雨宿り ノベライズ版

寝袋男

六月。激しい雨。走る音が二つ。鈴の音。雷。


私が公園の東屋に駆け込むと、その後を追う様に一人の男が駆け込んできた。ぼさぼさの髪にアロハシャツ、薄く色付いた眼鏡。他人に警戒心を孕ませるに不足ないその外見と裏腹に、男は人当たりの良さそうな声色で話しかけてきた。

「いやー、降ってきちゃいましたね。一日晴れの予報だと思ったんだけど、夏場はやっぱり分かりませんね。おろしたてのアロハが台無しだ。」

私は鞄に忍ばせていたタオルを思い出して手渡した。

「ああ、随分かわいいタオルを、ご親切にどうも。ありがとうございました。いや、洗って返しますね。やっぱり折り畳み傘って持ってなきゃいけませんね。備えあれば憂いなし。まぁこうやって憂うのも、実は嫌いじゃなかったりしますけど。逆にあなたはタオルの備えはあったけど、傘の備えはなかった。いや、タオルを借りておいて失礼ですね。すみません」

よく喋る男だな、と思い私はタオルを貸したことを少し後悔し始めていた。

「それにしても、これは暫くやまない様な気がしませんか。どんどん強くなっている。少し暇つぶしでもしましょうよ。クイズです」

ちょっと無理してでも雨宿りなんてしないで走れば良かったか。タオルどころか、この場所に立ち寄ったことすら後悔し始める私がいた。

「こんな雨の日、泥棒は増えるでしょうか?減るでしょうか?よく考えてください」

私が少し考えようとすると、

「はい時間切れです」

と男は言った。

「すみません、せっかちなんです」

とにやにやする男に後悔を越えた苛立ちが芽生え始める。

「答えは減る、です。意外ですか?理由は在宅率が増えるからです。あと、犯罪者も案外雨の日は外に出たくないんですよ。万一逃走する時の足元も悪い。だからこんな雨の日は泥棒も大人しく家でYouTubeかTiktokでも見ているはずです。でもね、私はこうも思うんですよ。雨の音は色んな音を消してくれる。ガラスが割れる音、人の声。」

辺りが一瞬光に照らされる。男の声をかき消す様に雷鳴が響く。

「こんな風に雨の中雷の音がしたら、銃声や悲鳴だって聞こえないかもしれません。だからね、犯罪に向いているとも言えるんですよ、雨の日は」

男は軽い調子でまだ喋り続ける。自宅のノイズキャンセリングヘッドホンが恋しい。

「時に、最近この辺りで起きている事件をご存知ですか?先月新社会人が殺された事件。春に女子高生が殺された事件。今年一月に男子児童が殺された事件。実はこの事件、どれも雨の日に起きているんですよ。これは偶然でしょうか。雨の日には殺人が増える。もしそうだったら、今のこの状況は少しゾクゾクしますね。素性の分からない相手と二人きりで雨宿り」

男が私の顔を覗き込む。男は笑っているはずだが、その瞳の奥には水底の様な冷たさとうかがい知れない暗闇が感じられた。思わず鞄をぎゅっと握ってしまう。

「いやー、ごめんなさい。悪ふざけが過ぎました。雨の日に殺人が増えるなんてデータはありません。ですが、先ほどの三件の殺人事件が雨の日に起きたというのは事実です。この三件の事件、公には別々の事件として報じられていますが、私は同一犯の犯行であると考えています。というか、間違いなくそうです。そうあるべきです。その方が美しい」

男の声が徐々に熱を帯びてその速度を増していることに気付く。男は東屋の下という狭い空間の中を、話したまま歩き回り始めた。男の目にはもはや私は映っておらず、自らの記憶にアクセスすることに気持ちよくなっている。そんな印象を受けた。私は逃げるタイミングを完全に逸していた。

「雨以外にも共通点があるんですよ。殺害方法です。三人とも鋭利な刃物で刺されています。しかし警察が連続犯であると公表していないということは、凶器は別々の刃物ということでしょう。犯人は色んな道具を使ってみたい性質なのかもしれません。私も気持ちが分かります。折角なら色んな道具を試したい。一つの道具に傾倒するのもそれはそれでロマンですが、毎回道具を変えれば足がつきづらくなる、それでいて色んな感触が楽しめる。連続殺人にはもってこいです。連続殺人犯は概ねその連続性に囚われ過ぎる。慣れた方法はミスがなくて済むなんて思っているんですよきっと。それか自己顕示欲で自分の殺害方法を主張しているか。最も気の利いた方法だってね。気持ちは分かりますが、それがもとで捕まったら本末転倒でしょう。刑務所に入ってしまったら楽しめない娯楽です。そもそも殺人という冒険的な嗜好に踏み出してしまったのなら、何処までも冒険すべきだと私は思います」

