第29話 王国の民たち

「……また値上がりかい?」


 コライユ王国の城下町。露店に並んだ品々を見て、女はうんざりと嘆いた。


 店先には青菜に根菜、果物もあるが、どれも昨年よりも小ぶりだ。痩せていて色味も悪いのに、値段だけはますます上がっている。


「昔はもっと質のいい食料が、ずっと安く買えたもんだけどねぇ……」


 豊かだった過去の時代を思い返しながら、女がため息まじりに言うと、店番をしていた男も重ねるように息を吐いた。


「仕方ないだろう。こっちだって商売あがったりなんだ」


 現王ナタンの治世も長くなってきたが、民の暮らし向きは一向によくならない。むしろ苦しくなる一方だ。


 天候の不順。長雨が招いた冷害。日照不足による不作続きで、過去に類を見ないほど国内の食糧価格が高騰こうとうしている。


 国王のお膝元であり、本来は国中で最も豊かなはずのこの町にも貧困が蔓延していた。


「ロシェル領に移住してぇなぁ。あそこは今や王都よりも食料があるって噂だぜ」


 店番の男がぼやくと、女も相槌を打った。


「あそこは税も国中で一番優遇されているし、何よりも公爵さまが話のわかるお方なんだろう? 羨ましいねぇ」


 ロシェル領は元は先々代の王弟が与えられた土地だった。


 先々代の王弟も妾腹の生まれ。当時の国王にとっては目ざわりな存在でしかなかった。


 地位こそは公爵を授けたが、男爵ですら担いたがらないような荒れ地を与えて中央政府から遠ざけた──というのが実情だ。


 ロシェルはいわば辺鄙へんぴな「はずれ」の地。ロシェル公位は名ばかりの公爵で、閑職に追いやられたも同然だった。


 その王弟の死後、ロシェルの主は一度途絶えた。


 空白期間を挟んで再び領主の座に就いたのは、現在の王弟である。


 しかし王弟リオネルは、封じられたロシェルの地で頭角を現した。


 前領主の死後、代理としてロシェルを実質上治めてきたのは家臣たちだ。


 彼らは代官として、主君にかわって所領を預かり、実務を司り、税の出納を請け負った。


 その一方、彼らは主なきロシェル領の行政をほしいままにし、自らの私腹を肥やしてもいた。


 ロシェル公リオネルは入領後、そんな彼らの悪行を把握しながらも歩み寄った。粛清するのではなく、自らの側に取り込んだのだ。


 公金を横領し、私利私欲を満たしてきた連中ではあるが、それでもロシェル領の現状については年若い新領主よりもよほど熟知している。


 敵に回すよりも手を組んだ方が利があり、首を落とすよりもつながったまま働いてもらう方が民の役に立つ。


 リオネルは彼らの汚職に目をつぶるかわりに、この地のために尽くせと求めたのだ。


 実際、痩せ細る一方だった領土は代官たちにとっても悩みの種だったらしい。


 これ以上民が貧窮しては搾取さくしゅすることさえできない。彼らにとってもロシェルが富んで損はなかったのだ。

 

「豪胆だねぇ。生粋の王族サマとは違うなぁ」


 店主の男はひゅうっと口笛を吹いた。


 さらにロシェル公リオネルはどこから持ってきたものか、巨額の財を投じて領民の税負担を軽減。自ら先陣に立って治安を乱していた野盗を討伐。馬鈴薯ばれいしょの栽培を奨励して領内全土に普及させた。


 王族でありながら、下賎な食材とされていた馬鈴薯に偏見を持たず、むしろ推し進めたのは慧眼けいがんといっていい手腕だった。


 リオネルの入領から十数年が経とうという今、ロシェル領は国内でもっとも勢いのある地方といっても過言ではない。


 かつては小悪党のように暗躍していた代官たちは、今やすっかりロシェル公の忠実な家臣となって実務に当たっている。


 ちまちまと公金をくすねていた頃よりも、よほどまともな俸給を受け取っているようだ。


「ロシェル公は恐ろしい風貌だというけどね。何でも隻眼せきがんなんだとか」

 

「片目ってことか? 別にかまわねぇけどな。顔なんかどうだって」


 見た目なんぞどうでもいい。どれだけ善政をってくれるかの方がずっと肝要だ──。


 そう言おうとして、男はごほごほと咳き込んだ。


 肺の病だ。もう長く患っていて、治る見込みはない。


 昔はこうした病気や怪我も、金さえ積めば神殿にいる聖女が癒してくれると言われていた。


 しかし今の聖女はめっきり姿を見せず、以前は開かれていた神殿の扉は閉ざされて久しい。


「今の聖女様は、まったく俺たちの前に現れないよなぁ」

 

「そもそも聖女様は本当にいるのかねぇ?」

 

「もう何年も経つんだぞ? さすがにいるだろうよ」


 聖女がいるのかいないのか、それすらも判然としない。


 新たな聖女が見つかったのか、神殿に迎えられたのか、何も公式に発表されないのだ。


 業を煮やした民が神殿に問い合わせたこともあったが、神官はあいまいに言葉を濁すばかりではっきりとしたことは何も言わない。


 女は頬杖をついて首をひねった。


「……もう二十年も前になるかねぇ。うちの爺さんがさ、前の聖女様に癒してもらったことがあるんだよ」


 不治の病と診断された祖父のため、家族みんなで何とか金を工面した。


 その金を神殿に寄進し、念願かなって聖女直々の治癒を受けることができた。


 治療は無事に成功し、祖父はすっかり元気になったけれど、聖女は青白い顔と固い表情をしていて、こちらが礼を言うのもそこそこに退出してしまった。


 あの時はなんて愛想のないお人だ、平民と口などききたくないのか、などと思ったけれど──。


「もしかしたら、ご気分でも悪かったのもしれないねぇ……」


 今思えばまるで倒れるのを耐えているような、そんな様子にも見えた。


 たった一度だけ会った先代の聖女の、はかなげな面ざしがいやに思い出される。


 女は日ざしのみる目頭を手で押さえた。

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