第6話 花の痣
「ねぇ母上。アンジェラをだっこしてもいいですよね?」
甘えた声でおねだりするガブリエルに、ジョゼフィーヌが釘を刺した。
「気を付けなさいね、ガブリエル。人形ではないのですから」
「わかってます。こんなかわいい人形がいるはずないので!」
「それもそうね」
そう。アンジェラが生後三か月を過ぎ、首がすわったと医師に認められたことで、晴れて兄たちの悲願だった抱っこの許可が下りたのである。
必ず大人の付き添いの元、短時間だけという条件付きだが、念願かなった皇子たちは喜色満面、かわるがわる妹を抱っこしている。
ガブリエルがソファーの上にちょこんと腰かけると、侍女がアンジェラをベッドから抱き上げて膝の上に乗せた。
「やわらかーい! かわいい!」
ガブリエルは大喜びしながらも、教えられた通りちゃんと首の後ろを支えている。賢い子だ。
「アンジェラ、すっごくいいにおいがする!」
すべすべの頬をすり寄せながら、ガブリエルは嬉しそうに言った
「ぼく、ずっと弟か妹がほしかったんだ。だからアンジェラが生まれてくれてうれしい!」
ガブリエルは五歳。つまり五年間ずっと家族の末っ子だったため、下に弟か妹がほしいと願っていたそうだ。
「ね、兄上。うちの末っ子はもうアンジェラですもんね」
「そうだな。だが末っ子ではなくなっても、ガブリエルはずっと私たちの可愛い弟だぞ!」
第一皇子のミッシェルがガブリエルの頭をくしゃっと撫でた。反対側には第二皇子のラファエル。
三人の兄たちが同時にアンジェラを見つめる。
「「「生まれてきてくれてありがとう、アンジェラ」」」
(……お兄様たち……んんっ!)
兄たちの優しい言葉に感動したというのに、口から出たのはしゃっくりだった。
アンジェラの小さな胃が動いて、げぷっと喉が鳴ったかと思うと、先ほど飲んだばかりのミルクをだらだら吐き出してしまう。
ガブリエルにはかからなかったが、アンジェラ自身の着ているベビードレスの胸元が乳白色に染まってしまった。
(どうしよう。高そうなお洋服を汚しちゃった!)
ジュリエットだった頃の庶民感覚が抜けていないため、アンジェラはつい服の心配をしてしまう。
(染みになっちゃうかな? ごめんなさい……)
「アンジェラ、だいじょうぶ? ぐあいがわるいの?」
ガブリエルが心配そうにのぞきこんだ。妹は体調がすぐれないのかと不安になったらしい。
「いいえ、ガブリエル様。皇女様はお顔の色もいいですし、心配はいらないと思います」
乳母の一人がアンジェラの顔色を見て、安心させるように言った。母のジョゼフィーヌも言い添える。
「小さな子はよく吐き戻すものなのですよ。あなたたちも赤ちゃんの時はそうだったわ」
ジョゼフィーヌは特にあわてることもなく、ゆったりと構えていた。母は強い。
「ガブリエル様、失礼いたします」
「アンジェラ様のお着替えをしてまいりますね」
メイドたちがアンジェラを抱き上げ、ベビーベッドに連れていく。
ベッドの周囲にめぐらされているカーテンを閉めれば、着替えの様子は他の者には見えなくなった。
「アンジェラはまだ小さいから、ミルクを吐いてしまうこともあるのですね」
「それならいくら汚しても大丈夫なように、もっとたくさんの服が必要なのではないか?」
カーテンの向こうでラファエルとミッシェルがそんなことを話しているのが、アンジェラにも聞こえてきた。
「母上、ぼくもアンジェラにドレスをプレゼントしたいです!」
(いやいや! さっきお母様が山ほどお買い上げしたばかりじゃない?)
可愛らしく言ったガブリエルにアンジェラは目を剥いたが、ミッシェルとラファエルは名案だと言わんばかりに賛同している。
「そうだな。私たちからも贈ることにしよう」
「ええ、そうしましょう」
(も、もういいよぉ! 無駄遣いしないでください、お兄様ぁ!)
そう訴えたかったが、言葉を発しようとすれば泣いてしまう。乳児はつらい。
悶えるアンジェラの服をメイドの一人が優しく脱がしていき、もう一人が新しいベビードレスを広げた。
ミルクの染みのついた服を肩まで剥いだ時、メイドは「あら」と小さく声をあげた。
「アンジェラ様は首にお花の
(そうなの!?)
アンジェラは驚いたがもう一人のメイドは痣の存在を知っていたらしく、そうそう、と相槌を打った。
「ええ。まるで薔薇みたいな形ですわよね」
(薔薇の形の痣ってまさか……
聖痕は聖女として認められる条件の一つだ。聖女は体のどこかに薔薇の花のような痣を持っている。ジュリエットは肩に聖痕があった。
(どれ? 見え……ない……)
アンジェラは懸命に上半身をひねったが、首にあるという痣は見えなかった。赤ちゃんの体は思うように動かなくてもどかしい。
(聖痕のはずがないわよね……だって……)
聖痕は聖女のあかしだが、聖女はコライユ王国にしか生まれない。
サフィール帝国生まれ、ましてや皇帝の皇女であるアンジェラが、王国の聖女であるはずがない。
きっとたまたま花の形に見えなくもないだけの、ただの痣なのだろう。
(孤児院の子供たちにも、生まれつき痣のある子はいたわ)
体に先天的な痣があることはめずらしくない。そのまま残ることもあれば、成長とともに薄くなって消えていくケースもある。
(偶然……きっと、偶然よね……?)
そんなことを思いながら、着替えが完了したアンジェラは再び兄たちの手元に戻されて、愛でに愛でられるひとときを過ごしたのだった。
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