第28話 前世の夢

 祖国に思いを馳せていたせいだろうか。なつかしい夢を見た。 


 まどろみの中、アンジェラの閉じた視界を、一面の白色が埋め尽くす。


 静寂に満ちた神殿の内部に、質素な法衣姿のジュリエットがひざまずいている。


 ジュリエットは祭壇の前に手を組み、敬虔けいけんに祈りを捧げていた。毎日欠かさず行っていた祈りの務めだ。


『聖女ジュリエット!』


 騒々しく神殿に押し入ってきたのは、王家に仕える側近たち。彼らはすぐ王宮に向かうようジュリエットに告げた。


『早くしろ! 王妃様のお召しだ!』


 要請というよりも命令のような、高圧的な口調だった。とまどうジュリエットを側近の一人が素手で小突く。


『でも……この後は治療の予定が……』


『庶民への施しなどどうでもよかろう!』


 その日、とある老婆が病気の治療を受けるつもりで神殿を訪れていたのだが、側近たちが居丈高に中止を告げた。


──まったく身勝手な聖女だ、と老婆から不満を吐かれながら、ジュリエットは取り急ぎ王宮に赴いた。


 命じられたのは、体調不良の続いていた王妃の治癒。


 通された王妃の部屋は暗く、よどんだ空気で満ちていた。


 絢爛な寝台に横たわった王妃はジュリエットを見上げ、なじるように厳しく言いつける。


『……早く治してちょうだい。聖女ならばできるでしょう?』


 王妃はよほど病状が重いのか、体に力が入らないようだった。黒目がちの目はひどく重たげで、皮膚は乾いてかさついている。


 ジュリエットは王妃の手を取り、懸命に治癒の力を注いだ。


 王妃の体内に黒く濁るけがれに向けて、力のすべてを使いきる。


 やがて穢れは浄化され、王妃にはすっかり生気が戻ったものの、ジュリエットは強い反動に苦しんだ。


 翌日になってもまだ回復せず、不調に耐えていたジュリエットの前に、仰々しい軍ぐんかの音が響いた。


『──ジュリエット! この偽聖女め!』


 踏み込んできたのは、王太子ナタン。


「捕らえろ! 大逆をはかった咎人だ!」


 武装した兵が一斉にジュリエットを取り囲んだ。


『母上を……この国の王妃を殺害するとは、神も王も恐れぬ大罪! ジュリエット、おまえはもはや聖女などではない! 悪辣なる魔女だ!』


 憎悪をたぎらせたナタンの顔が、ぐにゃりと歪んだ。


 ジュリエットを見下ろしたナタンの顔も、ジュリエットを乱暴に縛り上げた白い手も、たちまち砂嵐の中に吸い込まれて見えなくなる。



「──っ!」


 豪奢なベッドの上で、アンジェラは目を覚ました。

 

「……夢……?」


 夢で見たばかりの光景が、まだありありと目の前に広がっている。


 それは前世でジュリエットが亡くなる直前の記憶だった。


 王妃のために聖女の力を注いだ日と、王妃を殺した魔女と断罪された日。


「……私が治療をしたせいで……王妃様が死んだ……?」


 アンジェラは茫然自失とつぶやいた。


 あの日は余りにも急な展開の中、何の真偽も確かめることはできなかった。


 何の言い分も聞いてもらえず捕らえられ、問答無用で処刑されたせいで、これまで真相を追及する暇もなかったけれど、振り返ってみればやっぱりおかしい。


「違う! 私、王妃様を殺してなんかいないわ!」


 アンジェラは勢いよく起き上がった。


「私は王妃様を害してなんかいない。ちゃんと治したもの!」


 そう思えるのは、もしも治癒の力が治療対象に伝わらなかったとしたら、使い手であるジュリエットが反動にさいなまれることもないからだ。

 

 注いだ力はただ相手を通り抜けていくだけ。効果がないかわりに、代償となる苦痛を聖女が味わうこともない。


 しかしあの時は翌日になってもまだジュリエットの体は重く、頭がひどく痛んでなかなか起き上がれなかった。


 神官から「務めを怠けるなど不心得者の聖女だ」と非難されても、どうしても動けないほど、強い揺り返しに苦しんだのだ。


 だからこそ自信を持って言える。ジュリエットは確かにあの日、王妃に巣食う病魔を退けたはずだと。


 聖女の力で回復したはずの王妃が急逝したとしたら、他の誰かが手を下したとしか考えられない。


「王妃様は……誰かに殺された……?」


 アンジェラの背筋が粟立った。


 寒くないのに寒気がして、思わず肩をすくめる。


「コライユ王国は……大丈夫なの……?」


 王妃が暗殺され、聖女が冤罪えんざいで処刑されたことを、ナタンは未だに知らずにいるのだとしたら。


 ただでさえ天災に見舞われ、衰退しているらしいあの国は大丈夫なのだろうか?


「……」


 アンジェラは帝国の皇女だ。王国の聖女ではない。


 だが、アンジェラがジュリエットの記憶を持ったまま生まれ変わったのは何か意味のあることなのかもしれない。


 たとえ今のアンジェラが本物の聖女ではなくても、コライユ王国の民を案じる気持ちは変わらなかった。


「コライユ王国に行きたい……」


 心に秘めていた願いが、口からこぼれた。


 胸がざわめいて苦しい。アンジェラは寝汗でびっしょりと濡れた額をぬぐった。

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