第24話 禁室
宝石店もドレスショップもティーサロンもいらないと必死に訴え、粘ること数時間。
アンジェラは無事、兄たちが贈ってくれた三つの店の鍵のうち二つまでを突き返すことに成功した。
最後の一つについては、せめて一店くらいは受け取ってくれないと泣くと懇願されて、しぶしぶ承知せざるを得なかった。
仕方がない。皇子が泣いたらみんな困ってしまう。
翌日、皇女専属に任命されたという家庭教師がアンジェラにあいさつにやってきた。
髪を乱れなくシニョンに結い上げた、賢そうな女性だ。特別に優秀で評価の高い女教師をと、兄たちが迅速かつ厳しく審査した上での人選らしい。
「よろしくおねがいします、せんせい」
「こちらこそお願い致します。皇女殿下」
アンジェラがスカートの裾をつまんで淑女の礼を取ると、女教師はにこやかに相好を崩した。怖い人ではなさそうだ。
あいさつの後はさっそく授業が始まる。
五歳になったアンジェラは、最近ようやく昼寝をしなくても朝から夜まで起きていられるようになった。
生まれてから五年もかけて、ようやく視力も大人並みに発達したおかげで、文字を読むのも苦はない。
体力的な面でも発達的な面でも、五歳か六歳くらいから子供が文字を学び始めることが多いのは、人間の成長過程上、理にかなっているのだということを実感する。
家庭教師はまず手取り足取り、近隣諸国で用いられている公用語の読み書きを教えてくれた。
といってもアンジェラの前世は十五歳。教わるまでもなく、読み書きはすでに身に付けている。
……と言いたいところだが、読む方は問題ないのに、書く方は思いのほか苦戦してしまった。
(うぅ……手がうまく動かない……)
何しろ体は五歳児なのである。
一所懸命ペンを持っているつもりなのに指先がぐらぐらしてしまうし、端正に書きたい気持ちはあるのに実際はへにょへにょとつたない字になってしまう。脳内のイメージと現実の手先の不器用さが一致しない。
(難しいよぉ……!)
前世ならもっと綺麗な字を書けたのに、今は死にかけの蛇がのたくっているような形しか綴れない。
アンジェラは落ち込んだが、家庭教師は眼鏡の縁を押し上げながら身震いした。
「たった一度お教えしただけで完璧に習得されるなんて……」
字の巧拙はどうでもよさそうだった。五歳ならばこんなもの、むしろ上出来な部類だ。
それよりも今日初めて教えた文字をアンジェラがすべて完全に覚えて
「皇女殿下は天才ですわ! なんて賢くていらっしゃるのでしょう!」
いえ、前世の記憶があるからです。──とは言えない。
言葉を濁しながら、アンジェラはさらにたくさんの単語や綴り、文法や語彙を学んでいった。
およそ数年分の教科書の内容を数か月ほどで終えれば、いよいよ図書棟に収められている本を読むための下地ができたことになる。
晴れて皇宮の図書棟に出入りする資格を手に入れ、アンジェラはわくわくと胸をはずませた。
「わぁ……っ!」
ゆっくりと開かれた扉の先には、吹き抜けになった開放感のある空間。
アーチ状になった天井の一面に、フレスコ画が描かれている。
鮮やかに着色された天井画に届くくらい、高く設けられた本棚には、数え切れないほどたくさんの蔵書。
一冊の隙間もなくずらりと並んだ背表紙は、帝国が
「すごい……」
アンジェラは紫色の瞳を大きく見開きながら、壮麗な大書庫をぐるりと見わたした。
前世では聖女だったので、王宮の書庫に出入りすることも許されていたけれど、さすがに帝国の書庫は規模が違う。こんな大量の本を目にするのは初めてだ。
「……あら?」
アンジェラは視線を上げた。
書庫の隅、本棚と本棚との間に、ちょうど人が一人通れるほどの空間があったのだ。
空間の先は行き止まりになっているが、奥には古びた黒い扉がある。墨で塗り潰したような漆黒の闇色をしたドアだ。
「扉……?」
不思議に心を惹かれたのは、扉の歪んだ蝶つがいの間から見たことのない淡い光が洩れてきたからだ。
そっと伸ばした指先が、扉に触れようとした刹那。
「皇女殿下!」
制止の声をあげたのは女教師だった。アンジェラと黒い扉の間に立ちふさがり、きっぱりと首を振る。
「なりません。そこは禁室です。殿下であっても立ち入ることは許されません」
「禁室……?」
図書棟の中に出入りを禁じられた場所があるなんて知らなかった。
気になるものを感じつつ、アンジェラはおとなしくその場を離れた。
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