私は何を聞かされているんだろう。私は小学生の頃を思い出していた。教師の説教を延々と聞かされた放課後。

「すみません、話が脱線してしまって。興奮するといつもこうなんです。話を戻しましょう。三件の事件を連続殺人だと思う理由はもう一つあるんです。それが被害者の持ち物が一点持ち去られているという点です。男子児童の鞄についていたキーホルダー、鈴付きの。次が女子高生のハンカチ。新社会人がいつも持ち歩いていた青い手帳。殺害した相手の所持品を持ち去るというのはシリアルキラーには珍しくありません。謂わばお土産、戦利品の様なものです。いつか殺人の思い出を振り返る時に役に立つ。また、中には体の一部を持ち去る殺人鬼もいます。性的嗜好であったり、自分の血肉にする為に食べたり。ネイティブアメリカンの世界では、狩った獲物の肉を口にすることのよって、その者の力を得るという言い伝えがあります。そういえば死体を使って家具や調度品を作った人もいたとか。一緒に暮らしたいとでも思ったんですかね。恐怖を越えて尊敬の念すらありますよ」

男はやっと動きを止めて、私の存在をその瞳に映す。

「なんだかさっきから私ばかり話していますね。死体みたいに静かな人だ。そういう人好きですよ」

男が微笑む。こんなにも不快な好意があるだろうか。

「続きを話しますね。まだあるんです。実はこの連続殺人、男子児童の事件が最初と思いきや、それより前があるんですよ。エピソード0、ビギニング、パイロット版とでも言いましょうか。去年、小学校のうさぎと野良猫、そして飼い犬が殺害された事件、御存知ありませんか?知らないかもしれませんね。それ程大きくは取り上げられていません。その三つの動物殺害事件も全て刃物での刺殺。しかもこれも全部雨の日なんですよ。連続殺人事件には少なからず予兆があるなんて論じる犯罪学者もいますが、これはまさに典型的な例だと思います。徐々にエスカレートしている。というのも、見事に段階が上がっているんですよ。最初がうさぎ、次が猫、その次が犬。男子児童、女子高生、新社会人。分かりますか?サイズが大きくなっていってるんです。これもシリアルキラーには時々見られる傾向です。最初は小さい者の命を奪い、それが段々大きい者を殺したくなってくる。最初がウサギなんて言いましたが、本当の最初は蟻だったかもしれない。蟻ならあなただって殺したことがあるでしょう?あれ、気分でも悪いですか?顔色がよくありません」

こんな話を聞かせられて気分が良い訳はない。

「何か飲み物でも買ってきましょうか。幸いすぐそこに自販機がある。大丈夫ですよ、これくらいの距離なら。ちょっと待っていてください」

男は私の制止も気づかずに東屋を飛び出して、近くに自販機に向かい、すぐに戻ってくる。

「お、ちゃんと待っていましたね」

確かに今急いで帰ってしまえば良かったと、男に言われて気付く。

「さあ、お好きな方をどうぞ」

私はミネラルウォーターを受け取る。男はさっき私から借りたタオルで再び頭や肩を拭う。

「このタオル、洗って返しに伺いますから住所を教えてくださいよ」

私が首を横に振ると、

「いやいや、お手を煩わせるわけにはいきませんから」

気が利くふりをした悪魔。男の悪びれのない笑みにそんな言葉が浮かぶ。

「あれ、露骨に顔をしかめましたね。私の事を疑っています?警察が公表していない件を知り過ぎているからですか?まぁ胡散臭いのは認めますが私がもし連続殺人犯なら相手の自宅でなんか殺しやしませんよ。家で殺すってのはなかなかリスクがあるものです。物音は近所に聞かれやすいし、出入りを目撃される心配もある。おすすめは圧倒的に夜道です。服装の目撃証言も曖昧になりやすいですし。流石にこんなアロハ着てたらどんな状況でも一目瞭然ですが」

男は自分のドリンクを開けながら、一言

「最後に殺された新社会人より大きいかな」

と私のつま先から頭までを見て呟く。それから気分が良さそうに一口煽った。

「冗談ですよ。ただ洗ったタオルハンカチをポストに入れて退散しますから、安心してください。生憎メモ帳を切らしているので、何か紙にでも書いてくれると助かります」

私は決意して、鞄から手帳を取り出すことにした。その際鞄につけたキーホルダーから鈴の音が小気味よく鳴る。

「お、その手帳カッコいいですね。青い手帳。青い手帳…?」

アロハの男は似つかわしくない可愛いタオルハンカチを握りしめ、私の手にある手帳を見つめる。雨が再び強くなっている。私は男に分からせてやらなければならない。

あの的外れな説教を延々聞かせてきた教師の顔がちらつく。

私が動物を殺していたのは、もっとずっと高尚な理由からなのだ。

そして今も。


辺りが光に照らされて、一際大きい雷鳴が響いた。

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