無病息災や五穀豊穣を祈って建てるのだと、侍女が教えてくれた。


 皇族が臨席するような公の式典とは違う、大衆の間で行われている民間行事の一種らしい。


 アンジェラもそうした催しがあることを知識としては知っていたが、組まれたやぐらを実際に見たのは初めてだった。


「お店がたくさん出ているわ。にぎやかね」


 ティーサロンに向かう道はさらに多くの人々でごった返していた。


 通りの左右には出店がいくつも並び、飲食物や工芸品、土産物などを売りさばいている。


 人気なのは何と言っても、皇帝一家の似顔絵を使った商品だ。


 サフィール帝国に聖女はいない。コライユ王国のように特殊な力を持った聖女を戴く風習がないからこそ、皇族が国の象徴として広く敬われているのだ。


(似顔絵から正体がばれることはないと思うけれど……)


 万が一にも素性が露見することのないよう、アンジェラはフードをしっかりとかぶり直した。


 売られているのは置物にポストカード、タペストリーに皿にティーカップ。


 皇帝本人よりもなぜか三人の皇子たちの方が人気で、どのグッズも飛ぶように売れていた。


「ミッシェルお兄様は王道の美青年だし、ラファエルお兄様は理知的な美男子だし、ガブリエルお兄様は甘い美少年だし……みんな夢中になっちゃうわよね」


 美青年な兄と美男子な兄と美少年な兄は、みな甲乙つけがたいほど最上級に顔がいい。


 アンジェラ自身もその三人に「世界一可愛い天使のような美少女」と日々絶賛されているのだが、本人にその自覚はない。妹にとびきり甘い皇子たちの兄ばかなのだと思っている。


「三人とも同じくらいよく売れているわ」


 僅差だが一番人気は皇太子であるミッシェルだろうか。若い女性たちを中心に、次から次へと買われていく。


「あ、お母様のカップもあるわ。私これがいいな」


 母のジョゼフィーヌは淑女の鑑のような貴婦人だ。


 前世と今世を合わせても、アンジェラは母のような気品と美貌を兼ねそなえた女性を知らない。


 もしも家族のグッズをどれか一つ買うとしたら、母のものを選ぶだろう。


 大好きな母のカップを前に、アンジェラがほんわかと和んだ時だった。


 人混みの中からわっと怒号が沸いた。肩でもぶつかったのだろうか。強く言い合う声が聞こえてくる。


「いやですわね。喧嘩けんかでしょうか?」


 侍女は眉をひそめ、アンジェラは護衛たちを振り返った。


「怪我人が出たら大変だわ。仲裁してきてくれないかしら?」

 

「ですが、皇女殿下……」

 

「私は大丈夫。ここで動かずに待っているから」


 揉める声はますます大きくなる一方だ。このままでは本当に怪我をする者が出るかもしれない。


「では、すぐに戻ります」


 異変が起きたのは、護衛たちが側を離れた直後だった。

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