第24話 決断

 

 あの後、いくつかの取り決めを行いルシフェルはエデンの門まで戻った。

 

 『本当なら三ヵ月って言いたいけど、二カ月で準備する。実は、ネトーシュ区の奴らも引っ張っていこうかって話が出てんだ。どうせ天界から見捨てられてるんだから地獄うちが貰っていっても問題はないってのがベル姐の話で、現状すでに10人単位でネトーシュ区の連中を連れて行く予定らしいから、それならって事でな。だからその辺をイブリースの姐さんにお願いしようかなって。まじで人手不足なんだよな~うち』

 

 『まぁ、それは問題ないだろうが……しかし、彼らは聖力マナが低い者が多いだろう。地獄の環境に適応できるのか?』

 

 『ここも結構、地獄に近い空気だから平気なんじゃないかって思う。でももしも無理なら上位結界が必要になるから、そうなるとルシ兄あたりの力が欲しいなとは思うんだよ。ある程度はレヴィ姐の結界でいけるとは思うけど、ルシ兄ならレヴィ姐より聖力マナは上だろ?』

 

 『そう、だな。恐らくだが』

 

 『じゃあもしもの時は頼む。浄化の力だけでいえばシュエル様が天界一だからその辺も実は期待してるんだけど』

 

 『堕天使が浄化を期待するのか』

 

 『はは、そりゃ勿論!俺達は目的の為なら手段は選ばないぜっ!』

 

 

 太陽のように明るい笑顔のあの少年と出会い、ルシフェルの心は本当に軽くなった気がする。

 切れそうなほどに張りつめていた彼の心は今までのどんな自分よりも凪いていて、それはとても不思議な気分だった。

 

 

 「おや、おかえりなさいませ。ルシフェル様」

 「あぁ」

 

 執務場に戻るとサタナエルが頭を下げ、そしてルシフェルの顔を見て微笑む。

 

 「かの堕天使はやはり不思議なお方のようですね。お出になられた時より随分と余裕がお戻りです」

 「……そう、見えるのか」

 

 はい、とにこやかに返事をしてサタナエルはルシフェルから肩掛けのマントを受け取る。

 この男に隠し事は中々できそうにない。

 

 「余裕のない男は女性に嫌われますからね。気を付けられたほうがよろしいですよ」

 「…………。覚えておく」

 

 一瞬シュエルの顔が浮かんで、確かに大分余裕がなかったかもなとルシフェルは自嘲した。

 

 執務机の上には珍しく片付けられた書類があり、後はルシフェルが裁可を出すだけの状態になっている。

 にんまりとサタナエルが笑った。

 

 「わたくしめもバアル様と同じく、やれば出来るのですよ。やれば!普段は上司があまりにも優秀で出番がございませんが」

 「そうか。精々あと数ヵ月はこの調子でやってくれると助かるが」

 「あぁ!いけません……持病の癪が……っ!」

 「相変わらずだなお前は。留守を頼んで悪かった、上がっていいぞ」

 

 本当にルシフェルの周りには一癖も二癖もある天使ばかりだ。

 それで苦労することも多いが、そのお陰で慰められている部分も小指の爪程度にはあると一応は自覚している。

 

 とっぷりともう深夜になろうとしている時間にも関わらず、仕事をしてくれた副官には感謝をすべきだろう。

 

 「――数カ月とおっしゃいましたが、残された時間は実質いかほどなんです?」

 

 にこやかだが、声のトーンが少し変わる。

 あの鮮やかな少年の姿を思い出しながらルシフェルは静かに口を開いた。

 

 「二ヵ月、との事だ」

 「二カ月……そうですね、その程度の時間は必要でしょう。しかし、事態がどう動くかはこれこそ神のみぞ知るといったところでしょうかね。ならばわたくしめも早めに動くといたしますか」

 

 ルシフェル様も程ほどにしてお休みくださいね、と言い置いてサタナエルは一礼してホールから出ていく。

 

 一から十を悟る男だ。

 軽口以外はあまり話さずに察して動ける有能さはさすがの天使・天使長付きの副官なんだろう。

 

 (……恵まれたな)

 

 バアルにしてもサタナエルにしても。サタンにしても、シュエルにしても。

 

 ”闇”の天使である自分にはもったいないくらいの存在だ。

 全てが神の思し召しだとすれば、そこには最大級の感謝を捧げたい。

 


 あの密談の後、バアルはネトーシュ区に残ってイブリースやサタンと今後を話し合っておくと言ってくれた。

 

 守護天使としてエデンの門から長く離れられないルシフェルと違って、バアルはいつもフラフラしているので彼がいなくても気にする者がいないことも功を奏し、仲介役はそのまま彼が受け持つことになったようだ。

 

 だが、二カ月という時間はあくまで最低期間であり最大期間でもある。

 サタナエルが言ったようにいつ事態が動くかは分からない。

 

 それでも着の身着のまま逃げようとしていたあの頃とは違い、今は心強い味方もいる。

 そして、何よりも愛し、誰よりも愛を返してくれた存在がルシフェルを強くさせる。

 

 (必ず……そこから出してみせる)

 

 誓いを胸にルシフェルは早々に書類を片付けると、音もなくホールの灯りを消した。



 


