第32話 愛の言葉


 「……リ、シュリ」


 まどろみから覚醒したら、ぼんやりとした視界に気づかわしげな最愛の顔が映った。

 

 「どうした?」


 優しく撫でられて、自分が泣いていたことに気付く。

 

 でも、決して悲しいわけではない。

 切ないけど、優しくて温かいそんな気持ちにシュリはぎゅっとルシファーに抱きついた。


 

 「……おねぇちゃんだったよ」

 「?」

 「音葉達、シエンの魂を持ってた」


 驚きにルシファーの目が見開く。

 彼の胸元に顔を埋めたまま、瞳を潤ませながらも嬉しそうな声色でシュリは笑った。


 「夢、かな。うんん、あれは夢じゃない。だから分かったの。シエンが最期に願った色彩。音葉の青、小春の緑、美海の金。あの時、三つに砕けた魂は三人の中にあったの」


 ずっと貴方を守ってくれていたのね、とシュリが微笑んでルシファーの頬を撫でれば、彼は少しだけ複雑そうな顔をした。

 

 8歳の時から10年を共にしてきた少し年上のメイド達。

 ずっと共に生活し、一緒に訓練を受け、数々の修羅場も越えてきた。

 

 シュリがこの屋敷に来てから以前より尚の事、姉弟のような関係性になったと思っていたが。


 「……ある意味、本当の意味で俺にとっての義姉あねだったんだな」

 「ふふふ、そうね。私のおねぇちゃんだから、ルシファーにとってもお義姉ねえちゃんね」


 彼女たちに記憶はないけど、その事実は変わらない。

 あの魂は確かにハサーシエンのものだったから。

 

 

 「魂は砕けちゃったから……記憶はないと思う。それでも、また会えて嬉しい」

 

 「……そうだな」

 

 

 ふと、シュリは彼の頬の傷に触れた。

 堕天する時のあの戦いで大天使・ミカエルにつけられたルシファーの裂傷。

 

 なんの因果か、人間の器になっても同じ場所に同じように刻まれている。

 ルシファーはさして気にしてないようだったが、やっぱり目につく傷跡は痛々しい。


 

 「……治す?」

 「いや、いい。どうせ器を戻せばまた傷が残る。……あれは聖剣で出来た傷だからな」


 愛おしむようにルシファーはシュリの髪に口づけた。


 記憶と魂は完全に戻ったにしろ、今の体はまだ人間の”零”のままだ。

 この体の裂傷を治したところで堕天使の体に戻ればまた傷は頬に残るだろう。

 

 ミカエルの聖剣でつけられた傷は決して癒える事なく、未来永劫、魂に刻まれるのだから。


 

 「……そういえばよく天界に見つからなかったな。シュリは、堕天使のままだろう」


 

 そう聞けばシュリは苦笑気味に笑う。

 

 

 「長い間眠っていたし、魔力ハヤも少なすぎて見つけられなかったんだと思う。きっと私くらいの力なら人界にも溢れてるし。まぁ隠れる分にはちょうど良かったかな」

 

 「………………悪かった」

 「ふふ、私が勝手にしたことなのにどうしてルシファーが謝るの」


 

 シュリは笑ったが、ルシファーは居心地悪そうにシュリの体を抱きしめる。

 

 この人の体ではまだシュリの魔力ハヤをうまく感知できないが、恐らくは彼女の言う通り、人に紛れてしまえば感知できないくらいにシュリの魔力ハヤは少なくなってしまったんだろう。

 

 彼女の献身的な翼を失う代償行為は、結果的には彼女の身そのものを神の目から守ったらしい。

 だが、その諸刃の剣を選ばせたのは紛れもない自分だ。

 

 (あの時、明らかにラグエルの様子はおかしかった。あの時点でもう少し警戒していれば……)


 そう後悔したところで過去は二度と戻らない。

 

 ラグエルが神の依り代になるなど、あの時の誰が想像しえただろうか。

 ルシファーが死にかけるのも、シュエルが三対さんついもの翼を失うのも。


 誰も、誰も、予想できなかったことだ。


 「……だから、今度から守ってね。ルシファー」


 シュリの声に彼女に目線を向ければ、自身の最愛は柔らかく微笑む。


 

 「私の事を守って、離さないで。……もう二度と、あんな思いはしたくない……」

 

 「……あぁ」


 

 誓いのようにルシファーはシュリに口づける。

 離しかけてしまった自分の手を、彼女は懸命にその手で繋いだのだ。

 

 それは一度ではない。

 ”ルシファー”の時も”零”の時も、シュリはどちらの手も絶対に離そうとはしなかった。


 

 「シュリ」

 

 

 彼女にどれだけの感謝を捧げれば、愚かな自分の罪は消えるだろうか。


 

 「愛してる」

 「……うん、私も愛してる」


 

 蕩けた表情の最愛の姿に、ルシファーはのしかかるようにシュリに覆いかぶさった。




 

 

