第21話 聖女はもう生まれている

 王妃の死から間を置かず、国王までも崩御した異例の事態に、王家と国民は大いに動揺した。


 まるで聖女が欠けたコライユ王国が、女神の恩寵おんちょうを失い始めたあかしであるかのようだった。


 混乱が国を激しく揺さぶる中。満足な支度も整わないまま、ナタンはせわしなく王冠をいただいた。


「そんな……こんなはずは……」


 屈強な父はあと十年も二十年も健在であるはずだった。


 こんなにも早くにたおれ、ろくに政務の引継ぎもできないほどに弱り、あわただしくこの世を去るなどとは想像もしていなかった。


(せめてあの時、リオネルをロシェル領に封じておいたのは幸いだった……)


 リオネルはナタンの異母弟だ。父と同じダークグレーの髪色を受け継ぎ、顔にみっともない包帯を巻いた隻眼の少年。


 父の生前に突然引き会わされたリオネルには、ナタンの発案で遠いロシェルの領地を与え、朽ちた古城に追いやってあった。


 半分血のつながった兄弟であっても、ナタンとリオネルは格が違う。主君と臣下であるのだとはっきり区別するためにもこの処遇は間違っていなかった。


 幼くしてロシェル公爵となったとはいえ、リオネルには外戚もいなければ後ろ盾も存在しない。


 荒れ果てた不毛な土地と貧しい領民たちを抱えては、リオネルは謀反を企むことなど不可能だろう。反旗をひるがえすどころか、領地を維持することすら困難を極めるに違いない。


 そう安堵しながらぎ出したナタンの治世は、ようやく二年が経とうという今、早くも暗礁あんしょうに乗りあげていた。


「聖女などどうせまたすぐに生まれる! 次こそは王侯貴族の中から聖女が誕生するはずだ!」


 今度こそ清く正しい貴族の血を引いた聖女が、新たに生まれ落ちる。


 誤った針は、女神の手で正位置に修正される──。


 そう見込んだナタンの思惑は今、あえなくくつがえされようとしていた。


「なぜだ!」


 転がった燭台をいらいらと踏みつけて、ナタンは怒りにわなないた。


「なぜ聖女が現れないのだ!?」


 ジュリエットの処刑から三年。そろそろ神官に認められ、神殿に迎えられてもいいはずの聖女はまだ候補者すら一人もいない。


 聖女として認められる条件は三つだ。


 先代の聖女が亡くなった直後に誕生したこと。

 体のどこかに薔薇の形をした聖痕があること。

 特別な治癒の力を持っていること。


 このうち生まれた日に関してはすぐ確認することができるが、聖痕は赤子の頃は色が薄くてただの痣と見分けがつかないこともある。治癒の力に至ってはもっと発動が遅く、三歳頃まで育たなくては行使できない。


 しかしコライユ王国の貴族として名を連ねる名家をすべて探っても、ジュリエットの死と同時に生まれた女児はいなかった。


 聖女を輩出することは家のほまれ。すすんで名乗り出こそすれ、隠すことは考えにくい。


 聖女の条件に符合する令嬢は一人も見つからないまま、無情にも三年の月日が過ぎた。


 焦ったナタンは神殿にかけ合い、占術を行うようにと命じた。


 なぜ聖女が生まれないのか、その理由を天に問え──と。


 そして返ってきた答えが、こうだ。


『聖女はすでに降誕している、とのことです』


『すでに降誕している、だと!?』


 ナタンは己の耳を疑った。


『生まれているというのなら、いったいどこにいるんだ!?』


 ナタンの剣幕にたじろぎつつ、神官はさらに述べた。


『何度占っても同じ結果が出るのです。聖女はもう生まれ変わっている──と』


『そ……そんなはずが……!』


 新王ナタンの治世は不幸と厄災から始まっている。


 母の王妃は魔女に堕ちたジュリエットに無惨に殺された。


 父の国王は聖女の欠けた混乱の中で病魔に取りかれ、やつれ果てた末に死んでいった。


 テュレンヌ公の娘オルタンスを妻に迎えたものの、三年経っても子宝には恵まれず、ナタンには後継ぎがいない。


 何の因果か天候までも不順が続き、長雨が招いた冷害によって国内の農作物はのきなみ不作。食料価格は年々高騰こうとうする一方だ。


 これだけの凶事に見舞われているというのに、新たな聖女さえもスムーズに見つからない。何もかもがうまくいかない。


「私がいったい何をしたというのだ!?」


 ナタンは悔しそうに顔を歪めて、ほぞを噛んだ。


「はぁ……新たな聖女もまた庶民の出ということなのか……」


 二代続けて平民出身の聖女を迎えるなど不本意でしかないが、背に腹は代えられない。


「……仕方がない。市井を探せ。国内をくまなく調査すれば、条件に合致する女児が必ず見つかるはずだ」


 ジュリエットは僻地のさびれた孤児院にいたと聞いている。


 そこまで捜索の手を広げれば、間違いなく次代の聖女は見つかることだろう。


「かしこまりました、陛下」


 国王の命を受けたテュレンヌ公は、白い手袋をはめた手をうやうやしく胸にあてた。

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