第7話 大事な用

 騎士団長はこみあげる充実感とともに、まだ撃ち合った余波が残る手で剣をさやに収めた。


 第一皇子ミッシェルに再び向き合い、丁重に礼を取る。


「ミッシェル殿下、大変素晴らしい腕前でした」


 世辞ではなかった。

 

 剣一本にその生涯を捧げてきた騎士団長は剛毅木訥ごうきぼくとつな男だ。


 たとえ皇子が相手であろうと、心にもない阿諛追従あゆついしょうを吐けるような器用な口は持ち合わせていない。


「殿下には剣の才能がおありです」


「ありがとう。卿の指南のおかげだ」


 ミッシェルは自惚うぬぼれた様子もなく、爽やかに笑んだ。


「殿下。よろしければ先ほど披露した剣技の型について、少し補足をさせていただけないでしょうか? 殿下ならさらにレベルを上げてもすぐ習得されるかと……」


「悪いが、この後は大事な用があるのだ」


 ミッシェルは金のかぶりを振った。


「また明日もよろしく頼む」


「はっ!」


 ミッシェルの姿が見えなくなるまで敬礼の姿勢を崩さずにいた騎士団長は、やがて感じ入ったようにつぶやいた。


「ミッシェル殿下は勇猛にして果敢。さすがは皇太子であられるだけのことはある」




◇◇◇




 同じころ。


 帝国の頭脳とも称される出色しゅっしょく官吏かんりは、こみあげる感服の思いを噛みしめ、本を持った手をふるわせていた。


 銀縁の眼鏡を押し上げて、第二皇子ラファエルに向かい合う。

 

「ラファエル殿下、大変見事な成績でした」


 社交辞令ではなかった。


 ひたすら学問の道だけに打ち込んできた官吏は、謹厳実直な人物だ。


 たとえ相手が皇子であろうと、歯の浮くようなおべっかを吐けるような狡猾な舌は持ち合わせていない。 


「殿下は実にご優秀でいらっしゃいます」


「ありがとうございます。先生の指導のおかげです」

 

 ラファエルは思い上がった様子もなく、謙虚にはにかんだ。


「殿下。よろしければ先ほどご質問にあった問題について詳しく解説させていただけないでしょうか? 殿下ならすぐ理解されるかと……」


「いえ、申し訳ありません。この後は大事な用があるのです」


 ラファエルはかぶりを振って、席を立った。


「また明日もよろしくお願いします」


「はい!」


 ラファエルの姿が見えなくなるまで頭を上げずにいた官吏は、やがて感極まったように嘆息した。


「ラファエル殿下は聡明にして怜悧。さすがは第二皇位継承者であられるだけのことはある」




◇◇◇



 

「兄上!」


「おお、ラファエル!」


 王宮の回廊を折れた先。ばったりと会ったミッシェルとラファエルは顔を見合わせて笑った。


「兄上もアンジェラのところへ行かれるのですか?」


「もちろんだ。アンジェラがはいはいを始めたというのでな。一刻も早くこの目で見なければ!」


「はい、兄上。私も早く見たくて勉学が手につきませんでした。急ぎましょう!」


 二人の「大事な用」とは可愛い妹のはいはいする姿を見ることだった。


 大げさではない。これ以上に大事な用などないと言っても過言ではない。


「しかしまだ生まれて七ヶ月だというのに這い始めるとは、アンジェラは兄上に似て運動神経抜群かもしれませんね」


「おてんばに育ちそうだな。そんなアンジェラも可愛い!」


 兄ばかな会話をしながらたどり着いた部屋は、帝国唯一の皇女のために愛らしいレースやリボンをあしらったインテリアでまとめられていた。


 広々とした室内は陽当たりがよく、窓の玻璃はりを透かして明るい日ざしが虹色にさし込んでくる。


「ミッシェル兄上、ラファエル兄上、おそいよぉ!」


 ぷんすか怒っているのは第三皇子のガブリエルだ。


 アンジェラの部屋で会う約束をしていたのに、なかなか現れない兄たちにご機嫌ななめらしい。


「ガブリエル、遅くなってすまん」


 ミッシェルは拗ねる弟を抱きしめて、額にキスを落とした。それからベビーベッドの柵ごしに手を伸ばし、


「アンジェラ! 会いに来たぞ!」

 

 と、ベッドの中の妹を抱きしめようとした。

  

「ミッシェル! 慎みなさい!」


 途端に厳しい𠮟責の声が飛んだ。


 制したのは皇后ジョゼフィーヌ。


 母に咎められたミッシェルはぴたっと停止し、アンジェラは小さな肩をすくめた。


(あーあ、怒られた……それもそうよね……)


 ミッシェルは十歳。まだ子供とはいえれっきとした帝国の皇太子だ。


 平民とは立場が違うのだから、いくら実の兄でも妹に気安く接するのは品位を損ねるし、沽券こけんにかかわるのだろう。


(皇太子らしく威厳を保て、とお母様はおっしゃりたいのよね。当然だわ)


 アンジェラが納得した瞬間だった。


 ジョゼフィーヌはさらに厳しく指示する。


「アンジェラを触る前に手を清めなさい。今まで騎士団長に稽古をつけてもらっていたのでしょう? 土ぼこりが付いているはずよ」


「はい、母上。承知しました」


(そっち!?)


 品位とか沽券とかではなかった。ただの清潔にしろという指導だった。


「ラファエル、あなたもです。不潔な手でアンジェラに触れるなど許さなくてよ」


「心得ました、母上」


 ラファエルも行儀よく従う。


(お母様……強い……!)

 

 母が目で合図すると、メイドが手を洗うための水を銀のたらいに入れて運んできた。


 ミッシェルとラファエルは言われた通りに土やほこりを洗い落とし、手をぴかぴかにしてから改めてアンジェラの元にやって来た。

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