第32話 ロシェル領

 黒い煉瓦れんがを積んで築かれたロシェルの城には、貴族らしいきらびやかさが一切ない。


 木製の城門は朽ちたまま、守衛も立ってはいない。門に連なる城壁はあちこちが欠けて崩れ落ち、ほりは水を張った形跡もなく乾ききっている。跳ね橋は下がったままで、巻き上げ機はすっかりびついていた。


 質素な城は、時の人として名を馳せるロシェル公の居城とは思えないほど古びている。


 かつてリオネルがここに入城した時、先代城主が残したありとあらゆる遺産を売り払ったのだ。


 城内に飾られていた由緒ある武具甲冑かっちゅうも、アンティークの調度品も、銀のカトラリーの一本に至るまで、何も残すことなく洗いざらい売却してしまった。


──住まいなど屋根があれば充分だ、とおよそ王族らしくない言葉を放ちながら。


『し、しかし第二王子殿下。それでは公爵としての示しが……』


 容赦もためらいもなく、先代城主の愛でた特注の敷石まで剥がして売り払おうとする新城主を、家臣たちは泡を食って止めにかかった。


『この城に権威など必要だと思うのか?』


 毅然と言うアイスブルーの瞳は片目だけなのに、有無を言わせない凄みがあった。


 リオネルは元々、田舎の館に母と隠れるようにして住んでいたし、母が死んで神殿に引き取られてからも、神官たちからは腫れ物扱いで遠巻きにされてきた。


 王籍に加えられたのも最近で、絢爛豪華な王族の生活などしたことがないのだから、未練もない。むしろ質素な暮らしの方が肌になじんでいる。


 さらにリオネルは自らくわを手に、城内のれた井戸を掘り起こした。


 慎重に掘り進めた先には、二重になった底と、固く蓋が閉じられた箱。


 その中に隠されていたのは、金塊と宝石。


『王宮の図書棟に、先代城主の手記が残されていたんだ』


 それはリオネルがジュリエットを支えるため、密かに王宮の図書棟に通いつめていた時、偶然見つけたものだった。


 先々代の王弟でもある亡きロシェル公によるその手記は、一見すると他愛ない文章で綴られていたが、王族に伝わる暗号の解析法で丁寧に解いていけば、公爵がこの城の井戸に財産を隠したことが読み取れた。


 発掘した財宝は、領内の数年分の税収に相当するほどの巨額の資産に換金することができた。


 リオネルは手にした埋蔵金の全額を貧民の救済と、領内の治安維持のための予算として投じた。

 

 前領主亡き後、ロシェル領を牛耳っていた代官たちは思いのほかリオネルに協力的だった。リオネルが彼らを排除しなかったからだ。


 リオネルは彼らに、主君の不在をいいことに私腹を肥やしていた証拠を突きつけながらも、罪には問わなかった。


『これほど荒廃した地なのだ。無力な善人よりも、能力のある悪人の方が役に立つ』


 リオネルは彼らに正規の地位を与えて登用し、民のために粉骨砕身ふんこつさいしんせよ──と求めた。


『私を討ってもいいが、次に来る領主はおまえたちの汚職を許さないだろう。首と胴が離れるのがいいか、私を担いでこの地のために働くか、好きな方を選べ』


 そう冷然と決断を迫ったリオネルは、年齢的には幼いはずなのに、すでに子供には見えなかった。


 深い喪失を知る、氷のような瞳。いったいどれほどの絶望を味わったならこんな目ができるのかと圧倒されるほど重い影。


 もはや子供とは呼べない壮絶な覇気を備えた少年を家臣たちは畏怖し、自ずと膝を折った。


『……お仕えいたします。我らが主』

 

 家臣たちも痩せ細る一方のロシェル領に限界を感じていたのだろう。彼らにとってもこの地が持ち直してくれた方が実入りがあるのだ。


 ものわかりよくリオネルに忠誠を誓ってくれた臣下らの働きもあり、衰弱していたロシェル領はその後、じわじわと上昇と発展を遂げた。


 リオネルが入領した時は荒廃し、砂礫されきがまばらに転がる不毛の地だった一帯は、十五年が経とうという今、すっかり豊かな緑の海へと生まれ変わっている。


 土寄せされたあぜに沿って、馬鈴薯ばれいしょが豊かな葉を茂らせていた。人々が花を摘み取りながら歌う声が年ごとに大きく、力強くなっていく。


 陽光が燦々と降り注ぐ中、リオネルは手綱を引き、颯爽と馬を走らせた。


 巡警がてら領内を見回るのは長年の日課だが、近年は大きなもめごともない。


 のどかな放牧や活気のある農作業を遠目にながめながら近隣を駆けた後は、馬のくつわを取って帰城の途につく。


「領主さまだ!」


「おかえりなさい!」


 城下では数人の子供たちが輪になって遊んでいた。


 他領では栄養失調の子供も増えているようだが、この地の子供たちは顔色がいい。


 農地改革に成功したこともあるが、ロシェル領は不思議と天災が避けて通ると言われているのだ。


 特にリオネルが領主となってからは大きな災害に遭っておらず、生まれた子供たちもすくすくと育っている。


 一人の女の子が馬鈴薯の花を手に、リオネルの前に進み出た。


「領主さま。わたしが大きくなったらおよめさんにして!」


 寡黙で無愛想な上に隻眼のリオネルは、一見して子供がなつくような風貌ではない。


 だが子供たちは現領主がこの地を救った功労者だと知っているし、溝に落ちた時や野盗に襲撃されそうになった時、領内を見回るリオネルに何度も助けられてきたので、怖がるどころか無邪気に慕っている。


「……ありがとう」


 リオネルは長身を折って、花を受け取った。


「だが、私は誰とも結婚する気はない……」


──忘れられない女性がいる、とささやいたリオネルの片眼が、紫色の花を愛おしそうに見つめた。

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