第33話 露見

 

 慌ただしく年末に追われる林田の元に一通の匿名の手紙が届く。

 普段ならその手の手紙は捨て置く林田だったが、今回だけはどうしてもその手紙を開けなければいけない気がして珍しく手ずから封を切った。


 そしてそこに書かれていた内容と同封された写真に全身が沸騰するように燃えたぎる。

 ぶるぶると両手が激しく震えた。

 

 「朱里と零が……恋仲だと?」


 ぐしゃりと紙が歪む。

 手元から落ちた写真には、零の屋敷で、口づけを交わす二人の姿が収められていた。


 「許さん、許さんぞ!零!アレは私の物だ!」


 青筋を立て林田は大股で部屋を出る。


 「くそ、一体いつからだ!?以前堂珍からの報告があった時か!?いや、あの後あいつはほとんど屋敷にはいなかったはずだ……!」

 

 朱里と別れたのは昨日のこと。あの時の朱里はまだ普段通りの愛らしい義娘むすめだった。

 そうすると自分が帰った後にあのようなふざけたことをしていたというのか!

 

 怒りで顔を真っ赤にした林田は周囲に怒鳴り散らしながら車の準備を急がせる。

 秘書に激高しながら今日の予定は全てキャンセルさせた。

 

 ああ、そうだ。

 あの髪もあの顔も!声も!体も全てが全て!

 あの少女の全身を暴くのは自分だったはずなのに!


 まさか血を分けた息子に横からかっさらわれるとは思いもしなかった。

 あんな捨て置いたような人間が朱里に触れるなど我慢ならない。

 

 殺してやる……と林田は胸ポケットの拳銃に手をやった。

 零を殺して、奴の全身が肉塊になるまで刻みつくして、その死体の前で泣き叫ぶ朱里を何度でも犯してやる。

 

 狂気に濡れた目で嗤う林田は既にこの世のものとは思えぬ形相だった。

 そんな彼の様子を一羽の白い鳩がじっと眺めていたが、それに気を留める者はいない。

 

 あの時、確かに別邸にはシュリとルシファーの二人しかいなかった。


 記憶が戻ったシュリの、ほんの僅かな魔力ハヤが神の御許に届くまでは。

 




 

 「……おとう様だわ」

 

 時計の針がもうすぐ夕刻になろうとした頃にシュリが愕然と呟く。

 あれから、まだ半日しか経っていない。

 

 ルシファーは眉をひそめ、宥めるようにシュリに触れた。

 

 「ちなみにどっちだ」

 「多分…………両方」

 「……タチが悪いことこの上ないな」

 

 諦めにも似たため息が漏れる。

 両方という事は、恐らくシュリの存在が創生神に露見したのだ。


 シュリの記憶が戻ったことで彼女の魔力ハヤが揺らいだのかもしれない。

 なんと目ざといことだろうか。


 「どれくらいでここまで来るか分かるか?」


 まだ人の身であるルシファーには、堕天使のシュリほどの広範囲の気配察知は出来ない。

 こうなってしまったら、もう人ではいられないだろう。


 「多分、30分もない……と思う。すごいスピードで向かってくるから」


 張り巡らせた意識に恐怖を覚える。

 どうして自分にそこまでの執着を見せるのかシュリには全く理解できない。


 ルシファーは表情を落したシュリを引き寄せ、スマホを取り出しどこかに電話を掛けた。


 「俺だ。……林田に俺とシュリの事が露見した。……いや、それは分からないが今こっちに向かってきている。戦闘になるからお前達にはシュリの側にいて欲しい。……あぁ、俺達は今から館の正面玄関に向かう」


 話の内容的に相手はメイドの誰かだろう。音葉なのかもしれない。

 そう考えていたらルシファーはいつも通り最低限の指示だけ出して通話を切った。


 「考える暇など、あの創生神が与えてくれるわけがないか。……大丈夫か、シュリ」

 

 ぐっと片腕で抱かれてシュリはルシファーの服を強く握りしめる。

 まだ自分もルシファーも、記憶が戻って一日も経過していないし、彼はまだ人の身だ。


 堕天使の体に戻っても、シュリが補填した魔力ハヤがどうなっているかも定かではない。

 

 全てが全て、不安材料でしかなかった。


 「落ち着け、油断はしない。お前はメイド達を守ってやれ」

 「……うん……」


 それでも時が動いてしまった以上、腹をくくるしかない。

 一度だけぎゅっと目を閉じてシュリは大きく息を吐き、その決意を翡翠色の瞳に宿らせた。


 「大丈夫。またルシファーが危なくなったらちゃんと助けるから」

 「……そうならないよう留意する」


 ぎゅっと互いの体温を感じて。

 もう二度と離れないために、ふたりは再度、反旗をひるがえすのだ。



 

 「え?え?えぇ――?しゅ、朱里様!?」

 「その髪、どうされたんです~?」


 予想通りの小春と美海の反応にシュリは困ったように笑った。

 この時間がない時に、どう説明したらいいか分からない。

 

 「色々と事情がある。シュリの元々の髪色はこっちだ」


 事情の一言でまとめられてしまった。


 (それはそうなんだけど……!確かにそうなんだけど……っ)


 これで納得はしないだろうと思ったが、メイドの二人はへぇっと頷きを見せただけだ。

 シュリは驚きに固まる。

 

