第34話 十五歳を前に
「アンジェラ皇女殿下! いつも本当にありがとうございます!」
帝都の一角にある孤児院の門前で、院長や職員たちは深々と頭を下げた。
「こちらこそいつも子供たちのお世話をありがとう。足りないものは私の方ですぐに手配しますね」
にこやかに微笑む皇女は見惚れるほど愛らしくて、職員一同は呼吸を停止した。
「皇女さま! ありがとう!」
「また来てね! 皇女さまー!」
子供たちが無邪気にはしゃぎながら手を振る。
皇女は幼い頃から慈善活動に関心があったらしい。とりわけ孤児院や乳児院に心を寄せ、自ら出向いて積極的に奉仕活動を行っていた。
汚れた身なりの子供たちにも慣れた様子で接し、施設の内部を見て的確に必要なものを見抜き、迅速に手配して贈ってくれる、慈悲深い皇女。
「いやぁ……いつ見ても実にお美しく、お優しいお方だな……」
「ああ、聖女はコライユ王国にしか生まれないと言うがそんなことはない。うちの皇女様こそまさに聖女だ……」
すっかり皇女のファンになった職員たちは、うっとりと心酔しながら言い合った。
◇◇◇
(ふふ、聖女だなんて。今の私は違うのにね)
馬車の窓から子供たちに手を振りつつ、アンジェラは苦笑した。
前世は聖女だったこともあるけれど、今はどこにでもいる普通の皇女だ。
それなのに昔と同じあだ名を付けられるなんて、何だか不思議な気持ちになる。
そんな自称どこにでもいる普通の皇女が宮殿に戻ると、待ち構えていたのは厳しい淑女教育のレッスンだった。
普通の皇女たる者、多種多彩な教育を受けなくてはならないのだ。
詩作、刺繍、歌唱、楽器の演奏、それに宮廷文化を網羅した膨大なマナーとエチケット。
どの分野も専門の教師からみっちりと指導を受けているが、特に重要視されるのがダンスだ。
勉強なら前世の知識を生かせるのだが、ダンスに関してはまったくの未経験。
ワルツ、メヌエット、ブランル、ガヴォット、クーラント……それぞれ曲調も違えば、振りつけも繊細で難しい。
「皇女は皆の模範! 一挙手一投足まで完璧でなくてはなりません!」
ダンスの教師に叱られて、アンジェラがしょんぼりと落ち込んだ時。
颯爽と現れたのは三人の兄たちだった。
「よし、アンジェラ、私と踊ろう!」
第一皇子ミッシェルはますます正統派な美青年に成長している。
太陽のように明るい光輝を放つミッシェルのリードは華やかで、アンジェラを実力以上に上級者に見せてくれた。
「私にパートナーを務めさせてください、アンジェラ」
第二皇子ラファエルはさらに眉目秀麗な美男子に成長している。
月のように涼やかなラファエルのターンはお手本のように流麗で、講師と踊るよりもアンジェラを上達させてくれた。
「僕と踊るのが一番バランスがいいよね、アンジェラ?」
第三皇子ガブリエルはいっそう甘い顔立ちの美少年に成長している。
星のように爽やかなガブリエルと踏むステップは楽しくて、伸びやかで、いつも笑顔が絶えなかった。
「アンジェラ、誕生日のパーティーではもちろん私をパートナーにしてくれるだろう?」
「いいえ、私ですよね?」
「ううん、僕だよね?」
美青年と美男子と美少年がアンジェラを取り囲み、三方向から圧をかけてくる。
「も……もう少し考えてみますね」
そう、アンジェラはまもなく十五歳の誕生日を迎える。
厳しい淑女教育と趣味の慈善活動に忙殺されるまま、あっという間に時は流れ、アンジェラは幼女から少女へと成長したのだ。
「ああ。今年のプレゼントも楽しみにしていてくれ!」
朗らかに笑うミッシェルはとても優しいのに、なぜか嫌な予感がする。
(ま、また大がかりなことを言い出すんじゃ……!?)
十五年近くも兄たちの妹をやっているアンジェラは、これまでもたびたびスケールの大きなプレゼントを提案されてきた。
宮殿前の広場中央にアンジェラの巨大な銅像を建てようと言われたり。
銅像はいりませんと止めたら「銅では嫌か? ならば純金にするか」ともっと贅沢な案に変更されたり。
像には興味がないと必死で説得したら、帝都の中心に新たな街道と国立公園を作って、アンジェラ通りとアンジェラ公園と名付けようと言われたり。
すべて兄たちに頼み込んで事前に阻止してきたが、今年はどんな突拍子もないプレゼントを提案されるのか考えるだけで怖い。
先手必勝とばかりに、アンジェラは兄たちを見上げてねだった。
「お兄様! 私、外国に……コライユ王国に行ってみたいです!」
それは何年もずっと家族に願い続けてきた──そしてあえなく却下され続けてきた願いだった。
コライユ王国の民を案じる気持ちは募る一方。現地に渡り、自分の目で現在の状況を見たいとの思いもずっと変わらない。
もしもアンジェラが普通の平民の少女だったなら、借金をしてでも渡航費用を工面して、とっくに自力で王国に渡っただろう。
しかしアンジェラは皇女だ。金銭面では何の不自由もない生活をさせてもらっているかわりに、行動面の自由はないに等しい。
「私はもう子供ではありません。お兄様たちは私よりももっと幼い時から外遊に行かれていたではありませんか!」
皇族が公務を担うのは成人してからと決まっているが、未成年でも外交の一環として他国に赴くことはある。
今年の誕生日のプレゼントは王国に行くことを許してほしい──。
アンジェラはそう願ったのだが、兄たちの答えはいつも通りだった。
「だめだ!」
「可愛いアンジェラを国外に出すなど心配です」
「アンジェラの身に何かあったらどうするの?」
心配という名の一刀両断である。
(もう! 過保護なんだから!)
兄たちはアンジェラが望めば何でも買ってくれるし、何だって与えてくれる。
しかし帝国から出ることは決して許してくれない。いつまでも小さな幼女のように、手元に置いたまま放してくれない。
「……」
アンジェラはしょんぼりと肩を落とし、
「……私、十五歳になるのね……」
誰に向かってでもなく、ぽつりとつぶやいた。
(前世の私が……死んだ年……)
ジュリエットは十五歳で処刑された。
十六歳にはなれなかった。
だからアンジェラとして生まれ変わった今も、ジュリエットの享年である十五歳になることを思うと不思議な感覚がした。
ジュリエットと同じ年齢になる時。アンジェラの人生は大きく動き出す──そんな気がしてならなかった。
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