第23話『唯蛾灯』
殺戮者は正面から愚直に攻め込みはしない。
彼我の戦力差への理解は及んでおり、不意を突かねば防衛線を維持し続けた魔人の懐を切り刻むには至らないと認識している。
故に朽ち果てた長椅子に紛れ、息を殺して距離を詰めた。
狙うは先の戦いに於ける成功体験。
フランと名乗る少女へ切先を向け、彼女を庇う形で相手を引き摺り出す。後は甲冑の隙間なり守りなき頭部なりへ照準を定めるのみ。
「ジルはジルだよ」
声の調子を整え、実際の場所との認識をズラす。
狭所ではない以上、誤差は僅か数センチ。
だが、防御のタイミングを外すには数歩分でも事足りる。
「ジル・ミストレンジっていうらしい……よ!」
身を低く構え、視界から外れた姿勢から跳躍。急激な上下運動で落とした視線を後方へ置き去りにする。
出刃包丁の錆びた切先が柔肌を晒す少女の首元へと近づき──
「所詮は匪賊、誇りもないか」
「えー、なんで!?」
刹那、甲高い音が廃教会に響き渡り、残響する衝撃が老朽化していた長椅子やパイプオルガンを粉砕。単なる木片へと貶める。
フランの首を狙った一撃は割り込んできたヴェアヴォルフの握る杭によって阻まれ、両者の苛烈な表情が月光に照らし出された。
振り抜く膂力を恐れ、幼子は先んじて腹部を蹴り抜くと反動で距離を取る。足の裏に伝わる手応えこそ防御を予想させるが、相手に押し出されては痛苦も免れない。
着地の寸前、翡翠の瞳は一瞬だけ側に立つ少年を見つめるも、すぐに視線を眼前の魔人へと注ぎ直す。
後に続いて接近する彼の頬に浮かぶ、幾何学的な紋様が目的の一端を果たしたことを告げていた。
「流石はジルちゃんだぜッ。後は任せててッ」
左肩を前に突き出し、半身の姿勢でサイクは迫る。
一方でフランは突貫することなく、腰を低く落として地に根を張った。大樹の如く動じることなく、不動の姿勢で迎撃の構え。
とはいえ動かない分には少年側にも好都合。
口角を吊り上げると、刃の射程に少女を捕捉。腰を回して袈裟掛けの一閃。
「ハァッ!」
「ッ!」
振るわれた白刃を前に左腕で受けようとしたフラン。だが、第六感とでもいうべき警鐘が心中で鳴り響くと、咄嗟に後方へと飛び去った。
刹那、無造作な剣閃が空を裂くも、切先が掠った床はバターよろしく切り裂かれる。
カラクリを看破されるよりも早く追撃を仕掛けるサイク。が、才女を自称するフランにとって、床を切り裂く一閃と頬に浮かぶ紋様は正体を見抜くヒントにしては充分過ぎた。
「魔力剤ってところかしら……姑息な真似を」
「チッ、気づいたか。けどよォ!」
初見殺しによる短期決戦にこそ失敗したが、防御ではなく無理な姿勢を取ってでも回避を優先した以上、彼我の戦力差が縮まっていることは間違いない。
サイクは身を低く構えて前傾姿勢を取ると、立て直すよりも早く突撃。
クロム鋼の斬撃圏内へと対象を落とし込む。
「素手で剣の相手するのは辛ェだろ!」
堰を切った斬撃の嵐が、射程内に納められたフランへと襲いかかる。
元より鋭利さではなく重量を以って叩き切る西洋剣を片手で悠々と振り回し、縦横に袈裟すら交えた暴風圏。魔力剤で潤沢に強化された魔力を膂力に回している分、現在サイクが振るえる剣戟は厚さ五ミリの甲冑すらも容易く両断し得る。
人の域から逸脱した剣戟をしかし、少女は巧みな身のこなしと足腰の動きで被害を最小限へと落としていた。
「フッ……クッ。こ、の……!」
強化された動体視力が常人を置き去りにする刃を正確に捉え、直撃し得るもののみを的確に両腕を駆使して刃を滑らせた。
僅か数合でコートの裾は弾け、インナーにも裂傷が蓄積していく。
が、有効打と言える傷は未だ存在せず、故にフランは紙一重で余裕を維持していた。
