第18話「まなみとの日々」

まなみが去ってから、部屋の中から彼女の痕跡が少しずつ消えていった。


置き忘れたものもなく、彼女の香りも、音も、日々の中で薄れていく。ただ、静かな「空間」だけが残っていた。


それでも、心の中に残るまなみの記憶は、逆に鮮やかさを増していくばかりだった。


彼女との日々が遠ざかるどころか、時間が経つほどに私を締め付けていた。


一人で過ごす朝。


以前ならリビングで聞こえた彼女の小さな足音や、無意識に交わしていた「おはよう」の一言が、今はただ静寂として私を取り囲んでいる。


静かな朝の光が、彼女がここにいた証を浮かび上がらせるようで、かえって胸が苦しい。


隣に誰もいない食卓に座るたび、まなみの笑顔が頭に浮かぶ。


彼女が笑いながら「リカさん、今日は何する?」と尋ねてきたあの日々が、まるで昨日のことのように鮮明に蘇る。


その幻影が私の胸を締め付け、食事の味さえも感じられなくなる。


新宿の街を歩くと、いつも隣にいたまなみの姿がないことに、街全体が異様に冷たく感じられる。


ネオンの光は相変わらず眩しいけれど、まなみがいないだけで、この喧騒がひどく無意味なものに思えてくる。


以前、まなみと一緒に歩いた夜の歌舞伎町。


ネオンの光に照らされた街を、まるで熱帯魚がカラフルな水槽の中を泳ぐように、二人で楽しんだあの時間。


彼女が「リカさん、私たちってまるでネオンテトラとエンゼルフィッシュみたいですね」と笑ったことを思い出す。


「手を伸ばせば届きそうなのに、すぐにすり抜けてしまう感じがするんです」と彼女は言った。


その言葉の意味を、今になって深く感じている。まなみはまるで美しい熱帯魚のように、私の人生に鮮やかな色彩をもたらしてくれた。


でも、手を伸ばしても彼女はもうここにはいない。


夜になると、あの短い日々がまるで幻のように蘇る。


まなみと一緒に過ごした夜の温もり、彼女の無邪気な笑顔、そして一緒に見たネオンの輝き。


まなみが「リカさんといると、ずっとこのまま二人だけの水槽にいられる気がする」と言った言葉が胸に響く。


彼女との時間が、こんなにも特別で、私の心を救ってくれていたのだと、失って初めて気づいた。


数ヶ月が経っても、心の中で彼女の存在が消えることはなかった。


むしろ、彼女がいなくなったことで、どれほど大切な存在だったかが日増しに鮮明になっていく。


ふと、水槽の中で泳ぐ熱帯魚を眺めている自分に気づく。まなみと一緒に買った小さな水槽。


中を泳ぐネオンテトラとエンゼルフィッシュたちが、まるで私たちの思い出を映し出しているかのようだ。


「手を伸ばせば届きそうなのに、すぐにすり抜けてしまう感じ」


彼女が言ったその言葉が、今の自分の心情と重なる。まなみはもう手の届かない存在になってしまった。


夜が訪れるたび、彼女との日々を忘れられない自分がいる。


まなみとの思い出が、まるで水槽の中の熱帯魚のように、私の心の中で色鮮やかに泳ぎ続けている。


その光景が美しいほどに、胸の痛みは深くなる。


彼女がいなくなった現実を受け入れようとしても、その喪失感は消えることなく、静かに胸の奥で膨らみ続けていた。


まなみとの日々が夢だったのなら、私は今もその夢の残像にしがみつき、彼女の温もりを求めているのだと気づく。


熱帯魚たちが静かに泳ぐ水槽を見つめながら、私はそっと呟いた。


「まなみ、君は今どこで泳いでいるの?」


彼女がいないこの世界で、私の心は空虚な水槽のようにぽっかりと穴が開いている。まなみとの思い出が美しいほど、現実の冷たさが身に染みる。


それでも、あの日々があったからこそ、私の心には確かに色彩がもたらされた。


彼女が教えてくれた温もりや喜びを胸に、私はまた一歩ずつ前に進んでいかなければならないのだろう。


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