第17話 茨の道②
その後、リオネルは生まれて初めて自らの持つ権力を行使した。
彼の素性を知るわずかな神官に命じて、王宮の図書棟に通う権利を取りつけたのだ。
もっと学んで、多くの知識を得て、少しでもジュリエットの助けになりたい。
そう決意し、人知れず図書棟に通いつめていた矢先のことだった。
リオネルの人生を大きく変える事件が起きた。
ジュリエットが王妃を殺害した罪を問われ、王太子ナタンによって拘束されたのだ。
「……ル! ジル!」
王宮の地下牢は入り組んでいる上に厳重な警備が敷かれていて、とても一般人が入り込めるような場所ではない。
だがリオネルは抜け道を知っていた。王家の血を引く人間だけに口承で伝えられる、特別な隠し通路を。
狭い
「ジル! 大丈夫!?」
「……ありがとう、リル」
不当に投獄されたこの状況でさえ、ジュリエットが口にしたのは感謝の言葉だった。
次いで彼女はリオネルに頼んだ。――誰かに見つかる前に逃げて、と。
(こんな時まで、人のことを考えているのか)
ジュリエットはリオネルの身を案じている。自分の罪に巻き込まれることなく、リオネルに安全な場所にいてほしいと願ってくれている。
「……僕はジルといる」
リオネルは鉄格子の間から伸ばした手で、ジュリエットの髪を大切そうに撫でた。
「ジルは僕が守る! ジルを殺させたりしない!」
「リル、私は大丈夫だから」
ジュリエットはリオネルを励ますようにあたたかく笑った。
「私はこれでもこの国の聖女なんだもの。釈明の機会はちゃんと与えられるわ」
リオネルはぎゅっと強くジュリエットの手をにぎった。
「ジル! 必ず、必ず助けるから……!」
断腸の思いで再び隠し通路をくぐったリオネルは、ジュリエットを開放するために奔走した。
しかし翌日。目を疑うほど残酷な光景が、王宮前の広場に赤々と燃え上がった。
「ジル! ジル!!」
半狂乱でリオネルはひた走った。
紅蓮に染まった空。民衆の
波乱の中で欠けた左眼が最後に映したものは、愛した少女を焼く灼熱の炎だった。
そうしてコライユ王国は聖女を失い、リオネルは光の半分を失った。
ジュリエットは享年十五歳。
神殿に迎えられてからずっと祖国のため、国民のために奉仕し続けた聖女の、余りにも無慈悲な最期だった。
かけがえのない存在を失くしたリオネルは、絶望の淵に沈んだ。
「ジル……!」
もうどうやって立ち上がればいいかわからない。どうやって息をしたらいいのか思い出せない。
呼吸ができない。首が絞められるように苦しい。喉が詰まって声が出ないのに、涙だけはあふれる。
どれほど泣いても、顔を上げるだけでまた涙がこぼれた。言葉を口にしようとすれば、かわりに嗚咽がこみあげた。
「……ジル! ジル!」
ジュリエットの死という爪痕は十歳のリオネルの心に深く食い込んで、二度と抜けることはなかった。
「ジル……っ!」
リオネルは国王の子だが、地位も権力も望んだことはない。
ただジュリエットと生きたかった。彼女の笑顔を見ていたかった。
ジュリエットを失いたくなかった。奪われたくなかった。
それだけなのに──ささやかな願いさえ叶わなかった。
抜け殻のように虚脱した日々を過ごして、しばらく経った頃。
リオネルは王宮に呼び出され、実の父であるコライユ国王との再会を果たした。
王妃が亡くなったことを機に、国王はリオネルを正式に王籍に加えることを決めたのだ。
「……
王太子ナタンは突如現れた異母弟にあからさまに嫌な顔をし、父と同様、負傷したリオネルの容貌に難色を示した。
ナタンはリオネルを王族として認めることを反対し、ぶつぶつと不服を唱えていたが、父王はナタンの意を
むしろ自身の不在中、独断で聖女ジュリエットを処刑したナタンに怒りを抱いているようで、いっそ廃嫡を──と父がささやくと、ナタンは震えあがって態度を改めた。ここで廃嫡されるわけにはいかないのだろう。
「……リオネルを王族として認めます」
ナタンは不承不承そう言って、さらなる提案をした。
「リオネルにロシェル領を与えて、公爵としてはいかがでしょう?」
ロシェル領はかつて先々代の王弟が預かっていた地だ。王弟が独り身のまま亡くなって以来は治める者もなく、空位になっている。
不毛の地と化した辺境の僻地。主なきままに荒廃し、朽ち果てて廃墟と化した古城。
たった十歳の少年に領主など、とても務まるはずがない難所である。
「……つつしんでお受けします」
リオネルは逆らわなかった。
粛々と王宮を辞し、遠いロシェル領へと下った。
「こんなの、あんまりです……」
幼い主君と少ない従者たち。心もとないにもほどがある一行を見かねて、王宮の使用人たちは憐れんだ。
「ろくな
片方だけ残ったアイスブルーの眼が見開かれる。
リオネルは静かにかぶりを振った。
「……かまわない。茨とは薔薇のことだ」
もうこの世にはいない大切な少女を想いながら、リオネルは心臓に手を当てた。
「いかに棘に傷つき、血を流そうとも……薔薇の咲く道は美しいはずだ」
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