 それから約ひと月半が過ぎ。

 

 バアルの報告から着々と準備が進んでいるとルシフェルを介してシュエルの耳まで届いていた。

 明日には創生神おとうさまがまたこの神の楽園エデンにやってくる。

 

 (ここは私がしっかりしなきゃ……)

 

 決して気取られてはいけなかった。

 今はもうシュエルとルシフェル二人だけの問題では無い。

 

 例えきっかけに過ぎないとしても、シュエル達の決断は多くの天使と堕天使の心を動かしたのだ。

 

 ルシフェルと自分だけの二人きりだと思っていたシュエルの世界は意外にも広く、多くの者が関わってくれていると知ってからはまだ見ぬ友を思って勇気を貰えた。

 

 しかし。

 

 「……?」

 

 どうにも昨夜、ルシフェルが帰ってから感じるようになった違和感にシュエルは首を傾げる。

 

 時折、聖力マナが歪むようなそんな感覚。

 どうにも落ち着かない感じだ。

 

 (このエデンで聖力マナが歪むなんてあり得ない……よね?)

 

 今まで味わったことが無い感覚にシュエルは戸惑う。

 

 しかし、聖力マナの歪みは時間が経つにつれその感覚が短くなり、一晩過ぎた今でははっきりと乱れているのが分かる。

 

 シュエルの体内を渦巻く聖力マナは、三種類の色を持っていた。

 一つは色濃いシュエルの聖力マナ。そして残りの薄く消え入りそうなふたつは――

 

 

 「…………っ!」

 

 

 思わず息が止まり、気が付いたら館を飛び出していた。

 

 残りのふたつの聖力マナはシュエルの体内を渦巻いているのだ。

 

 まだ弱々しく、微かな聖力マナだけど。

 

 でも確実に。

 

 シュエルには分かった。分かってしまった。

 

 この二つの聖力マナは――


 

 「ルシフェル!」


 

 己のに宿っているのだと。



 自分至上最速で門前に舞い降りると、縋るようにシュエルは門を叩きルシフェルの名を叫ぶ。

 まだ食事の時間には早すぎるけど、彼は守護天使だからきっとそばにいるはずだ。

 

 (お願い……気付いて……っ!)

 

 ずるずると力が抜けて座り込む。

 突然のことに頭が回らない。

 

 「……シュエル?」

 

 門の向こう側からルシフェルの驚いた声が聞こえて、彼の気配を感じた途端に思わず泣きそうに視界が歪んだ。

 

 「ルシフェル……っどうしよう……!」

 「落ち着け、シュエル。どうした?何があった?」

 「明日……明日にはお父様が来られるのに……!」

 

 これまでの皆の協力全てを台無しにしてしまうかもしれない。

 そう思うと怖さで胸が苦しくなり、縋るように門に打ちつけた両手がカタカタと震えた。

 

 ルシフェルの気配が尚近くに感じる。

 座り込んだシュエルに合わせて身を屈めてくれたようだった。

 

 「大丈夫だ、落ち着けシュエル。俺がいる。俺達を案じてくれる者もいる。……一人じゃない。だから落ち着け、大丈夫だから」

 

 熱を持たない門がじんわりと温かく感じた。

 自分の熱とルシフェルの熱が合わさった、そんな気がする。

 

 「…………っ……」

 

 震える手をぎゅっと握りしめ、浅い呼吸をなんとか無理矢理飲み込む。

 彼に愛を告白したあの日よりも、喉はもっと、もっと震えていた。

 


 「で、き……たの」



 無意識のうちに自身の手で守るように下腹部に触れる。

 枯れた喉から絞り出すのは、この真実の愛よりも尚罪深いものだ。

 

 神の実ファー・エロヒムではなく、女の腹から生まれし、この天界で最も忌み嫌われるもの。

 それは、この天使の肉体だけを繋げたところで決して出来るものではなかった。

 

 神以外へのの愛がないと絶対に出来えない、神の愛から外れ、天から嫌悪され、絶対禁忌の”悪魔”と呼ばれ堕ちるもの。

 

 「あか、ちゃんが……」


 そう言い終わるのが早いか、ガンッ!と普段ではありえない激しさで門が開く。

 驚きのあまりに目を見開くシュエルの体は気が付けばルシフェルに抱きすくめられていた。

 

 「るし……ふぇ……?」

 「俺は、お前を泣かせてばかりだな」

 

 あまりに突然の事に状況がよく掴めない。

 ぎゅっと頭を強く抱きこまれ、硬直したように体が動かなかった。

 

 「今夜だ」


 呆然自失のシュエルの耳朶にルシフェルの決意のこもった声が届く。

 

 「今夜、お前さらう」


 今にも溶けてなくなりそうなほどに怯えるシュエルの髪を撫で、瞼に口づけて。

 ルシフェルはこれ以上ないというほど愛おしさと切なさが混じった顔でシュエルを見つめた。

 

 「――シュエル。俺の子を、宿してくれてありがとう」

 「……ッ!」

 

 死にそうなくらい不安だった気持ちがようやく赦されたような気がする。

 そう思った瞬間、シュエルのがたがたと震える体は最愛の腕の中で嗚咽と共に決壊した。

 

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