 「え……?信じて、くれるの?」

 「ん?そりゃあ零様がそう仰るのなら、何か事情がおありなんだろうなぁって」

 「うんうん、だって元々朱里様は記憶がなかったんですもの~どんな理由があっても不思議はありませんよ~」


 曖昧な事しか言ってないのに深く追求せずに、にこにこと接してくれる小春と美海にシュリは感極まってしまう。

 あぁ、このメイド達には本当に感謝してもしきれない。


 「――零様。ひとまず堂珍は眠らせてきました。しばらくは目覚めることはないでしょう」

 「分かった」

 「しかし本当にご当主様がいらっしゃるんですか?連絡など一切届いておりませんが」

 「いちいち連絡などしてこないだろう。自分のものを取られたと癇癪をおこすような男だからな」


 遅れてやってきた音葉と言葉を交わしながらさらりと手の甲でシュリの頬を撫でる。

 小春と美海がきゃーきゃーと黄色い歓声をあげて音葉に一睨みされていた。

 

 「しかし、本当に逃走手段を準備しなくても?朱里様の安全を考えればただ迎え撃つだけなど……」

 「問題ない。今回に限っては逃げても無駄だからな、やっかいな父を二人も持つと面倒だから両方とも叩き潰したほうがいい」

 「……二人、ですか?」

 

 音葉は林田以外にもいるのだろうかと怪訝そうに首を傾げた。

 

 「あぁ、シュリの記憶が戻った。お陰でシュリには非常にやっかいな父親がもう一人いることが分かってな、そのどちらもがシュリを取り戻そうと躍起になってここに向かってきている。……俺を殺してシュリを取り戻す気だろうな」


 ルシファーの説明にげんなりとした顔で音葉はため息まじりに肩を落とす。

 

 「朱里様の記憶が戻られたのは喜ばしいですが、それは……なんというか、本当にやっかいな状況ですね」

 「朱里様たいへん~ちゃんと私達が守って差し上げますからね~」

 「うんうん。朱里様はもう立派な女性なんですからお父様方には早々に子離れして頂かないと困りますよね―?今は零様という素敵な恋人がいるんですから」

 「こい、びと……」


 左右から小春と美海にぎゅっと抱きつかれてシュリは物珍しげな言葉をなぞるように口にした。


 (そういえば、私達に恋人期間なんてあったかしら?)

 

 地獄に堕ちた後はすぐに夫婦になったし、想いを伝えた後といえば今も昔も逃げるために必死だった気がする。

 そう思ったら昔と全く同じ状況の今が何だか少し面白くなってしまって、不謹慎かもしれないが笑いがこみ上げてきた。


 「シュリ?」

 「ふふ、ごめんなさい、少し昔を思い出しちゃった。私達の恋人期間っていつもおとう様から逃げているのね」

 

 緊迫した今がほんの少し和らぐと、シュリはルシファーのそばに寄って頭を彼の胸元に預ける様にくっつける。


 「……もう……戻って、平気?」

 「あぁ」


 ぐっとルシファーがシュリを片手で抱き寄せ、音葉達に視線を向ける。

 音葉に小春に美海。10年来、自分のそばにいてくれたメイド達だ。


 「今まで世話になったな」


 一言、簡潔に礼をいうと三人とも怪訝そうな顔をした。

 

 「…………零様?」

 

 「俺も、大事なことを忘れていた。……シュリのおかげでようやくそれを思い出せたんだ」


 凪いたルシファーの漆黒の目が真っすぐにメイド達を見る。

 今から対峙するのは自分の創生神ちちでもあり、シュリの義父ちちだ。


 前回のような無様を晒すわけには絶対にいかない。

 恐らく、これが最後の戦いだ。


 

 「俺達は人間じゃない」


 

 ルシファーがそう口にすれば、ばさりとシュリが己の純白の一対二翼いっついによくを広げ、ほんの少し宙に舞い上がった。


 「!?」

 

 メイドの三人が息を飲むのが分かる。

 それでも、もう、止まることはしない。


 ルシファーよりほんの少し高く舞って、シュリは彼の頬に両手を伸ばして口づけた。

 

 

 願うように。


 彼が、愛する元のルシファーに戻れるように。


 

 ぱぁぁと光が溢れてシュリとルシファーは光に包まれる。

 あまりの眩さに一瞬目がくらんだメイド達が、そろりと視線を戻した時


 自分達の眼前には、純白の二枚の翼を持つシュリを抱くように十二枚の漆黒の翼を持つ、”零”だったはずのその人の姿があった。


 

 「黙っていて、ごめんね」


 シュリが申し訳なさそうに笑う。

 すうっと二人の翼がとけるように消えて、先ほど見たものは幻じゃないかと思うほどだ。


 地面におり立ったシュリが再度メイド達に向き直った。

 

 「改めて、自己紹介させてね。私は、シュリ。堕天使のシュリって言います。……そして、彼が私の大切な夫」


 ふわりとシュリが微笑む。

 

 無事にルシファーが元の器に戻れたのだと思ったら、心から安堵の笑みがこぼれた。

 翼がなければ零と何も変わらないけど、それでももう、彼の肉体は人間のものではない。


 ルシファーは全身を流れる力に目を閉じ、馴染ませるように魔力ハヤを体中に循環させた。

 不思議と以前よりも力が研ぎ澄まされていて、自分の魔力ハヤとシュリの魔力ハヤが合わさっている感覚が新しい。

 

 ルシファーがゆっくり目を開ければ、目の前には最愛の妻と、その妻のついの天使の魂を分けた三人のメイド達が映る。

  あの時の驚きは、メイド達の生涯で一番だったとのちの彼女らは語った。


 

 「魔王……ルシファーだ」


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