第16話 茨の道

 神殿に仕える神官たちはリオネルに冷淡だったが、信じられないことに、ジュリエットに対してさえも冷酷だった。


 何でも歴代の聖女たちが貴族の生まれだったのに対し、ジュリエットだけが平民の出身であることが気に食わないらしい。


 実際、先代の聖女は由緒ある侯爵家の出身で、生まれつき人にかしずかれるような高貴な身分だったそうだ。


 先代聖女は実家の権力も強く、本人の気位も高くて気難しい上に、侯爵家の私兵たちが常時厳しく目を光らせていて、神殿の神官たちは窮屈な思いをしていたとか。


 しかしジュリエットは貴族の生まれではなく、後ろ盾どころか実家さえ存在しない。


 そんな彼女に対して、神官たちはまるで先代聖女の時に溜まったうっぷんを晴らすかのように冷たく接した。


 ジュリエットが刃向かわないことで、図に乗った彼らの態度はますます酷いものになっていく。


「ジル……大丈夫?」

 

「ええ、リル。心配しないで」


 どんなに嘲られてもジュリエットは誰かを恨むことはなかった。愚痴さえ一言もこぼさなかった。


──こんな清廉潔白な人間がこの世にいるのか、と幼い胸がかれるほどに。

 

(ジルは聖女だ……)

 

 正式に神殿に認められたから、という理由ではない。


 リオネルにとってジュリエットこそが確かに聖なる存在だった。純粋で優しくて、一緒にいるだけで心が洗われるような清らかな少女。

 

 どれほど冷遇されても、ジュリエットの価値は変わらなかった。

 

 どんなに軽んじられても、彼女の輝きが曇ることはなかった。


 ジュリエットは聖女だけが持つ特別な能力──治癒の力を使うことができた。


 どんな深い傷も、医者がさじを投げるような難病も治すことができるのだが、その力は何の代償もなく使えるものではないという。


 治癒力の発動には反動がある。病が重篤じゅうとくであるほど、怪我が重症であるほど、癒した反動は術者に返ってくる。


 治療の対象となる人間は神殿が決めていたが、重傷者を相手に治癒をした日はいつもジュリエットの顔は青ざめ、体をむしばむ苦痛に耐えているのが見て取れた。リオネルたちに気付かれないよう、必死に平静を装っていたけれど。


「……ジル、もう無理はしないで」


 ジュリエットが身を削って治癒の力を使うたびに、リオネルの胸は締め付けられた。


 ジュリエットは他人を救うかわりに、自分が苦しんでいる。


 それなのに患者たちはろくにジュリエットに感謝さえしない。神殿から寄進の名目で大金を巻き上げられたことが不満なのだ。


 聖女を崇めるはずの神殿はジュリエットを守らない。聖職者であるはずの神官たちは彼女を利用することしかしない。


 ジュリエットの力を金儲けの手段と見なして、聖女の品格を保つため王家から支給されている金まで着服して、薄汚い私利私欲を満たしている。


(なんなんだ、この国は。腐ってる……!)


 リオネルは心の底から嫌悪した。


「こんなの、君がかわいそうだ!」


 尊大な王族たちも、強欲な神官たちも、およそ聖女に対する礼儀をわきまえていない。


 こんな腐敗した神殿も、恩知らずの民も、見捨てていいとリオネルは思った。


 このままジュリエットが彼らに搾取され続けるのを見てはいられない。


「こんないばらの道を、君が歩むことなんてない!」


 リオネルが本心をぶつけると、ジュリエットは紫の瞳を可憐にまたたいた。


「ありがとう、リル」


 自分のために怒っていることに礼を言い、ジュリエットは真正面からリオネルを見つめた。


「茨って……薔薇のことよね?」


 リオネルのアイスブルーの双眸が、見開いたまま硬直した。


「それなら、少しも嫌じゃないわ。私、薔薇の花が好きよ」


 ジュリエットは棘の痛みにおびえるよりも、花を見て好きだと笑う少女だった。


「……」


 言葉をなくしたリオネルの瞳に、ジュリエットの肩に刻まれた花の痣が映り込んだ。


 薔薇の形をした聖女のあかし──「聖痕せいこん」と呼ばれるしるしだ。


 あの瞬間から、リオネルは心に決めたのだ。


 彼女の歩く茨の道を、自分も共に歩きたいと。


 リオネルはしょせん日陰の身だ。この神殿を出られる時が来るのかさえわからない。光の当たる場所で生きられる日など、一生来ることはないのかもしれない。


 それでも、この手でジュリエットを支えたい。


 彼女の行く手に広がる悪意ある棘を、一つでも多く取り除いてやりたい。


(僕がジルを守りたい。ジルの役に立ちたい)


 心の底からリオネルはそう思った。


 "珊瑚コライユ"の名を冠する王国において、その名を体現していたのは王族の誰でもなかった。

 

 ジュリエットだけがいかなる荒波に揉まれようと汚れない、清らかで美しい珊瑚さんごだった。

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