第4話 転生

 ジュリエットがうっすらと目を開けた時、もう熱さは感じなかった。


 黒く燃えていた煙の臭いはしない。広場いっぱいに渦巻いていた呪詛じゅその声も聞こえない。

 

 縛られた手の痛みも、投石が額をえぐって流れた血の感触も、体を焼き尽くす灼熱の炎も、すべてが跡形もなく消えていて、ジュリエットは目をまたたいた。


(私……生きてる……?)


 火に包まれて気を失った後、リルや他の誰かが救い出してくれたのだろうか?


(リル……)


 最後に会ったリルの姿をしきりに思い返しながら、ジュリエットは茫然と目を凝らした。


(ここはどこ……? すごく、まぶしい……)


 目を開けたつもりなのだが、何も見えない。

 

 がむしゃらに手を伸ばすと、ふわふわとした綿のようなものに当たった感触がしたが、それが何なのかはよく見えなかった。

 

 視界は暗いわけでない。むしろ明るい。


 目がくらむくらい明るいのに、周囲に何があるのか視認できない。どうして目がよく見えないのか不思議でならなかった。


 どうやら柔らかい布の敷き詰められた場所に仰向けになって、天井を見上げるような姿勢で寝ているらしい。

 

 ジュリエットは体を起こそうとしたが、なぜか力が入らなかった。

 

 うまく立ち上がれないどころか、上半身を起こすことさえできない。


(やっぱり私、死んじゃったの? ここは天国なのかな?)


 そう思った時だった。


「ミッシェル兄上! ラファエル兄上!」


 耳元で幼い子供の声がした。


「アンジェラが目をあけました!」


(アンジェラ? 私のこと?)


 聞き慣れない名前で呼ばれて、ジュリエットは困惑する。


「アンジェラ、起きたのですね」

 

「おはよう、アンジェラ。いい子だな」


 最初の声とは別の、複数の子供の声がした。


 誰かが寝ているジュリエットを真上からのぞき込んでいるらしい。近づいてきた人影が優しい声でつぶやく。


「きれいな紫色の瞳だな」


 ジュリエットの目は紫色だ。やはりアンジェラというのはジュリエットのことなのだろうか。


 だがジュリエットは王妃を殺害した罪に問われて処刑されたはずだ。


 絶命する直前に誰かに助けられて、ここにかくまわれているのだろうか?


(あなたたちは誰? どうして私をアンジェラって呼ぶの?)


 質問したつもりだったが、言葉のかわりにこぼれたのは泣き声だった。


 まるで子猫が鳴いているような、高くてか細い泣き声がジュリエットの口をついて出た。しかも止めようとしても止まらない。


「泣いてる!」

 

「どうしよう、泣いてるよ」


「アンジェラ、泣かないで!」


 子供たちが一斉に騒ぎ出した。


 周囲を行ったり来たり、おろおろと右往左往しているのが、モノクロの視界の中でも何となく見て取れる。


「──お下がりなさい」


 威厳のある女性の声が響いて、子供たちの動きがぴたりと止まった。


「危なっかしくて見ていられないわ。母が抱くからあなたたちは見ていなさい」


(母? この人が私のお母さんなの?)


 ジュリエットは孤児だった。木の股から生まれたわけではないだろうから両親はきっといたはずだが、顔も名前も知らない。


 急に母と名乗る女性が現れても、戸惑うことしかできなかった。


「絶対に乱暴にしてはだめよ。そっと優しく抱いてあげるの」


 ふわっと体が浮いて、抱き上げられたのだとわかった。そのまま柔らかな胸元に抱き寄せられて、女性の着ている黒色の服が頬に当たる。


(うわぁ、この人すごく上手……)


 ジュリエットを揺らす手つきは優しく、とても気持ちがよくて、自分でも止められずにいた泣き声が自然に止まった。そのままうとうとと微睡まどろんでしまう。


「あっ、泣きやんだ!」

 

「すごい!」

 

「さすが母上ですね!」


 子供たちが口々に騒いでいる。


「いいこと? アンジェラの首がすわるまで、あなたたちが抱っこすることは禁止です。妹が大事なら今は見るだけになさい」


「「「えええー!」」」


 息の合った抗議の声がこだました。


(……妹……?)


 ジュリエットが耳を疑うと、背後からさらに複数の声がした。大人の女性たちの声だ。


「皇子様がた、がっかりなさらなくても大丈夫ですよ」

 

「皇女様はすぐに大きくなられますからね」


 衝撃的な呼称に、眠りに落ちる寸前だったジュリエットの意識は一気に引き戻された。


(い、今……皇子様って……? 皇女様って言ったの……?)


 耳が拾った言葉を、すぐには信じられない。


 母と名乗っていた女性がジュリエットを揺らす手を止めた。


「抱っこはしばらくおあずけだけれど、いいことを教えてあげるわ。ガブリエル、指を出してごらんなさい」

 

「はーい」


 ガブリエルと呼ばれた子供が元気にお返事をする。


「アンジェラのおててに指を乗せてみなさい。そっとね」


 次の瞬間、ジュリエットの手のひらの中に何かが触れた感触がした。

 

「わぁ!」

 

(わぁ!)


 子供がはずんだ声をあげ、ジュリエットも心の中で叫んだ。


(思わずにぎっちゃった! しかも放せない……!)


 ジュリエットの手は、乗せられた子供の指を反射的にぎゅっとつかんでいた。


 しかも手が開かない。開こうとしてもますます強くにぎり込んでしまって、ほどけないのだ。


 先ほども自分では泣くのを止められなかったし、自分の意志で手を放すことさえできないし、いったい体がどうなってしまったのかとジュリエットはますます困惑する。

 

「兄上! アンジェラがぼくのゆびをにぎりました!」

 

「よかったな、ガブリエル!」


 子供たちはたった今までむくれていたのが嘘のようにご機嫌になって、きゃっきゃっとはしゃいでいた。


「お上手です!」

 

「さすがは皇后陛下ですわ!」


(皇后陛下!?)

 

 ジュリエットが再びあっけに取られていると、母はそっと身をかがめて額に優しく口づけを落としてくれた。


「アンジェラ、私の可愛い娘。元気に大きくなってちょうだいね」 


 この女性が皇后で、子供たちは皇子。


 記憶ではジュリエットだったはずなのに、今はなぜかアンジェラと呼ばれていて、この皇后の娘で、皇子たちの妹で──つまり。


(私、皇女様ってこと──!?)

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