「ここッ」
「なァッ、コイツ……!」
不意に、針の糸を通す間隙を突く貫手が正面に迫り、サイクは身を大きく仰け反らせる。が、半瞬遅れた反応が彼の右頬に深い擦過傷を刻印していった。
滴る鮮血を前に、少年は思わず距離を取る。
左腕で拭ってみると、予想よりなおも傷は深い。
「あの連撃で隙があるとでも……!」
「ハッ、所詮は無関係な他人を襲って鍛えた剣。血ばっかへばりついてて大したことないわねッ」
「……言ってくれるなァ、フラン・ホーエンハイム」
自嘲の意を込めて喉を鳴らすと、サイクは敢えて剣を納刀。
魔力を鞘内部へと行き渡らせ、同時に全身を脱力して和らげる。
フランも不審にこそ思えども、警戒の姿勢を解くことなく一定の距離を維持。いつ攻勢に出られても対応し切るべく左手を自由にする。
「──其は生命の始まり、原初の形。
湧き立つ祈りが奇跡を成し得ん──!」
近距離での高速戦闘に適した、二小節の魔術。
呼応し、フランの周囲からどこからともなく水が湧き立つ。
床の亀裂から。木材の中から。大気に溶けた水分から。
世界の一端を支配下に置き、少女を守護するかの如く一定範囲に水が集合。足元に円形からなる絶対防衛線を構築する。
領域に踏み込んだ刹那、無数の水槍が敵を穿つべく。
「漸く魔術も解禁か……お高く止まりやがって」
対するサイクは左足を引くと、右に姿勢を傾けて魔力を注ぐ。甲冑を透過して滅紫色の輝きが視覚的に魔力の偏りを通知するも、止むを得まいと割り切った。
二点へ極端に偏れば目的の推測も容易であろう。
が、そも朔日流剣術が奥義を思えば然したる問題でもない。
何せ、結局は分かっていても避けられない、単なる神速の連撃こそが決め手なのだから。
「朔日流剣術奥義ッ!」
床と額が接触寸前になるまで姿勢を傾け、刹那に右足を開放。
強靭な踏み込むが加速度的に彼我の距離を詰め、半瞬と待たずにフランが形成した領域へと身を浸らせた。
瞬間的に足元より水槍の刺突が殺到し、少年を串刺しにせんと牙を剥く。
が、鞘から解き放たれた神速の剣戟は音を置き去りにする。出鱈目極まる速度の剣閃は全ての音を一撃に収束させ、生じる大気の破壊が二小節の魔術程度は容易く凌駕した。
「神隠し──一分」
「ッ、これは……!」
都合一〇〇〇振りの斬撃がフランを襲い、対象を粉微塵に粉砕する。はずであった。
「……あ?」
手応えがない。
少なからず腕に走る痺れに、物理的な衝撃によるものが付随しない違和感。
続いて視界に飛び込んでくる、腹部を水球で殴りつけて強引に距離を離しているフランの姿。海老反り姿勢で飛んで口端に血が滲んでいることから相当の無茶を重ねたのだろうが、奥義で放ってなお手傷の一つも負わせられなかったサイクと比べれば雲泥というもの。
腹立たしさに奥歯を噛み締め、痛む右腕への配慮もなく更に踏み込む。
「こちとら奥義だぞ、おいッ」
「……悔しかったら、もっと剣技でも磨きなさいよ。互いに覚悟の決まった相手でねッ」
「言ってくれるな!」
追撃に走るサイクへ迫るは、雨水の如き水弾。
魔力の浸透した領域が広げられる抵抗こそあれども、少年側は魔術書がなければ詠唱の一つも行えない身分。止むを得ず、被弾する軌道のものに絞って斬り払うに留まった。
接近に戸惑う間にフランは両掌から圧縮魔力を開放、衝撃の反対方向へ推力を与えて着地を果たす。
注がれる蒼の瞳に宿るは、拭い切れぬ熱を秘めた敵愾心。
「たく、そんなに嫌いなら絡まねぇんで欲しいんだがなッ」
距離を詰め、切先で床を掠める切り上げの刃──朔日流剣術が一つ、土竜の舞を放つ。
土煙で視界を覆う技故に乾燥した地面で振るうのが理想的なのだが、人の手を離れて久しい廃教会となれば粉塵の代替としては充分か。
