第17話「別れの兆し」
それからの私たちは、まるで他人のように過ごすようになっていた。日々、重ねていくすれ違いに蓋をするように、ぎこちない挨拶だけが空気を切り裂く。
互いのことをまだ気遣っているかのように見えても、それはただの習慣であり、もはや心の底からのものではなかった。かつて共有していた温もりや笑顔さえ、過去の残像として私の胸に居座り続け、その欠片だけが冷たく、そして鋭く私を突き刺す。
ある朝、リビングに入ると、まなみがいつもと違う表情で佇んでいるのが目に入った。小さなバッグを持ったまま、彼女は虚ろな瞳で私を見つめ、淡々と告げた。
「リカさん、今までありがとうございました。もう…ここには、いられない」
その言葉を耳にした瞬間、心臓が深く沈んでいく感覚に襲われた。あまりに静かな言葉に、私は息をするのも忘れるほどだった。
まなみの声はかすかに震えていたが、そこには迷いや躊躇が一切感じられなかった。彼女の言葉の裏には、私たちが抱えてきたすべてのすれ違いと、その小さな積み重ねが確かに響いていた。
「まなみ…行くの?」
やっとの思いで絞り出した声は、驚くほど頼りなく、まるで他人事のように遠く感じた。まなみは私の視線を避けるように目を伏せ、冷たくも静かな声で続けた。
「これ以上、リカさんに頼るのが怖いんです。私たち…このままだと、お互いが壊れていくだけだと思うんです」
その言葉が、私の心を容赦なく打ちのめした。いつから、私たちの関係はこんなにも重く、そして彼女にとっては苦痛なものになってしまっていたのか。
彼女の口から出る言葉ひとつひとつが、私の中にある思い出を削ぎ落としていく。かつての楽しい時間も、温かかった日々も、今となっては幻だったのだろうか。
「迷惑なんかじゃないって、言ったでしょ?」
かすれた声で否定する私に、彼女は何の表情も浮かべなかった。ただ、諦めのような静かな表情で頷き、私の言葉を受け流していた。
その冷たさが、まるで私が彼女にとってもう意味を成さない存在であることを暗示しているようだった。
「リカさん、もうやめましょう。こうしているだけで、お互いのことをもっと傷つけるだけですから」
そう言いながらも彼女の声は落ち着いていて、その落ち着きがかえって私の胸を締め付けた。
もう、私には彼女を引き留める資格がないのだという現実が、冷たい事実として突きつけられていた。
すべては、もう手遅れだった。
まなみは静かにバッグを肩にかけ、最後にほんの一瞬だけ私に視線を向けた。その目の奥には、かつてのまなみが持っていた純粋な温かさは微塵も残っていなかった。
私が触れようとすると遠ざかっていく、まるで蜃気楼のように、もうそこには届かない存在として彼女が立っていた。
「さよなら…リカさん」
まなみはそう言い残し、振り返ることなくドアに手をかけた。扉が開き、冷たい朝の空気が部屋の中に流れ込む。
その冷気が、彼女が消えていく事実を一層際立たせた。私はただその場に立ち尽くし、何もできないまま彼女の背中を見送るしかなかった。
どれだけ言葉を尽くしても、どれだけ手を伸ばしても、もはや私の存在は彼女の中に何の意味も持たないことを、痛いほど理解してしまったからだ。
扉が静かに閉まり、部屋には再び重苦しい沈黙が訪れた。その音が、まなみとの関係の終焉を告げていた。
どれだけ温もりを求めても、もはや彼女は戻ってこない。手を伸ばすほどに遠ざかり、私の心の中で深く刻まれていく喪失感だけが、確かなものとして残された。
その後、部屋の中はまなみがいた痕跡を失っていった。彼女の気配も、香りも、すべてが時と共に薄れていき、ただ私の胸の奥には耐えがたい孤独と喪失感だけが重くのしかかる。
何度も何度も、あの穏やかだった日々が思い出されるが、それはただ手の届かない過去の記憶として、苦しみとともに胸を締め付けた。
あの短い日々は、私の中で永遠に戻らない「壊れゆく楽園」だった。再び温もりを求めることさえ許されない現実が、冷酷に私を突き刺し続けた。もはやどうすることもできない。
彼女がいなくなった空虚な部屋で、ただ一人、過ぎ去った夢の残骸に埋もれていく自分を感じるしかなかった。
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