第12話 両思い

 赤ちゃんの体で不自由なことはたくさんあるが、口を上手く閉じられないのもその一つだった。


 口腔こうこうの筋肉が弱いのか、無意識のうちに口が開いて、よだれがだらだらあふれてしまう。


 よだれは子供によって多かったり少なかったり、個人差があるものだが、アンジェラは多い方だった。


 宮殿の二階に広がる絢爛華麗なダイニングホール。金の燭台がきらめき、豪華な花に飾られた長いテーブルを、アンジェラは母や兄たちと囲んでいた。


 シルクのスタイを首に結んでもらい、離乳食を食べさせてもらうのだが、拭いても拭いてもよだれが出てきてアンジェラは閉口した。口を閉じられないのに閉口した。


(赤ちゃんのスタイが絹だなんてもったいない! もっと安い布でいいのに……!)

 

 前世で孤児院にいた頃、年下の子供たちのよだれは適当な布で拭っていたものだ。こんな上等の絹は緊張してしまう。


「今日はぼくがアンジェラにたべさせてあげるね!」


 銀のスプーンを手にして張り切るのは、第三皇子のガブリエルだ。


 ガブリエルはアンジェラのとなりに座ると、野菜のポタージュの入った皿を手に取った。


「はい、アンジェラ。あーん」


 満面の笑顔とともにスプーンがさし出される。


 少し恥ずかしいものの、アンジェラが言われた通りにあーんと口を開けると、ガブリエルは舌の上にそっとポタージュを乗せてくれた。


「どう? おいしい?」


「あーいー」


 この「あーいー」は「美味しいです、お兄様!」の意味である。


 皇族お抱えの一流料理人たちが腕によりをかけて作った特製の離乳食は、アンジェラの月齢に合わせた味付けと柔らかさで提供されていて、口当たりといいなめらかさといい完璧な出来栄えだ。


 野菜をすりつぶしたポタージュは素材の甘みが生きていて、パンを煮込んだ粥はとろみのある優しい味わいで、いくらでもぱくぱく食べられてしまう。


 前世も含めた人生の中で、間違いなく今が一番いいものを食べている自信がある。さすがは帝国の宮殿だ。


「よかった。アンジェラ、いっぱい食べてね」


 アンジェラがもぐもぐ口を動かしていると、唇の端からまたよだれがこぼれた。


 ガブリエルは嫌な顔ひとつせず自分のハンカチで拭ってくれるが、前世では十五歳だった記憶があるだけに恥ずかしい。


 アンジェラが視線を感じて顔を上げると、向かいの席に座っている第一皇子ミッシェルと目が合った。


 ミッシェルは目に入れても痛くないといった表情で、妹に離乳食を食べさせているガブリエルと、食べこぼしたりスタイを汚したりしているアンジェラの両方をうっとりと見つめている。


「うちの弟と妹が可愛すぎる……!」


 ミッシェルは悶えながらダイニングテーブルに突っ伏した。


 明るいシャイニーブロンドの髪が小刻みに震え、伏せた顔の下からは「可愛い……」だの「尊い……」だのうめく声が聞こえる。


 勇猛にして果敢と名高い皇太子の、余り人には見せられない姿である。


「はぁ……本当に兄上は……」


 ため息を吐いたのは第二皇子ラファエルだった。怜悧れいりな目をすがめて、悶絶している兄ミッシェルの後頭部を凝視している。


「まったく……兄上はガブリエルやアンジェラのこととなると、すっかり骨抜きになってしまうのですから……」


(さすが冷静沈着と名高いラファエルお兄様! ミッシェルお兄様の甘々ぶりにはあきれてしまうわよね!)


 アンジェラは心の中で膝を打った。


 ラファエルは神童と呼ばれるほど利発な秀才だ。きっと兄ばかはいい加減にして落ち着くようミッシェルをさとす気なのだろう――。


「まったく……どこまでも弟妹に優しく慈愛に満ちた兄上こそ、真に次期皇帝にふさわしい方……!」


(あ、あきれてなかった)

 

 兄への尊敬の念を深めているだけだった。


 そう。ミッシェルとラファエルとガブリエルは妹のアンジェラをこよなく可愛がってくれるが、そもそも彼ら自身が非常に仲睦まじいのである。


 三人どの組み合わせを取っても兄は弟が大好きだし、弟は兄を敬愛している。双方向に両思いで相思相愛なのだ。


「ラファエル、先日の口頭試問でも満点の成績を収めたそうだな。教師が舌を巻いていたぞ。おまえは本当に自慢の弟だ!」


「いえ、兄上の剣の腕前はまさに天賦てんぶの才。稀有な逸材を指南できる栄誉にあずかれて光栄だと騎士団長が感服していました。兄上こそ本当に素晴らしいです!」


 お互いを称えあって盛り上がるミッシェルとラファエル。


 これも家族内では頻繁に見られる、ごくありふれた光景である。


「ラファエル。おまえは控えめに言って天才だ。我が弟ながら容姿も実力も抜きん出ている。いつ皇太子の座を譲っても悔いはない」


「ご冗談を。私などが兄上に勝るわけがありません。私はこの生涯をかけ、兄上の腹心として誠心誠意お仕えする覚悟……」


 隙あらば皇太子の座を譲ろうとするミッシェルと、崇拝する兄を補佐する気しかないラファエル。


 愛の強い二人は二人して弟と妹を可愛がることに命を賭けているのだから始末に負えな……頼もしい。


(お兄様たちったら、今日も仲良しね)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る