第25話 そんな人いたかしら?
「サフィール帝国はやっぱりすごいわ……!」
広げた本を読みながら、アンジェラは深く感嘆した。
皇女としてこの国についてもっとよく知らなくてはと、時間の許す限りさまざまな本に目を通したが、あらゆる面において帝国の水準の高さには驚かされるばかりだった。
農業、林業、漁業、狩猟業といった産業から、鉱業、工業、商業、金融業といった多種多彩な業種に至るまで、すべてにおいてサフィール帝国はアンジェラの前世の祖国を──コライユ王国を先んじ、上回っている。
「サフィール帝国はやっぱりすごいわ……!」
本日二度目となる同じ感想をつぶやきながら、アンジェラは
(……コライユ王国……)
前世で生まれ、そして死んだ国。
(あの国は今、どうなっているのかしら?)
アンジェラは広げていた本を棚に戻すと、諸外国についての情報が納められた書架を探した。
自国に関するものよりずっと数は少ないが、コライユ王国の情勢や近年のデータをまとめた文献もここには所蔵されている。
(確か今はナタン殿下が即位されているのよね?)
幼いアンジェラの前で政治的な話が交わされることはほとんどなかったが、四年ほど前にコライユ国王が崩御したことと、王太子だったナタンが新王に即位したことくらいなら、周囲が話していたのを聞いて知っている。
(あの国王陛下が亡くなられたなんて、まだ信じられないわ)
ジュリエットは前王と親交が深かったわけではないが、国王と聖女として公式の場で関わることは年に何度かあった。
前国王は身体頑健で精力旺盛な人物だった。風邪一つ引いたことのなさそうな偉丈夫だったのに、ジュリエットの死から一年も経たずに
王妃、聖女、そして国王。王国の重鎮たちが立て続けに亡くなる中、王座に就いたのはナタンだった。王妃の名はオルタンスだ。
(オルタンス様……覚えているわ。確か……)
そうだ。テュレンヌ侯爵令嬢だ。社交界の華と呼ばれるあでやかな女性だった。
(あ、侯爵令嬢じゃないわ。テュレンヌ家は公爵になってる)
オルタンスの父であるテュレンヌ侯爵は今は公爵になっていた。さらにはナタンによって宰相に任命され、彼の右腕として働いているようだ。
ナタンとオルタンス夫妻は、ジュリエットの死後すぐに婚約していた。
王太子夫妻の婚約ならば本来は盛大に祝われるものだが、王妃の喪中であったため質素に行ったらしい。
仕方ないとはいえ、目立ちたがり屋のナタンには不本意だったのではないだろうか。
さらには結婚後、大々的な披露目をする前に国王が逝去。慶事と弔事に交互に見舞われた王宮は混乱を極めたらしい。
祝っていいのか悼んでいいのかわからなくて、周囲もさぞかし困ったことだろう。
しかも予想外に早くに始まった新王ナタンの治世は、資料の数字を見る限り、どうも順風満帆とは言いがたいようだ。
(え……こんなに落ち込んでいるの……?)
コライユ王国内の経済成長率はこの五年間、坂を降りるようにして下向いている。
物価の変動も激しく、特に農作物の不作と相まって、食糧価格が年々高騰しているようだ。
原因は天候不順。ジュリエットが亡くなった直後から前例のないほど長雨が続き、冷害を招いたことが発端らしい。
堤防の決壊や
コライユ王国はこれまで年間を通して気候が安定し、自然災害がきわめて少なかった。
天災に対する認識が甘く、備えが不十分だったことも祟ったのだろう。
「でも、この地域だけは持ちこたえているのね」
王国全土で経済活動が冷え込む中、一ヶ所だけ成長率を上げている地域がある。
"duc,de Rochell"
「……ロシェル公……」
それはジュリエットが育った孤児院にも近い、北方の僻地の名だった。
前領主が亡くなって以来、ずっと
「第二王子……? そんな人いたかしら……?」
アンジェラは思わず首をかしげた。
ジュリエットが知る限り、ナタンは国王の唯一の王子だった。姉や妹はいたが男は一人だけ。
一人息子ということで甘やかされ、何でも思いのままになってきたナタンは、ジュリエットに対しても不満を隠そうとしない横柄な人物だった。彼に弟がいたなど初耳だ。
「ロシェル公は叙爵された当時は第二王子だったけれど、現在は王弟ということになるのね」
ジュリエットの死後、前国王に二人目の王子が生まれたのだろうか?
だが前王妃も亡くなったのだから、王妃腹の子ではありえない。
それにジュリエットが死んで五年だ。その後に生まれた子ならまだ幼児のはず。公爵位を授かるだけならまだしも、実際の領地運営まで担うのは難しいだろう。
「国王陛下にはあちこちに隠し子がいるという噂だったけれど……あの話は本当で、ロシェル公もその一人なのかしら?」
先王の第二王子で、現王の王弟。
王国の聖女だったジュリエットも知らない謎の人物に、アンジェラの心はざわめいた。
コライユ王国内ならば王弟ロシェル公についてもっと正確な出自を知ることができるのだろうが、外国であるサフィール帝国の文献にはそこまで詳細な情報は記載されていない。
アンジェラは再び資料に目を落とした。
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