第11話 ファーストシューズ
兄妹水入らずのピクニックの翌日。
皇女専属の侍女は満面の笑みを浮かべて、金のリボンが巻かれた箱をさし出した。
「ご覧ください。皇帝陛下からの贈り物ですよ」
「あーう?」
この「あーう?」は「贈り物?」の意味である。
箱に入っていたのは小さな靴だった。驚くほど柔らかい皮を縫い合わせて作られていて、豪華な仕立てなのにとても軽い。
「皇子様方が皇帝陛下に願われたのです。皇女様には靴が必要だと」
アンジェラの初めてのつかまり立ちを目撃した兄たちが、父である皇帝におねだりに行ったらしい。父からアンジェラに靴を贈ってほしいと。
(皇帝陛下って今の私のお父様よね? 余りお会いしたことがないけど……)
兄たちは暇さえあればアンジェラを愛でに来るし、母のジョゼフィーヌも毎日顔を見に来てくれるが、父とはほとんど交流がない。
父はアンジェラに会いに訪れることもないし、家族の
皇帝という立場上、多忙を極めているのだろう。普通の父親とは違うのだから、家族のために時間を割けなくても仕方ないのかもしれない。
そもそもアンジェラは末っ子な上に女児。皇族の一員ではあるが、皇位の継承には絡まない立場だ。
上に三人も後継者の男子がいる以上、皇帝はアンジェラには興味が持てないのかもしれない。
(私だって、皇帝陛下とどう接したらいいのかわからないわ)
平民だった記憶の残るアンジェラにとって、帝国の皇帝など雲の上の存在だ。
いくら現世では実の父娘でも、どう触れあえばいいのか見当もつかない。
とはいえこうして贈り物をしてくれるくらいだから、父に嫌われたり疎まれたりしているわけではないはずだ。多分。
(お父様……私がもう少し大きくなったら、ちゃんと会ってくださるのかな? それとも……)
三人の兄たちが公然と妹を溺愛しているのとは対照的に、冷淡とも感じられるほどアンジェラと接触しようとしない皇帝。
(それとも……何かわけがあるの……?)
皇帝が娘に会おうとしないのは、何か自分の知らない別の事情があるのだろうか──?
疑問に思いながら、アンジェラは小さな靴をじっと見つめた。
◇◇◇
また、ずっと知りたかったことを知ったのもこの頃だった。
「今」がいったいいつなのかということだ。
誰かが「今日は何年何月何日」などと発言してくれればすぐにわかったのだが、そんな都合のいい会話はなかなか出ないものだ。
外の気候でおおよその季節はわかったし、日付くらいなら話題に出ることはあったが、年まではわざわざ口にしない。
そんな中、家族や使用人たちの話に耳を傾け、情報をつなぎあわせて、ようやく確信した。
「今」はジュリエットがコライユ王国で処刑されてから、九か月後にあたるということを。
アンジェラは生後九か月。つまりジュリエットが王国で亡くなったと同時にアンジェラが帝国で誕生したことになる。
(えっと……妊娠期間とかは考えなくていいのかな?)
人間は生まれてくる前に十月近く、母の胎内で育つ期間があるものだ。
もしも前世で死んだ後、来世の母のお腹に宿るのだとしたら、本来ならそろそろ月満ちて生まれる計算になるのかもしれない。
しかしアンジェラはとっくに生まれて、もうつかまって立てるほど成長している。
胎児の時はまだ魂が宿っていないということなのだろうか? それとも──。
(……"聖女が存在しない日は一日たりとない"……)
それは建国の頃より、コライユ王国に伝わる言い伝えである。
"──聖女は当代に必ず一人だけ"
ジュリエットが聖女だった時、幾度となく聞かされた話。
"先代の聖女が天寿を全うすれば、その命のともしびが燃え尽きた刹那に、次代の聖女が新たな生を得てこの世に生まれ落ちる──"
ジュリエットは天寿を全うしたとは言いがたいが、命尽きたのは事実だ。
最近、家族のかわしていた会話からアンジェラは自分の誕生日を知ることができた。
うすうす予想はしていたが、ジュリエットの亡くなった日とアンジェラの生まれた日は全く同じだった。聖女の条件の一つを満たしていることになる。
(偶然……よね?)
いくら生まれ変わったタイミングが一致していても、それ以前の問題だ。
大前提として、コライユ王国の聖女はコライユ王国の民にしか生まれない。
サフィール帝国の血を引くアンジェラは、王国の聖女では絶対にありえないのだ。
(きっとコライユ王国にも九ヶ月前に、本物の聖女が生まれているはずだわ)
アンジェラはジュリエットの生まれ変わりではあるが、聖女ではない。
コライユ王国でも今頃、次代の聖女となる女の子が育っているのだろう。
アンジェラと同じ月齢のその子は、今はまだ乳児だが、いずれ正式に認められて神殿に迎えられるはずだ。
(その子はちゃんとみんなに大切にされて、幸せに過ごしてくれたらいいな……)
ジュリエットのように理不尽に軽んじられ、命さえも無残に奪われる悲惨な生涯は、もう誰にも送ってほしくない。
次の聖女はちゃんと尊ばれ、敬われて、周囲から大事に扱われてほしい。
そう願うことができるのは、今のアンジェラが家族から深く愛されて、心が満たされているからなのかもしれない。
自分が不幸な死に方をしたからといって、他人もそうなればいいなどと決して思わない。
自分が辛かったから、苦しんだから、非業の死を遂げたから、だから他人も苦しめばいいなどと絶対に思ったりしない。
次の聖女はもちろん、どんな子供だって愛され守られて、健やかに育ってほしいと心から思った。今のアンジェラがそうであるように。
(私、今とても幸せだもの……)
改めて家族への感謝を噛みしめるアンジェラだった。
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