第20話 国王ナタン
「なぜだ!?」
人払いをした執務室に、ナタンの嘆く声が響く。
「くそっ! いったいどうなっている!?」
「国王陛下。どうか気をお鎮めください」
「これが落ち着いてなどいられるか!」
腹立ちまぎれに
火は灯っていなかったが、立ててあった
「陛下……」
テュレンヌ公は眉間を押さえて、深々とため息をついた。
ナタンはコライユ王国の国王と王妃を両親に持つ唯一の息子として育った。生まれながらの王太子である。
コライユ王国は海を挟んだ隣国のサフィール帝国に比べれば小国である。領土は小さく、資源は乏しく、大地は
しかし他国とは異なる特別な恵みを、天はコライユ王国だけに授けた。
生ける奇跡──「聖女」である。
聖女は当代に必ず一人。一日も欠けることなく生まれ変わって王国を守り続けると言い伝えられている。
ナタンが三歳の時に先代の聖女が天に還り、数年後に新たな聖女が神殿に迎えられた。
自身と年の近い新聖女とはいったいどんな少女なのか、子供だったナタンは大いに興を惹かれた。
しかし聞けば、遠い田舎の孤児院にいた身元不明の孤児なのだという。
ナタンは王太子として育ち、平民と口などきいたことがない。ジュリエットという名を与えられたその聖女に対して、強い嫌悪感が湧き起こった。
ジュリエットが公爵や侯爵の娘、せめて伯爵令嬢であればナタンとて尊重してやってもよかった。
過去にいた聖女たちは全員貴族の出身ばかりだった。聖女は高貴な血を引く家から出るものと聞いていたのに、なぜ自分と同世代の聖女に限って下賤な平民の娘なのか。
まるで自分の価値まで引き下げられるかのようで、ナタンの不満はくすぶる一方だった。
ナタンは顔を合わせるたびにジュリエットを嘲り、公然と罵倒をくりかえした。
いくら蔑まれても、後ろ盾のないジュリエットに抗うすべはない。
ジュリエットが逆らわないことで、ナタンの言動はますます横柄になっていったが、神殿の神官たちは
先代の聖女が高位貴族の出身だったせいで、神官たちは長年窮屈な思いをしてきたからだ。
まるで前聖女の代に抑圧された反動のように、彼らはナタンに同調してジュリエットを蔑み、卑しい平民を聖女様と仰ぐなど虫酸が走ると忌避し続けた。
そんなジュリエットが語るもおぞましい事件を起こしたのは、ナタンが十八歳の時のことだった。
ジュリエットはあろうことか、ナタンの母である王妃を手にかけたのだ。
体の不調に悩まされて床に臥せりがちだった王妃ディアーヌは、聖女の持つ治癒の力に頼り、あたかも一度は容体が回復したかに見えた。
異変が起きたのは、その翌日。
王妃はすでにこと切れ、冷たい
──ジュリエットが治療と偽って魔の力を注ぎ、王妃を殺害したのだ。
周囲はそう騒ぎ立て、ナタンは激昂。自ら側近を率いて神殿に踏み込み、ジュリエットを拘束して処刑台へと送った。
罪人の言い訳など聞けば耳が
迅速に刑が執行されてこそ、母の無念も報われることだろう。
そもそも出自の卑しいジュリエットなど、この国の聖女にはふさわしくなかったのだ。
誤って遣わされた魔女を炎に乗せて天に還せば、女神は今度こそ正しい聖女をこの国に送ってくれる。
これですべてが正されるのだ、とナタンは強く信じた。
その後、ナタンはテュレンヌ侯爵の娘オルタンスと婚約。
あでやかな美貌を持つオルタンスは、社交界でもひときわ目立つ令嬢だった。
父のテュレンヌ侯爵も
高貴な血統と華やかな外見を兼ねそなえたオルタンスこそ、ナタンの妻にふさわしい。身元も知れない地味なジュリエットとは大違いだ。
ナタンはようやく自分と並び立つに値する女を見つけた。あとは新たな聖女を上流階級から迎えれば完璧だ。
(しかし遅いな……。そろそろ聖痕を持った令嬢が生まれたと神殿から知らせがあるはずだが……)
王妃暗殺という一大事に、情報が錯綜しているのかもしれない。あるいは神官たちが務めを怠けているのか。
(まぁいい。慌てずともすぐに報告が入るはずだ)
美しい妻と高貴な聖女。自分に見合った女たちを
やがてオルタンスとの婚儀に先立って、テュレンヌ侯爵は公爵へと
ナタンとオルタンスの結婚式は、悲報に見舞われたこの国を晴れやかに照らす朗報となった……と言いたいところだが、実際は亡き王妃の喪中であったため、暗くひっそりとした雰囲気の中、ささやかに祝われた。
物足りなくはあったものの、しきたりには逆らえない。
母の喪が明けたならば正式に王太子妃の披露目をし、自分たちが未来の国王夫妻であると大々的に
ナタンはまだ若く未熟だが、玉座に就くのはまだ先のこと。それまではゆっくりと
そう思い、準備を進めていた頃だった。
さらなる不幸が王家を襲った。
ナタンの父である国王が急死したのだ。
頑健にして壮強。武を好み狩猟をたしなみ、
いくら宮中医に診させても病名は判然とせず、国王は日に日に衰弱し、やがて枕も上がらないほどに
治癒の力を持つ聖女はおらず、奇跡の加護は受けられない。
いかなる高名な医師による治療も、高額な希少薬による手当ても、何の役にも立たなかった。
かつては女神の威光の下、栄耀栄華を誇ったはずの強権の王は、別人のように病みやつれ、痩せ衰えた末に息を引き取った。
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