第31話 王命
「新しい聖女に民たちを癒させれば、王家の支持率も回復する! 何もかもが解決するというのに……!」
ナタンが悔しそうに吐き捨てた時。従者がテュレンヌ公を呼びにやって来た。
「宰相閣下、少々よろしいでしょうか?」
テュレンヌ公はうなずき、深々と頭を下げて退室していく。
生真面目な宰相が立ち去ったのを見計らったかのように、入れ替わりで現れたのは、ナタンの子飼いの配下の一人だった。
「国王陛下。ご提案に参りました」
配下の男はすりすり手を揉みながら、にやにやと薄笑いを浮かべた。
「提案?」
「はい。陛下にふさわしいご縁談をと思いまして」
「縁談だと?」
ナタンには妻がいる。テュレンヌ公の娘オルタンスだ。
若き日のナタンはオルタンスの妖艶な美しさに魅せられた。オルタンスと想いを通わせ、妃に迎えることが決まった時は、幸福の絶頂だと感じたものだ。
しかし結婚から十五年近い月日が経とうという今、夫婦の間には冷ややかな風が吹いている。オルタンスが子を
子供も産めないなど女として失格。王妃としても不適格だ。ナタンに後継者を与えてくれないオルタンスへの不満は、年ごとに増していった。
ナタンとオルタンスはともに三十二歳。自身はまだまだ男ざかりだが、オルタンスはもう年増で
ナタンは再婚さえすればいくらでも子を持てるはずだ。だからオルタンスの不妊を理由として離婚することも考えたが、難点は父であるテュレンヌ公が宰相として活躍していることだった。
テュレンヌ公は思慮深く
貴族たちはみな公爵に遠慮して娘をさし出そうとしないし、令嬢たちもナタンが直々に言い寄ってやっても
せめてテュレンヌ公に有無を言わせないほど高位の令嬢がこの国にいればいいのだが、権勢を誇る公爵を黙らせるほどの名家は存在しない。
配下の男はにやりと笑った。
「国内ではなく、国外に目を向ければいいのです。国王陛下にふさわしい姫君がおられます」
「国外に……?」
「はい。サフィール帝国の皇帝には皇女がお一人いらっしゃいます。陛下へのご降嫁を願ってはいかがでしょう?」
「何だと!?」
サフィール帝国は世界有数の大国だ。
国土の面積、人口の多さ、実りの豊かさ。すべてにおいて帝国は王国を上回っている。
その皇女がナタンの伴侶になったならば、聖女にも劣らない求心力を発揮することだろう。
近年、下降する一方の王室の支持率を巻き返す、起死回生の一手となるかもしれない。
「皇女の降嫁……!」
オルタンスよりもずっと高位の妻。ナタンを引き立てる最上の花嫁。
夢のような未来を思い描いて、ナタンは目を輝かせたが、すぐに力なく首を振った。
「……いや、無理だ……」
高貴な皇女は喉から手が出るほど欲しいが、今のコライユ王室に他国の人間を入れることはできない。
聖女がいないという先例のない王国の現状を、他国の人間に知られるわけにはいかないのだ。
「何よりも帝国側が許すはずがない。断られるに決まっている……」
アンジェラ皇女は皇帝の唯一の娘として、三人の兄たちからこよなく溺愛されていると聞く。
皇子たちが最愛の妹を手放すとは思えない。申し入れる前から目に見えている。
「ええ、わかっております」
配下の男の目が、不敵に光った。
「だからこそ命じるのです。──ロシェル公に」
「リオネルに?」
「ええ。飛ぶ鳥を落とす勢いの王弟殿下に、不可能なことなどないのではありませんか? 何しろ類いまれなる
「そういうことか……!」
皇女との婚約を求める使節の役目を、王弟ロシェル公に与える。
無理難題なことは承知の上。皇女の降嫁など不可能に決まっているが、国王直々の命令を遂行できなかったとなれば、愚弟の責任を問う格好の口実になる。
それだけではない。ロシェル公がいかに名を馳せ、持て
使い走りの仕事を担うのがお似合いの立場なのだと、そう内外に知らしめる絶好の機会にもなるのだ。
リオネルが失敗すれば、それを理由に愚弟を貶め、断罪できる。
万が一にも成功すれば、ナタンはこの上ない身分の王妃を迎えられる。
いずれにせよ、ナタンには何の損もない。
「わかった、そうしよう!」
ナタンはうなずいた。
「──急ぎ、王命を下す」
いつになく生き生きとした声が、
「ロシェル公に伝えよ! 至急サフィール帝国に渡り、アンジェラ皇女殿下の降嫁を取りつけろと──!」
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