第30話 聖女が現れない

 人払いをした執務室に、悲壮な声が響く。


「ふざけるな!」


 コライユ国王ナタンはわなないた。

 

「なぜ聖女が現れないんだ!」


 どれほど国中を探させても、聖女の条件を満たす少女がいない。


 誕生日が一致し、花の聖痕を持ち、奇跡の力を使うことのできる女児が現れない。 


 歴代の聖女はみな三歳前後で治癒の力を発現したと聞く。


 だがその何倍もの月日を費やしても、三つの条件を備えた新聖女はいっこうに見つかる気配はなかった。


 もう十五年近くも聖女が不在などと、コライユ王国始まって以来の非常事態。まさに未曽有みぞうの危機である。


「国王陛下……どうかお鎮まりを……」


 宰相を務めるテュレンヌ公爵は手袋をした手で額を押さえた。


「……民が城門前に殺到して訴えています。明日食べるパンにも事欠くありさまだと……」


「うるさい! パンがなければ菓子でも食っていろ!」


 ナタンは聞く耳を持たず、いらいらと髪を搔きむしった。


「くそっ……新たな聖女さえ見つかれば、すべてうまくいくはずなのに……!」


 聖女は一日も欠かすことなくコライユ王国に生まれ変わり、民を救う奇跡の存在。


 肥沃とは言いがたい王国が長年に渡って繁栄してきたのは、神が代々この国だけに聖女を遣わしたからだ。


 たとえ見つかっていなくとも、聖女が王国のどこかにいるだけで不運は減り、邪悪は遠ざかる──はずなのに、なぜこんなにも国は傾き、王家の権威は失墜していく一方なのか。


 ナタンははっと顔を上げた。


「まさか、ジュリエットの呪いなのか!?」


 死んだジュリエットの魂が、新たな聖女が生まれるのを邪魔しているのだろうか?


 いや、それでは「聖女はすでに生まれている」という神託とは矛盾する。


 では悪霊となったジュリエットの魔の手が新聖女を隠匿し、見つからないように捜索を妨害しているのだろうか?

 

「ジュリエットのせいだ! そうに決まっている!」


 ナタンは頭ごなしに弾劾し、拳で机を叩いた。


「あの忌々しい女め! 死んでまで私に災いをもたらすとは、どこまで性根の腐った悪女なのだ!」


 ジュリエットがいた頃は平穏無事なのが当たり前で、ありがたみなど感じたことはなかったナタンだが、今でも彼女の価値を認める気はなかった。


 むしろジュリエットが新聖女の顕現けんげんを妨げ、この国を呪っていると決めつけて一方的な恨みと憎しみを募らせていた。


「くそっ……魔女のもたらす厄災になど負けるわけにはいかない……!」


 聖女は聖職の長、国王は俗世の頂点。


 二つの地位は馬車の両輪のように支えあっている。片輪を欠いたまま国を操縦するのはもはや限界だった。


 特に痛手となっているのは相次ぐ天災だ。


 今日まで続く凶作の呼び水となったのは、ジュリエットが亡くなった後から降り始めた長雨。


 冷害により農産物の収穫量が減じ、翌年の飢饉ききんを招く事態となった。


 地方では農民が貧窮にあえぎ、取り置かなくてはならない種籾たねもみにまで手をつけざるを得ないほど追い詰められた。


 食べ尽くした種は当然のごとく次年には不足し、さらに貧困は連鎖していく。


 田畑や家畜を売り払う者も出たが、それでは一時的に飢えをしのげても、農業も酪農も続けていくことができなくなる。


 このまま土地を放棄する農民が多数発生すれば、社会は崩壊し、混乱はいよいよ止められなくなるだろう。


 自然災害、凶作、不漁、そして疫病の流行。


 王国に次々と不運が吹き荒れる中、遠いロシェル領だけが持ちこたえていた。


 現在のロシェル公はリオネル・ド・ランスフォール。ナタンの異母弟だ。

 

 異常気象が起こった当初、貴族たちがこぞって領地を締め上げる中で、ロシェル公だけが税を下げ、民の負担を軽くした。


 さらに自身も領民と変わりない質素な暮らしを望んでいることから、人々の支持を集めているらしい。

 

「卑しい生まれの日陰者は、ただ貧しい生活に慣れているだけだろうが!」


 ナタンは怒り心頭で悪態をついた。


 貧民同然の生活など、リオネルはともかく由緒正しい王族であるナタンにできるはずがない。


 しかし凶作の中で食料を買い占めた貴族たちは民衆の反感を買った。領地で暴動が起こった領主や、打ち壊しに遭った家もある。


 他の貴族たちが領民の支持を失う一方で、ロシェル公だけが名声を高めていた。


 国中をしたたかに襲う天災も、なぜかロシェル領だけを避けて通っている。


 偶然なのだろうが、まったく悪運が強いとしか言いようがない。

 

 隻眼の王弟と呼ばれるリオネルは、今や国王ナタンより人気があるのではないかと言われる時の人だ。


「憎たらしい……!」


 いっそ事故に見せかけて始末してやりたいが、これだけ耳目を集めるロシェル公が不審死を遂げれば、疑いの目はナタンに向くことだろう。


 現れない聖女にも、目の上のこぶとなりつつある愚弟にも、はらわたが煮えくり返る。


 ナタンは苦々しそうに歯噛みした。

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