第26話 馬鈴薯
「……ロシェル公、すごいわ」
アンジェラは呼吸も忘れて資料を読みふけった。
王国のはずれの地に封じられた、無名の公爵についての記述はそれほど多くない。
しかし簡潔ながら端的に綴られたロシェル公の人物像には、感服せずにいられなかった。
空位だったロシェル公領を委ねられた第二王子は、瘦せ細った荒れ地と疲弊した領民を見かね、それまで課されていた税を大幅に減免したらしい。
さらには自ら私兵を率いて、周辺を荒らしていた野盗の集団を駆逐。組織ごと一網打尽にし、壊滅に追い込んだ。
領民は晴れて重税から解放され、野盗の略奪におびえることもなくなったおかげで、本腰を入れて土地の
(減税……素晴らしいことだけれど、その分の
ロシェル公が代替とした財源の詳細までは記載されていない。
しかし領内の財政は破綻するどころか、年々上向いている。やみくもに税を下げた結果、結局領民に
ロシェル公の功績はそれだけではない。彼は入領後すぐ、小麦のかわりに
アンジェラは思わず目を細めた。
「馬鈴薯、なつかしいわ。孤児院にいた頃はよく食べたわね」
馬鈴薯は馬の首につける鈴の形に似ていることから、その名がついたと言われている。
下賤な食材と言われ一般的には人気がないし、特に貴族からは見向きもされない。
しかし平民、特に寒冷な北方の民の間ではパンの代替品として食べられることもあった。
ジュリエットの育った孤児院はしばしばパンを焼く小麦に欠き、かわりに馬鈴薯で飢えをしのいでいたものだ。
(馬鈴薯が忌み嫌われる要因の一つは、長く毒草だと信じられていたことよね……)
実際、日光に当たり過ぎて皮が緑色に変色した馬鈴薯には毒がある。
たまたまそれを食べた人間が食中毒を起こしたことから、有毒だと広く信じられるようになったのだろう。
そういえば神殿で出会った少年リルも、馬鈴薯は毒物だと思っていたと言っていた。
『ジル、本当に?
『大丈夫よ、リル。毒があるのは芽と、緑色に変色した実だけなの』
緑色になった馬鈴薯は避けるべきだが、芽が生えただけなら取り除けば食べられる──。
ジュリエットはそうリルに説明して、自らナイフで皮を剥いて芽を取ってみせた。
『ほら。これで問題ないわ。私のいたような寒い地方でも育ってくれる、とても優秀な食材なのよ』
皮を剥いた馬鈴薯の実をリルの手に乗せると、リルはまじまじと手のひらを見つめて驚いていた。
あの時の彼の表情をまるで昨日のことのように鮮やかに思い出す。
そんなリルとのささやかな思い出はさておき。
ロシェル公が推奨し、種芋を支給して広く栽培させた馬鈴薯は、寒冷な気候の中でもしっかりと根付いたらしい。
馬鈴薯は小麦が不作の年でも収穫することができるし、畑によっては年に二度実らせることも可能だ。長期保存もきくので冬季に備えての貯蔵にも適している。
領主自ら普及させたことで、今では領内で主食として広く出回っているようだ。
昨年の冬はついに一人の餓死者も出なかったらしく、領民の間ではロシェル公を支持する声が高まる一方だとか。
とても子供の手腕ではない。やはりロシェル公は幼年ではなくもう大人なのだろう。ジュリエットの知らなかった王族ということだ。
──それにしても、とアンジェラは憂いを含んだため息をついた。
「コライユ王国がこんなことになっていたなんて……」
ロシェル公領だけは持ちこたえているものの、コライユ王国全体で見れば明らかに沈滞が目立つ。
生産や雇用が目に見えて減少し、倒産や失業も相次ぎ、経済が著しく低落している。発端をたどれば多発する自然災害が要因となっているようだ。
ジュリエットが聖女だった時は、こんな大きな天災に見舞われたことなど一度もなかった。
それなのにジュリエットの死後から、まるで堤を切ったように災厄が頻発して、コライユ王国はじわじわと傾き続けている。
「新しい聖女はもういるのかな? いるわよね。あれから五年も経っているんだもの」
歴代の聖女はおよそ三歳頃に治癒の力を発現し、聖女と認められて神殿に迎えられたという。
だから現国王であるナタンの側にも、新たな聖女がすでにいることだろう。
「聖女といってもまだ五歳の女の子だものね。何もできなくても仕方がないわ」
当代の聖女の人となりや生まれた家はどこにも記載がない。聖女はコライユ王国だけの
聖女の詳細については基本的に門外不出。国外に洩れないように伏せられているのだ。
「新たな聖女を迎えてはいても、国が荒れるのは民たちも不安よね……」
コライユ王国はジュリエットを殺した国だ。アンジェラとて無念や恐怖がないわけではない。
だが、王国の民たちのほとんどに何の罪もないことは知っている。
ジュリエットが処刑された日に石を投げた民衆とて、ジュリエットの無実を知らなかったのだとわかっている。
非業の死を遂げた場所ではあってもコライユ王国はジュリエットにとって祖国だ。生まれ育った国だ。
その民たちが苦しんでいて、貧しさに
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