第4話 滅びの足音。

 ── 聖誕祭へ。




 エスに「戦友」と言われて、チクリと胸に痛みを感じた。放っておくのが礼儀だと言われて、胸を撫でおろしもした。


 良かったのか悪かったのかを考えると、話すとすぐにでも告白を迫られていただろうから、やはり良かったのだろうと、マリカは思う。


 なんのことはない。


 このころにはすでに、マリカは毎日のようにアンジェラと会っていたのである。


 きっかけは、贖宥符を受けてから間もないあの日、エスから強いられてアンジェラに「こんにちは」の挨拶を敢行したことだった。そのときのそっけない対応を気にしていたらしく、後日、廊下ですれちがったときにアンジェラから声をかけてきてくれたのである。


「マリカさん、ごめんなさい。前に挨拶してくれたときね、なにを話したらいいかわからなかったの。ほら。わたし復職したばかりでしょう。もうあなたのクラスは受けもっていないし、なにかとわたし目立つから……、で、最近はどう。元気だった?」


 マリカはこくりとうなづいた。


 四年前とおなじだ。


 アンジェラには、自分の弱みも過ちも隠すつもりがない。


「授業が終わったら給湯室で休むことにしているの。暇だったら来て。またお茶でもしましょう」


 そう言い残して、アンジェラは他のクラスの授業へと去っていった。


 放課後、マリカは給湯室をおとずれた。入口の扉は開かれていて、アンジェラは壁に背をもたれてポットの湯が沸くのを待っていた。足元には竹刀袋と手荷物がおかれている。


 マリカに気づくと、アンジェラは手をひらひらと振った。


 湯沸かし台にはまだ封を切っていないハーブティのセットがあった。「これでいい?」と開けて示されたのは、ローズヒップのティーパックだった。


 なみなみと注がれたマグカップを両手で受けとるとき、ちいさく礼を言ったのがマリカの発した唯一の言葉だったろう。このころはまだ施設のバイトをはじめたばかりで、マリカから話しかけるということは考えられなかった。アンジェラとしても話をする必要は感じていないようだった。


 季節は秋の初めだった。


 窓は中庭に面していて、桜の黄ばんだ葉が窓ガラスの外に繫っていた。


 ふたりは三十分ほどもかけてマグカップ一杯のハーブティを飲み干した。洗い物をし、扉の鍵を閉めて、階段で別れた。


「またおいで」


 アンジェラははにかむように笑った。


 こうして、放課後のアンジェラとの密会がすでにマリカの日課となっていたのである。


 正直、身体がそうおおきくはないマリカにとって、マグカップ一杯のハーブティを飲み干すのは楽ではない作業だった。しかし、そのぶんアンジェラのそばにいられる時間が増えるのだと思うと、苦にはならなかった。アンジェラはたいてい外の桜の樹を眺めていたから、その彫りが深く野性味の強い横顔を思う存分に鑑賞することができた。マグカップを受け取ろうとして指が触れてしまったときには、そこに絆創膏をはって三日ほども皮膚に残る感触を保存していた。


 ただ、マリカの記憶によると、四年前のアンジェラはもっと陽気な印象があった。今のアンジェラも紛れもなくおなじアンジェラではあるものの、陰があり、しっとりと魂の濡れている冷たい感じがした。




          ◇          ◇




 秋から冬へと季節が変わり、聖誕祭が近づいてくると、告白したのされたのと学内は騒々しくなった。それは浮かれるというより切羽詰まった感じで、マリカと同じように「この町が滅ぼされるかもしれない」という噂に焚きつけられたのかもしれない。女子高であるから相手はたいてい他校の男子だったが、学内の同性というものも珍しくなかった。


 そんなおり、マリカはエスたちと桜の樹の下から頭蓋骨を掘りだした。別れ際、エスはマリカにアンジェラへの告白をすすめ、マリカはその実行を心に決めた。


 審判は、聖誕祭礼拝式の日。


 エスからもらった予言の詩の中に「命を代価として愛を掴み取る」という句があった。もしほんとうにアンジェラの愛の一片でも手に入れることができるなら、マリカには、上棟式の餅撒きのように、自分の命でも魂でもダース単位でバラ撒いてやる心づもりがあった。そして、「愛を代価として命を取り戻す」。これは解釈が難しいが、もし愛欲を捨てて永遠の命を手に入れるという意味であれば、マリカ自身も修道女になってアンジェラと共に神の道を生きるということなのかもしれなかった。共に死ぬということなのかもしれなかった。


