第22話『毒蛾の芽生え』

「ねーねー。どこ行くの、お兄さん?」


 夜を知らず暮れを知らず、永遠とも思える繁栄を謳歌する王都の裏。逃げ場に乏しい湿気と陽光を阻む立地に恵まれた路地裏を歩く一組の男女。

 一人はローブで全身を覆い、子供と見紛う体躯で男の手を握る。が、全うな神経をしていればいつ暴漢と遭遇するかも分からない道で呑気な声を上げる訳もない。

 事実、大通りを外れた彼女達に注がれる奇異の目にはナイフさながらの鋭利さを有しているものも多い。一度周囲への警戒を怠れば、間髪入れずにスリなりなりが発生していたと確信できるほどに。


「それは着いてからのお楽しみかな」


 子供からの質問に穏やかな調子で答えるは、同じくローブで表情を隠した少年。

 反対の手に紙袋を持ち、微かに瓶が先を覗かせている様は誰かへの贈り物であるかの如く。

 目敏く金目のものを見出した面々は男女へ注がれる視線に一層の熱を注ぎ、二人が隙を晒すのを流し目で窺った。

 とはいえ路地裏を無策で散策するなど稚児にも等しく、二人は新人ながらも騎士団所属と隙を見せた者を狩る側の殺戮者。親子の如き会話を重ねる裏で周囲への警戒を怠らない。

 故に外野が攻勢に出る機会など終ぞ訪れず、目的地は眼前にまで迫る。


「おー。ここが、行く先?」

「そうだねジルちゃん、ここに用があったんだ」


 感嘆の声を漏らすジルに首肯すると、サイクもまた正面を見据えた。

 鬱蒼とした路地裏側にわざわざ扉を設け、ひび割れた煉瓦の間に湿気た苔を垣間見せる。築何年か予想もつかない外観に近づく者は彼らの他には一人もおらず、先程までの針のむしろが嘘であったのかとさえ感じられた。

 正史げんさく曰く、フランと同様に人払いの魔術ないし結界を展開し、一般人やにわかが足を踏み入れないよう努めているとのこと。


「それで商売が成り立つのかねぇ」


 前世の頃から一見さんお断りの名店に対して同様の疑問を思ってきた。だが、如何せん営業中の看板が立っている以上、採算が取れているのだろうとサイクは強引に納得するしかない。

 そもそも入店できないような細工が施されていない可能性に賭け、二人はオウカと看板に書かれた店の扉を潜った。


「おー……おー?」


 興味深そうな声を上げたジルだが、店内を見渡す程に声色が上擦っていく。

 頭上に疑問符が浮かぶのも仕方あるまい。魔術に造詣が深いならばまだしも、興味関心すら著しく低い幼子には何が面白いのかも分からない。

 古臭く、蜘蛛の巣が散見される木製の棚。

 ホルマリン漬けの眼球や歯、内臓と思しき品々。

 そして奥を見通すこともできぬ絞られた光量。

 商品の状態保存の観点からか、異様に肌寒い店の内部に子供が喜色を上げる要素など皆無に等しい。殺戮者としての目線で騒ぐ可能性こそあったが、退屈そうに首を傾げる姿から杞憂としてサイクは不安を切り捨てた。

 関心を失い無の表情を浮かべるジルの手を握り、少年は店の奥に待つ店長の下へと向かう。


「悪いねぇ、ウチは一見さんお断りだよ」


 会計の奥。ラヌート王国では見かけない黒髪の奥で眼光をぎらつかせ、老婆はにべつもなく断言した。


「うーん、いちげんさんって何?」

「初めて来た人には売らないってことだよ」


 元々レクイエムオブシリーズでは類似した名前の店が度々顔を見せ、老婆に似た人物が店長を務めている。いずれも初見には薬草一つ売り渡さず、目的の品を購入すべく店長を楽しませるまでが一種の約束テンプレとなっていた。