 ちゃぽんとシュリはお湯に身を沈めた。

 あの後、再度ルシファーに美味しく頂かれてしまい、体はもうクタクタだった。


 魔力ハヤで体を清めてもいいけど、どうせならお湯につかりたい。

 少々恨めしげにルシファーにそう言えば、彼は二つ返事でシュリの為に準備をしてくれた。


 浴槽のふちに置かれた温かいタオルの上に首を預ければ、ルシファーが馴れた手つきで髪を洗ってくれてシュエルは幸福なため息をつく。

 

 少し骨ばった、男性特有の指の感触がなんともいえないくらいに気持ちいい。

 疲れている今なんかは特に、だ。

 

 完全に全身がお湯で弛緩して、幸せな気分で微睡まどろみそうになった時だった。

 

 「あ!」

 「……なんだ」

 「髪の事っ!音葉達になんて説明しよう!?」


 頭を起こそうとしてやんわりとルシファーに制され、そのままシャワーで泡を洗い流される。

 丁寧にシャンプーをすすがれ軽く水気を切ってから、今度は毛先までしっかりトリートメントを施された。

 

 彼も同じシャンプーを使ってるのかと思ったけど、どうやらメイド達がドアの前まで届けに来てくれたらしい。

 

 ご丁寧にシュリの服や下着もセットで。

 

 なんと気が利くメイド達だろうか。

 小春と美海のニマニマした様子が手に取るように分かる。

 

 

 「魔力ハヤで色替えをするか、いっそ音葉達に事情を説明するかだな」

 「えぇぇぇ、でも私、ずっと色替えしとくの忘れそう」

 「じゃあ話すか?」

 「私達、実は堕天使なんですって?……それ絶対、信用してもらえない……」

 

 

 今のシュリは黒髪から元の美しい金色の髪に戻っている。

 すでにその時点で中々に信用してもらえない気がするが、そこはあえて黙っておくことにした。


 

 「……ハサーシエンとしての記憶はないだろうが、魂が覚えている部分はあるだろう。それを起こしてやることはできる」

 「そうなの!?」

 「だが、他の魂に触れるとなると人の身は捨てないといけないがな」

 「……ぁ」


 

 しゅんと一気にシュリのテンションが下がった。

 今、こうやって彼とのんびり過ごせているのは彼がまだ人間で、天界に察知されていないからだ。


 (ルシファーが元の体に戻ったら……また、戦闘になる……よね)


 なんとなく、あの創生神が自分を諦めるとは思わなかった。

 聖力マナもなく、純潔でもない。堕天使となって、悪魔を産んでも、それでも創生神ちちは”シュエル”に固執している気がする。


 「……お義父とう様みたい」


 そう口にすれば、スンと腑に落ちるものがあった。

 

 そうか、どうやら自分は”父親”というものとすこぶる相性が悪いみたいだ。

 最も、ルシファーも実の弟のミカエルと死闘を繰り広げたし零も義母に殺されかけているし、実父に至っては言わずもがなだが。


 「……あの男がどうした」


 シャワー音に紛れて気付かないかと思ったが、トリートメントを流してくれたルシファーの耳にはしっかりと届いていたらしい。

 シュリは小さく首を振った。


 「うんん。私、父親運がないなぁって。創生神のお父様もあんなだし、零のお義父とう様もあんなでしょ?」

 「…………」

 

 ルシファーは何も口にせず再度、シュリの長い髪の水気をきってからひとまとめにしてくれる。

 このあたりは堕天使時代にもよくしてもらっていたから慣れたものだ。


 彼自身も浴槽に入ってきたのでシュリが場所を空ければ、後ろからゆるく抱きしめられる。

 シュリもルシファーに寄りかかるようにして身を寄せた。


 「……林田アレはまぁ問題ない。だが、創生神だけは厄介だな」

 

 当時、絶大な魔力ハヤを有するルシファーでさえ創生神の神のいかづちの前になすすべもなく倒れた。

 

 相手は自分たちをも創造した全知全能なる神。

 正直、真正面からやりあった所で勝てる見込みなどないにも等しかった。


 「もしも、お父様への打開策があるのなら、ルシファーの失った魔力ハヤを私の魔力ハヤで補填したから……それくらい?」


 神の最愛いとしごと言われたシュリは常に創生神と触れ合っていたからか、当時からその聖力マナは変異しており、普通の天使とは違っていた。

 それは堕天使になった後でも変わらず、彼女のまと魔力ハヤはどちらかというと天使や堕天使という枠組みではなく、に近しいものだったのだ。

 

 「昔の私なら、お父様を倒せなくても相討ちくらいには出来たのかもしれないけど」


 魔力ハヤを失ってしまった今ではそれも叶うまい。

 ぐっとルシファーの腕に力が入り、シュリに顔を寄せる。

 


 「――もう、お前に背負わせる気はない」

 

 

 考えることは山ほどあったし、メイド達に髪色の説明をどうするかも結局決まらずにいた。


 それでも死に別れていたかもしれない最愛との再会したばかりの今を、もうしばらくは誰にも邪魔されずにふたりだけで揺蕩たゆたいたかった。

 

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