尤も、フランは一歩後退った上で下部から水流を操作。瞬く間に視野を確保してくるが。
稼げた数秒を有効に扱うべく、サイクは背後へ回り込む。
同時に少女も感づいたのか、背後へ振り返ると両拳を握り締めた。
「私達が無視したら、どうせまた無関係な人を殺すんでしょ?!」
「それをあの子が望むならな!」
「だったら私は見逃せないわッ。覚悟もない人間を手にかけるような奴はッ!」
「……正しいのはアンタだろうが、それでも譲れねぇなッ」
「意味わかんないッ?!」
言葉を拳に、刃に込め。
互いに得物をぶつけ合う。
両断の可能性を考慮してか、フランは軽い牽制の一撃が多い。が、才覚と魔力の賜物か。サイクも手に走る痺れから、直撃すれば内臓にまで響く痛打に至ると直感する。
即ち、剣を握っていても油断できぬ圧が全身を包む込む。
やがて無数の火花が収まると、少年は動揺を抑えるのに少なくない神経を尖らせた。
「白羽、取り……だと!」
「こ、の……へし、折れろ……!」
両掌のみならず、腕まで挟み込むことでフランはクロム鋼の刀身を抑え込む。あまつさえ横合いからの膂力で刀身を破砕せんと奥歯を噛み締めた。
サイクもまた即座に刀身へ注ぐ魔力を増加。網目状に広がる流れが構造を補強し、枯れ枝よろしく折れる事態を回避する。
今得物を失う訳はいかず、救援を求めて視線を破裂音の方角へ注ぐ。
が、ジルもまたヴェアヴォルフと交戦中。激しく斬り結ぶ様は常人に割り込む余地はなく、同時に助けを希求できる場面でもない。
「ハハッ、だったらよォ!」
不意を突く形で両手を放し、身軽になったサイクは後ろ回し蹴りを敢行。
支えを失ったことで姿勢が崩れたフランは防御姿勢が遅れ、頭部への鈍い一撃が直撃する。意識が飛んだのか、かつて長椅子だった木材へ無防備に突っ込むと派手な音を立てて崩落した。
今までにない大きな隙。
攻勢の機会に乏しかった身には膨大な好機。少年は途中に転がっていた剣を拾い上げると、切先を少女が吹き飛んだ先へと注ぐ。
突進の勢いに腰の捻りを乗せた刺突は空を裂き、数秒と経たず鮮血を撒き散らす。
はずであった。
「──其は原初の一、生命の源。
星の息吹の一端よ、斯くも無惨に焼き尽くせ──!」
「なァッ?!」
突如の詠唱の刹那、無から顔を覗かせる猛々しい焔が殺意の接近を拒む。
教会を丸ごと灰塵に帰さんと燃え盛る炎熱の奥。ロングコートをはためかせて身を起こすは、宝石の如き蒼の瞳になおも尽きぬ敵意の輝きを乗せた才女。
決して屈することなく戦意を滾らせ続けた少女にとって、生命の危機など己が才覚を証明する絶好の好機に他ならない。
「ヴェアヴォルフッ!」
「委細承知ッ」
短く名を叫ぶと、魔人は不意に距離を置く。
不審な挙動に疑問符を浮かべるサイク達だが、思わず後退った足元に一つの悪寒が走った。
先の水を用いた魔術によって、少なくない水が教会全域に浸透している。フランの周囲こそ地獄もかくやな炎熱で蒸発しているが、未だ大部分は水浸しのまま。
少女が振り上げた五指は悪寒の正体を肯定するかの如く、熱した鉄材よろしく発光していた。
「ジルちゃん、ちょっと──!」
「遅いッ!」
手の空いた幼子が少年の手を引く刹那、フランの手が水浸しの床に触れる。
そして世界が水蒸気に包まれた。
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泥華満来──モブに転生したので作品をグチャグチャにしてでも死の運命が決まってる推しを救う話 幼縁会 @yo_en_kai
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