第10話「静かな夜と秘密の共有」
ある晩、仕事が休みの日、私はまなみと並んでリビングで映画を観ていた。
「映画でも観ない?」と何気なく提案したのは、彼女が少しでもリラックスして笑顔になってほしいと思ったからだった。
映画が進むにつれて、まなみの表情がどこか切なげに変わり、懐かしさと哀愁が漂う儚げな顔つきになっていった。
映画が終わり、静寂が戻った部屋で、まなみがぽつりと語り始めた。
「この映画…ママと一緒に観てたんです。毎年、誕生日になると一緒に観るのが恒例で。ママが忙しくても、この時間だけは一緒にいてくれて」
彼女の声はかすかに震えていた。その表情には、温かな愛情と共に、深い哀しみが浮かんでいる。
まなみがどれほど母親との時間を大切にしていたのかが、彼女の静かな語りから痛いほど伝わってくる。
「でも、ママがいなくなってから…もうこの映画を観ても、ただ辛くなるばかりで」
まなみの視線がふと宙を彷徨い、やがて再び語り始めた。
「リカさん、あの日…私を見つけてくれてなかったら、たぶん私はもう生きていなかったと思います」
その告白に、私は息を飲んだ。
あの夜、彼女が一人で街にいたとき、自暴自棄になっていたのだと初めて知る。
「まなみ、どうしてそんなことを…」私はおそるおそる尋ねたが、まなみは苦笑を浮かべ、どこか遠くを見るように話し続けた。
「…ママがいなくなって、父と二人きりになってから、家は…まるで地獄でした」
彼女の声には、怒りとも哀しみともつかない深い感情が混じっていた。
「父はいつもお酒に逃げて、私に暴力を振るってました。些細なことでも、私が彼の気に障ると手を上げられて。殴られたり、髪を引っ張られて部屋から引きずり出されたりするのが日常だったんです」
彼女の言葉に、私は心が締めつけられるようだった。
無邪気に見える彼女が、そんな過酷な生活を強いられていたとは想像もつかなかった。
「それでも…私はその家で耐え続けるしかなかった。どこにも行くところがなくて。たまに優しかった父が戻ってくるんじゃないかって…ずっと期待してたんです」
その淡々とした口調の中に、深い絶望と無力感がにじみ出ている。彼女がどれほど辛い日々を送っていたかを思うと、言葉が出てこなかった。
「だから、母がいなくなった後は、誰も私を大切にしてくれる人なんていないんだって…そのことに気づくのが怖かったんです。でも、あの日、もう何もかもどうでもよくなってしまって」
まなみの目に一瞬だけ涙が浮かび、彼女はかすかに笑った。
「だから最後に思い切りこの街で遊んで、もうすべて終わらせようと思ってました」
「まなみ…」
私は彼女の言葉に胸が詰まり、そっと彼女の手を握りしめた。
「でも…リカさんに声をかけられたとき、何かが変わったんです。誰かが私を見つけて、声をかけてくれたのが、ただ…嬉しくて」
その時の安堵がよみがえるのか、彼女は小さく震えながら私の方を見つめた。
「リカさんがいるから、今こうして生きてるんです」
彼女の瞳に浮かぶ安堵と哀しみが交錯して、私の胸に深く響いた。まなみの手を離さないように、私はそっと肩に手を回した。
「もう…大丈夫だよ、まなみ。私がいるから、もう一人にはならない」
まなみは少し照れたように笑い、バッグから小さなノートを取り出した。ノートの表紙には、彼女の手書きで
「リカさんと私」
と書かれている。
「リカさんとの思い出を、こうして書き残してるんです。リカさんと一緒にいると、自分が大切にされてるって感じられるから…忘れたくなくて」
彼女の気持ちに胸が満たされていくのを感じた。
普段は無邪気で遠慮がちに見える彼女が、私との時間を宝物のように綴っている。
「でも、リカさんにはちょっと恥ずかしいから、読まないでくださいね」
と彼女は照れくさそうに笑い、ノートを閉じた。
その夜、彼女の本音と深い孤独に触れ、「リカさんと私」というノートの言葉が心に深く刻まれた。
彼女がかつては捨てられたように感じていたその心を、少しでも支える存在でありたいと強く思った。
私もまた、彼女にとってかけがえのない存在であることを誇りに思い、そばにいることを誓ったのだった。
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