第15話 出自

 リオネルの母は王がたわむれに手をつけた女だった。


 王室は避暑地に夏の離宮を構えている。狩猟を好む現国王はしばしば離宮を訪れ、馬を駆っては森に住む鳥獣を射て楽しんでいた。


 あるいは嫉妬深いと評判の王妃から逃れての、束の間の自由な時間であったのかもしれない。


 そんな国王の目に留まったのが、離宮のメイドとして働いていた母だった。


 母には将来を誓いあった幼なじみの婚約者がいたらしいが、国王は意にも介さなかった。


 拒むことも許されずに手折られ、囲われた母が身ごもった時。


 国王は生まれてくる子を自身の子と認め、王家の紋章と自身の徽章を刻んだ金の指輪を贈った。


 王に与えられた小さな田舎の館で、母はリオネルを産んだ。


 母は折に触れてリオネルに父から授かった指輪を見せ、肌身離さず持っているようにと言い聞かせた。

 

「リル、あなたは国王陛下の子なのですよ」


──いついかなる時も誇り高く生きなさい。


 そう教え続けた母がこの世を去ったのは、リオネルが八歳の時のことだった。


 母が危篤におちいった時も、静かに息を引き取った時も、わずか八歳の子供を喪主とするささやかな葬儀が執り行われた時でさえ、父は姿を見せなかった。


 薄情だとは思ったが、下手に駆けつければ、悋気りんきが激しいと噂の王妃に勘づかれるおそれがあったのかもしれない。


 多情な国王はリオネル以外にもあちこちにたねをばらまき、王妃はまるでしらみを潰すように、夫の隠し子を密かに葬っているとの噂だった。


 やがて母の埋葬を終えた後。リオネルは唯一の遺品である金の指輪を持って、王都にある神殿に預けられた。

 

 神殿は国内でもっとも権威のある宗教施設である。


 田舎の教会も身寄りのない孤児を受け入れて育てているが、神殿が引き受けるのはもっと貴種の子。つまりリオネルのように王侯貴族の血を引くが、わけあって親に引き取られることはできない子供だった。


 母を亡くし、父に省みられないリオネルに、神殿の人々は冷たかった。


 神殿に伺候しこうする者たちは、特に上層部ともなれば、誰がリオネルをこの神殿に預けたのかを知っていたはずだ。


 リオネルの持つ指輪の徽章の意味を理解していたはずなのだが、彼らの態度はどこまでも冷淡でよそよそしかった。


 国王には王妃との間に王太子ナタンがいる。血筋といい権勢といい、ナタンの王太子の地位は揺るぎなく盤石ばんじゃくである。


 それに比べて何の後ろ盾もない隠し子など、親切にしたところで得はない。


 むしろ王妃にリオネルの存在が露見した時、怒りを買うことになると恐れたのかもしれない。

 

 母はもうこの世にいない。父は生きているがリオネルを見ない。


 打算と腐敗にまみれた神殿で、誰もリオネルを愛さない。


 一人ぼっちになったリオネルは、ただ孤独と寂しさを募らせていった。


 そんなリオネルに初めて優しくしてくれたのが彼女だった。

 

 当代の聖女──ジュリエットだ。

 

 ジュリエットはリオネルよりも五歳年上の少女だった。


 アメジストよりも綺麗な紫色の瞳。汚れない雪を思わせるホワイトブロンド。


 いつも質素な法衣に身を包んでいて、華やかなドレスの一枚も持ってはいなかったのに、どんな飾り気のない服装でもジュリエットは内側から光り輝くように美しかった。


 ジュリエットは国のはずれにある貧しい孤児院で育ったらしい。幼い頃に正式に聖女と認められ、この神殿に連れてこられたのだとか。


 彼女はリオネルのことも自分と同じような出自だろうと思い込んでいた。親のいない、身寄りもない孤児なのだろうと。

  

 リオネルは自分の父が誰かを知っていたが、本当のことなど言えるはずがない。

 

 ジュリエットに対してもあえて否定することも、訂正することもなく、適当に話を合わせていた。


 リオネルはいつの間にかジュリエットを、孤児院時代の名だという「ジル」と呼ぶようになっていた。


 それに呼応するようにジュリエットもリオネルを「リル」と呼んだ。


 その短い愛称がまるで二人だけの秘密の呼び名のようで、リオネルは嬉しかった。


 ジュリエットと過ごした日々は、母を亡くしてからずっと明けない闇夜の中にいたリオネルにとって、射しこんだ黎明れいめいの光に優しく抱かれるような、心安らぐ時間だったのだ。

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