第2話 投獄
──コライユ王国は女神に守られている。
女神は自らの代理人として、聖女を地上に遣わす。
聖女は当代に必ず一人ずつ。先代の聖女が天寿を全うすれば、その命のともしびが燃え尽きた刹那に、次代の聖女が新たな生を得てこの世に生まれ落ちる。
コライユ王国は建国の時から現在に至るまで、女神の白き翼に包まれて隆盛し、聖女の
王家は神殿を庇護し、神殿は女神を崇め、女神は聖女を通して民草に恵みを与える。
それがこの国の
変わることなく受け継がれてきた王国の
しかし今。当代の聖女ジュリエットは王太子ナタンに断罪され、城の地下牢に投獄されていた。
(私が治癒の力を使ったせいで……王妃様が亡くなられた……?)
突き付けられたばかりの罪状を、まだ信じることができない。
王妃が急逝し、死因はジュリエットが魔力を注いだせいだと決めつけられている。いったい何が起こっているのか理解できなかった。
(寒い……)
牢獄の床は凍えるように冷たくて、昨日から収まらずにいた頭痛がさらに酷くなる。
ジュリエットが目をつぶって、必死に痛みに耐えていた時だった。
「……ル! ジル!」
愛称で呼ばれて、ジュリエットははっと顔を上げた。
光の届かない暗い地下牢の中に、冬の日の遼天のような澄んだアイスブルーの光がまたたく。
「リル!?」
心配そうにジュリエットを見つめるのは、リルという名の少年だった。
リルはジュリエットと同じ、身寄りのない孤児だ。親を亡くしたためにこの神殿に預けられたらしい。
幼いながらも気品がにじむ顔立ちをしたリルは、思慮深くて物静かな子供だった。
神殿に引き取られた当初のリルは誰にもなつかなかったが、ジュリエットがまるで弟のように彼を可愛がるうちに、少しずつ心を開いてくれた。
神殿の厳しい空気の中でも、神官たちの冷ややかな態度の中でも、共に支え合い、励まし合えるリオネルの存在が、いつもジュリエットを支えてくれていた。
「リル、どうやってここに来たの?」
牢の外には見張りがいるはずだし、そもそもここは王宮の地下だ。厳重な警備の目をどう盗んで、ここまで潜り込んだのだろう?
ジュリエットが不思議に思っていると、リルは鉄格子の間から必死に手をさし出した。
「──逃げよう! ジル!」
リルのアイスブルーの瞳が強くきらめく。
「ジルは何も悪いことなんてしていない! 僕はわかってる!」
まっすぐな言葉に、ジュリエットは紫色の目を
体を
(リルは……私を信じてくれている……!)
ジュリエットは捨て子だった。
両親のことは何も知らない。生まれてすぐに王国のはずれに建つ孤児院に遺棄され、「ジル」という名を与えられて育った。五歳の時に聖女と認められ、この神殿に連れてこられたのだ。
「ジル」という名は短くて、いかにも庶民らしい。聖女にはふさわしくないと否定され、「ジュリエット」という名を与えられてからずっと、王家と国民のために奉仕する日々を強いられてきた。
ジュリエットがどんなに努力しても、周囲は卑しい孤児の出だと蔑んだ。
どんなに人々を癒しても、感謝されるどころか冷たくあしらわれた。
そして今、王妃を殺害した嫌疑をかけられても、誰も味方になってはくれない。
王太子も神官たちも兵士たちも誰もがジュリエットを責め立てる中、子供のリルだけがジュリエットを守ろうとしてくれている。
「……ありがとう、リル」
たった一人でも、自分の無実を信じてくれる人がいる。そのことが何よりも嬉しかった。
だが、同時に湧きあがるのは恐怖だった。
この世で一人だけ、ジュリエットを「ジル」と呼んでくれる、優しくてまっすぐなリル。
もしもリルがジュリエットの共犯者だと疑われ、罪に連座されてしまったなら──。
それはジュリエットにとって、自分が罰されることよりもずっと恐ろしく思えた。
「リル、お願いだから逃げて! 誰かに見つかる前に、早く!」
「僕はジルといる!」
リオネルは鉄格子の間から伸ばした手で、ジュリエットのホワイトブロンドの髪を大切そうに撫でた。
「ジルを殺させたりしない……!」
「リル、私は大丈夫だから」
ジュリエットはリルを安心させように、明るく笑った。
ジュリエットを
誠心誠意、王妃を救うために治癒の力を使った。そう司法にも訴えるつもりだと、リルに伝える。
「私はこれでもこの国の聖女なんだもの。釈明する機会はちゃんと与えられるわ」
決して巻き込まれないでほしい。ジュリエットが無実を証明するまで、リルには安全な場所にいてほしい。
そう説き伏せるジュリエットの手を、リルはぎゅっと強くにぎった。
「ジル! 必ず、必ず助けるから……!」
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