第22話 五歳の誕生日

 皇帝のただ一人の皇女のための部屋は、真珠色の壁紙で覆われている。

 

 家具や調度品はどれもパステルカラーを基調とした品々で統一されていた。


 猫足のついた机に椅子にソファー。レースの天蓋が半円球の形に広がるベッド。上質なインテリアは南向きの窓からさしこむ陽光とあいまって、室内をいっそう明るく見せている。


 大きな三面鏡の前では、母から贈られた新品のドレスに袖を通したアンジェラが、つくづくと自身の姿をながめていた。


(うすうす、そうではないかと思っていたけれど……)


 じっと鏡を見つめて、アンジェラはため息をこぼした。


アンジェラわ た し、可愛すぎない……?!)


 人間の視力は五歳でようやく大人と同レベルにまで発達するという。


 つまり今日、五歳の誕生日を迎えたアンジェラは、ついに大人並みの視力を手に入れたといえる。


 その鮮明な視界で鏡に映った自身の姿を見ると──またしてもため息がこぼれてしまう。

 

 雪のように白いなめらかな肌。紫水晶を象嵌したように澄んだ大きな瞳。睫毛はまたたけば音がするくらい長く、まるで精巧に作られた白磁の人形のようだ。


 波打ちながら広がる髪は光沢のあるシャイニーブロンド。髪色だけで言えば、三人の兄の中では第一皇子ミッシェルとよく似ている。


 鏡の中にいるのは前後左右斜めどこから見ても死角のない、完璧に愛らしい少女だった。


「前世ではよく容姿をけなされていたから、こんな美少女が自分だなんて信じられないわ……」


 ジュリエットの髪色はホワイトブロンドだった。

 

 孤児だった頃は栄養不足だったこともあり痩せっぽちで、髪にも肌にも艶がなかったが、神殿に入ってからも大きくは変わらなかった。


 聖女は清貧であれと強要され、着飾る必要などないと放置され、ろくに手入れもさせてもらえなかったジュリエットの髪は「老婆のようなくすんだ色」「色あせたネズミ色」とさんざんバカにされてきた。


「今思えば失礼な話よね……」


 あの頃は蔑まれるのが当たり前でいちいち気にしていなかったが、改めて考えると聖女に対してずいぶん無礼な物言いだ。


 別にちやほや褒め称えろとは言わないけれど、せめてもっと最低限の礼儀をもって接してくれてもよかったのではないだろうか。


 ジュリエットの記憶が残っているせいなのか。アンジェラのような抜群の美少女に生まれ変わって、どんなに外見を褒められても、どこか自分のこととは思えない。


 調子に乗るどころか、恥ずかしくてくすぐったくて、いたたまれなくなってしまう。


「それに、これ……」


 アンジェラはそっと首元に手をやった。


 総レースで仕立てられた豪奢なドレスの首まわりを少しだけまくって、鏡に映してみる。


「……やっぱり、聖痕とそっくりに見えるわ」


 アンジェラの首元に刻まれているのは、薔薇のような形をした赤い痣。


 自分で鏡を使って見られるようになってから何度も確認しているが、やはり前世でジュリエットの肩にあった聖痕とよく似ているように思える。


「どんどん色が濃くなっていくみたい……」


 年とともに消えるだろうと思っていた痣は、薄れるどころかさらに鮮明になってきた。


 不思議だが、もちろん本物の聖痕だとは思っていない。


「だってアンジェラは帝国の人間よ。王国の聖女であるはずがないわ」


 アンジェラがサフィール帝国の皇女である以上、この痣はただの偶然なのだろう。


 それでも何となく他人の目に触れるのは気が引けて、いつも首元の隠れるドレスばかり着ている。


 皇女が必要以上に肌をさらすのは不謹慎なので、特に怪しまれることもない。


 アンジェラに花の痣があることを知っているのは、小さい頃から世話をしてくれているメイドなどわずかな人間だけだ。


「もっとお年頃になっても、オフショルダーのドレスは着ないことにするわ」


 そう決意して、アンジェラは背後のクローゼットを振り返った。


 この部屋だけでも季節に合ったドレスがふんだんに取りそろえられているが、宮殿の中にはアンジェラのための衣裳部屋があと二つもある。


 三人の兄たちからことあるごとに貢が……贈られたドレスや装飾品が、三部屋を総動員しても入りきらないくらい大量に詰まっているのだ。


「私……甘やかされすぎてる……よね……」


 アンジェラとして帝国に生まれてから数年経ったとはいえ、ジュリエットとしての記憶はまだ鮮明だ。


 貧しい孤児院でのひもじい幼少期と、聖女になってからも見下され続けた神殿での暮らしを忘れてはいない。


 皇女としての裕福な人生が始まってから五年が経ったが、まだまだ贅沢には慣れることができそうになかった。


「働かざるもの食うべからず、よね! 孤児院でも神殿でもそうだったわ!」


 やんごとなき皇女の中には、どこまでも雑草魂と庶民の精神が息づいていた。

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