 その後幾日かして、風邪をひいたのでしばらくバイトを休むとアカリから連絡があった。心配した施設の職員から様子を見にいってほしいと頼まれ、おとずれると、エスは不在で、見るからにひどい有様のアカリがひとりでいた。部屋におかしな気配を感じたが、なにも見えなかった。施設で焼いたクッキーを出して、お茶を入れた。用事を終えるとすぐに帰った。




          ◇          ◇




 学園の聖誕祭礼拝式は例年、聖誕日から五日ほど前に終業式を兼ねて行われるが、今年は予定よりも遅れて聖誕日当日に行われることになった。


 その原因は、町の東区で生じた無数の落雷にあった。平日の早朝のことで、学校に行く前の準備で忙しく「地震かな」ていどで済ませていたが、一帯の家屋が倒壊し、火が燃え広がって千人以上の死者が出たという。落雷の一時間ほど前には、巨大な黄金色の光柱が大地から立ちあがり、鳥たちが空を黒く埋め尽くして騒ぎ立てていたようだ。この町としてはかつてない大災害だった。


 「滅び」の噂は本当だったのかと町中が震撼した。教会は祈りをする人たちで溢れ、にわか説教師が街頭で大声を張り上げた。自暴自棄になる輩もいたようだが、各地区の自警団がものものしい武装で見回りをし、町はおよそ混乱を免れていた。コンビニ強盗を試みた若者がリンチに遭い、繁華街の交差点にある信号機に吊るされていた。


 バイト先の施設から連絡が入った。


 施設の建屋が遺体の安置所として使われることになったので、とうぶんお休みとのこと。


 学園では寮生を中心として被災地へのボランティア活動が企画された。山の修道院との合同企画で、学生たちは教師と修道女に引率されて現場におもむくことになった。マリカも寮生であったから否応なくこのボランティアに参加させられた。


 出発のおり、参加者全員に防塵マスクが配られた。被災現場には目に見えない細かな火の粉が舞っており、それを吸いこまないよう常時これを装着するように、とのことだった。引率の修道女の中にはアンジェラの姿もあった。彼女にいつもの明るい表情はなかった。


 被災地へはまずバスを利用し、運行の停止されているところからは荷物を背負って歩いた。バスをおりたとたんマスクをつけることを指示された。まわりの家屋は焼け焦げており、被害のひどい地区に入ると、ほとんどの家屋が焼け落ちて白い曇り空が広がっていた。歴史の教科書の写真で見たことのある戦争で焼かれた町のようだった。


 道路のひらけた場所にはテントが立てられて、ボランティアたちが町役場の職員の指示に従って働いていた。警察や消防の職員たちはグループを作って瓦礫の下を調べ、もしかすると見つかるかもしれない生存者を探している。被災した人たちは開放された公共施設に収容されており、怪我をした人たちも病院の待合室や廊下を使って手当を受けているとのことだ。ただ、死んでしまった人たちはどちらかというと後回しのようで、歩く道にも生焼けになった遺体が放置されていた。カラスたちに食い散らかされて目玉は丁寧にくり抜かれていた。


 学生たちに与えられた仕事は大人たちの作業を手伝うことだった。首にかけた魔法瓶からお茶をくみ、忙しく動き回る人たちに配ってまわる。物資の整理をした。大鍋でカレーとシチューを作った。焼けた区画のいくつかには立ち入り禁止のロープが張られていて、中では気持ちが悪いほどに真っ赤な火が燻っていた。普通の火とは違うようで、どこか禍々しく、絶対に近づいてはならないと注意された。贖宥符の火とおなじに見えた。


 水道で洗ったプラスチック容器をたらいに積んで運んでいるとき、マリカは瓦礫の中にたたずむアンジェラの姿を認めた。アンジェラの前には汚れた身なりの幼女がいて、胸になにかを大切そうにかかえている。よく見るとそれは、千切れた大人の腕だった。切断部の皮膚がボロ布のように垂れて黄ばんでいる。幼女が守っていたのか、カラスにつつかれた痕はない。


 幼女はアンジェラを見あげていたが、胸に抱いているものを差しだそうとしてバランスを崩した。アンジェラが素早い動きで支える。まわりの大人たちも騒ぎだして、幼女は切断された腕とともに保護されていった。


 ボランティア活動は三日で終わった。


 山の修道院の院長が解散の挨拶をし、この災いは堕落した町に下された天罰であり、我々は謙虚に立ち返り己の【罪】を悔い改めるべきであると説いた。


 その日の夕方、太歳会の事務所から電話があった。それは施設の職員からで、仮設の火葬炉を使っていたところ火が燃え移って施設そのものが全焼してしまったのだという。今後のことについてはまた連絡をくれるらしい。


 にわかには信じがたい話だった。


 エスとアカリに電話をしたがつながらなかった。SNSにもメッセージを入れたが返信はなかった。既読にすらならなかった。

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