第27話 家族の愛
(リル……)
先ほども想起したリルの顔が再び浮かんできて、アンジェラは胸を押さえた。
ジュリエットを守ると言ってくれた、純粋なアイスブルーの瞳。
リルの真摯なまなざしは、アンジェラとして生まれた今でもはっきりと記憶に残って、心の一番深いところで光を
(リルはどうしてるかしら? 元気にしていていますように……)
リルと過ごしたなつかしい日々を思い出して、アンジェラはぎゅっと唇をかみしめた。
不意に涙がこぼれそうになって、目元に手をやった瞬間だった。
「──アンジェラ?」
高窓の
逆光の中に伸びる影が、アンジェラを見下ろしてにこやかに微笑した。
聡明さのにじむ顔立ちに、月光のようなプラチナブロンド。第二皇子ラファエルだ。
「アンジェラも来ていたのですね」
「ラファエルおにいさま!」
ラファエルは
「ん? アンジェラはもうそんな難しい本を読めるのですか?」
「あっ……」
指摘されて、アンジェラはあわてて本を隠した。
隣国に関する最新の経済報告書。アンジェラの年齢で読むには不自然と思われても仕方がない内容だ。
「ち、ちがうんです。これは……」
にわかに脳裏によみがえってくるのは、ジュリエットだった前世の記憶。
王太子ナタンは聖女のジュリエットが貧しい孤児院育ちなのが気に入らないようで、日頃から馬鹿にした態度ばかり取ってきた。
「庶民なんて無知だろう」とか「育ちの悪い人間は恥だな」とか、いちいち見下す発言をしてくるのに飽き飽きしたものだ。
そんなある日、ジュリエットは日々の祈りの務めや治療を終えてから、王宮にある図書棟に出向いた。
そこで家庭教師に連れられて来たらしいナタンとばったり出くわしたのだ。
ナタンはジュリエットを見つけるなり激昂した。自分よりも年下のジュリエットが難解な神学の本を読んでいるのが
『おまえに学など必要ないだろうが! 祈るか癒すかしか能がないくせに!』
ナタンはジュリエットの持っていた本を払い落とし、ご丁寧にそばに積んでいた別の本までも力ずくで
以来ナタンからは「小賢しいふりをして可愛くない女だ」とか「理解もできないくせに生意気だ」とか、ねちねち嫌味を言われる日々が続いたのだ。
(……ラファエルお兄様……!)
広がる書架に包まれた空間と、そこに現れた高貴な皇子という取り合わせに、ナタンから罵倒された日のことを思い出さずにはいられない。
(目立ったら……嫌われてしまう……)
それが前世でジュリエットが身をもって学んだ教訓だった。
男は女よりも上でありたいもの。女が無知で愚かならば安心するけれど、少しでも目立てば邪魔になる。
ラファエルは三人の皇子の中でもひときわ頭脳明晰な英才だ。幼い頃から神童と騒がれてきたラファエルには、己が才長けた者であるという
(お兄様も私を……生意気だと思う……?)
アンジェラが小さくて無力な妹ならば可愛いけれど、少しでも自分の脅威となりえるような片鱗を見せたなら、愛情は憎悪に反転してしまうのではないだろうか?
(どうしよう。お兄様に嫌われてしまったら……)
アンジェラがおびえて、後ずさった時だった。
「さすがは私たちの妹ですね!」
晴れ晴れと言ったラファエルの声とともに、アンジェラの体が空中に浮いた。
ラファエルが両手でアンジェラを抱えて、くるくると旋回しているのだ。
知性派として知られるラファエルだが、騎士からの指南も一通り受けているため、体は人並み以上に鍛えられている。
何回転も回るうちに、こわばっていたアンジェラの表情が笑顔に変わった。
「おにいさま。わたし、べんきょうしていいのですか?」
「もちろんです」
アンジェラがおそるおそる尋ねると、ラファエルは理知的な顔立ちに優しい笑みを浮かべた。
「学ぶことの楽しさは私もよく知っています。アンジェラが学びたいことは何でも応援しますよ。当たり前でしょう?」
「ラファエルお兄様……」
小賢しいとも、生意気だとも怒られなかった。学ぶ必要などないと切り捨てられることもなかった。
兄はアンジェラのしたいことを後押しし、応援すると言ってくれた。
(今の家族は……私を認めてくれる……!)
心に落ちたあたたかいものは、乾いた地面を潤す慈雨に似ていた。
前世では縁のなかった、家族の愛。
それはじわりと心地よく沁みながら、アンジェラの中に広がっていった。
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