 ゲーム系ならばいざ知らず、今を生きるサイク達にとって時間は有限。

 彼女の機嫌を好転させるべく、慎重な手つきで紙袋をカウンターに置くと、中身を露わとする。


「ほぉ……!」


 すると、中身を認めた老婆の目が先程までとは異なる輝きを帯びた。


「ハイライン領で造られた八〇年物の葡萄酒だ。名産って程でもねぇが、貴族の贈り物だから質は保証する」

「あー、アレね……いいの?」

「元々手切れ金代わりだし、別にいいよ」


 ジルからの疑問に当然の調子でサイクは応じる。

 元々ラージュからの二度とハイライン領自分の土地へ来るな、という宣言代わりの品。

 流石に毒が入っているとは思わないが、実際に口へ含む気にはなれなかった。何もなければいずれジルとの生活のために質屋へ出すつもりだった故に、手放すのも惜しくない。

 一方で八〇年物に貴族の贈り物と続き、老婆は年甲斐もなく目を輝かせる。拒絶の意ではなく、純真なものとして。


「八〇年物……しかも貴族が送るとは、本当に譲ってくれるのか?」

「葡萄酒は血の代替として機能する。こう見えて魔術は齧っていてね、アンタが欲しがるとは思ってたさ」


 メシエル・セイヴァが起こした数多もの奇跡の中に、コップ一杯の水に自身の血を混ぜて葡萄酒へと変換したというものがある。

 神の奇跡に由来してか、魔術の世界に於いて往々に葡萄酒は血の代替として機能を果たす。

 体内に摂取する必要のある製剤や誰の血でも構わない類の魔術では特に重宝され、八〇年物で品質も保証されているとなれば使い道も無限大。

 商品を自ら精製する時もある老婆にすれば、喉から手が出るほど欲しい逸品であろう。


「もちろんタダとは言わねぇが……っと」


 言い、サイクは適当に棚を物色すると一つの試験管を掴む。

 わざとらしく滅紫色の液体を振るってみると、老婆は万華鏡のように渋面へと表情を変えた。


「それは、分かって求めておるのか?」

「魔力剤。救歴一〇六六年に開発され、当時は魔力を飛躍的に向上させる秘薬として重宝されるも、現在では身体負荷から使用が憚られる一品。

 当然全部、知ってるさ」


 何せオウカと同様、レクイエムオブシリーズでは度々顔を見せる要素の一つなのだから。

 正史でも直接登場することこそなかったものの、小説の挿絵やアニメのワンシーンにて姿を見せたのを忘れてはいない。

 だからこそ店長がどこにしまったかを忘却したとしても、実際に描写された情報を参考にすれば容易に発見することが叶う。

 ついでに言えば、既に需要も落ち目の名家や雇ったチンピラの底上げ程度にしかなっていない。買い手に乏しい以上、オウカ側としても棚の肥やしになるよりはマシのはず。


「それに俺は曲がりなりにも貴族の三男。パイプを作っておくのも悪くないと思うぞ、おばあさん?」

「ハハハッ、言ってくれるね」


 老獪に笑う店長の目は、サイクを一人の客として認めた証明とばかりに漆黒の瞳を覗き込んでいた。

 言外に問いも見えてくる。

 お前は何を以って魔力剤を求めているのか、と。

 答えを希求しているのを嗅ぎ取ったのか、喉を鳴らしてサイクは上機嫌に告げた。


「そりゃあ当然、子供の未来のためさ」



 魔力剤を購入した翌日。

 王都の一角に位置し、今や神を祀る者が去って久しい廃教会。

 とある騎士団所属の新人による度重なる無断欠勤へ業を煮やし、同期の女性騎士が捜索に赴く裏。

 未だ春にも関わらず肌寒い深夜の時間帯に、一組の男女が信仰の朽ち果てた現場を訪れていた。

 一人は少年。麻の上下に四肢には白銀の甲冑を纏う、黒髪をたなびかせた漆黒の瞳の持ち主。

 一人は幼子。ロングのワンピースに漆黒の手袋を嵌め、真白の髪を無造作に伸ばして翡翠の瞳を輝かせている。


「たのもー!」


 少年が呼びかけた先は、惨憺たる有様を晒したかつての奇跡を祀る場所。

 朽ち果て座る者を無くした長椅子に荒れ果てゴミが散見する通路、奇跡の一片を写したはずのステンドグラスは無信仰者に打ち砕かれ、持ち運び損ねたパイプオルガンも経年によって腸を晒している。

 精々家を追われた浮浪者が住み着けば上等な内部に、顔を覗かせたのは一組の男女。


「ハッ、怖気づかずによく来たわね。それは褒めてあげるわ」


 一人は少女。赤のロングコートに袖の異なる黒衣のインナー、ショートパンツと印象的な出で立ち。金糸の髪を二つに結び、勝気な瞳は宝石の如き蒼。


「……」


 一人は男性。血濡れの甲冑に蝙蝠を模したマント、獣の如き鋭利な装飾は人狼を彷彿とさせる。白銀の髪を無造作に伸ばし、血に飢えた瞳は人外を示す金。

 屋根に空いた大穴から差し込む月光に照らされる様は、紛うことなく脚光のそれ。

 事実、正史ならば未だ物語の始点にすら到達していない時分。主要な登場人物たる彼女達が敗北することも、ましてや死に絶えることもあり得ない。


「ケッ、いるんだったら勿体ぶるなよな。全く」


 だが、定められた運命を覆さんとする少年は軽口を放って腰に携えた剣の切先を脚光の先へと注ぐ。

 輝けしものを失墜させんがために。

 己が至高たる泥中の蓮華を彩るために。


「せっかくだから乗ってやるよ。朔日流剣術が奥伝、サイク・M・ハイライン。大手を振ってまかり通る」

「少しは流儀を学んだようね、だったら私も名乗ってあげる。ホーエンハイム家が才女、フラン・ホーエンハイム」


 全てを飲み込む漆黒と何人たりとも輝きを穢せぬ蒼。

 二色の視線が正面からぶつかり、無形の火花が辺りを彩る。

 生者が意気揚々と名乗りを上げるならば、数多もの戦線を生き延びてきた魔人もまた大気を揺らしてこそ常道。


「我が名はヴェアヴォルフ・デラ・ゼッケンヴォルフッ。護国の魔人にして鬼将、仕える者を間違いし者。全ては二心なく主のため、主が敵を討ちし猟犬なりッ!」


 三者三様の声を上げつつ、最後に続くべき者は沈黙を貫く。

 喧嘩の流儀も知らず、さりとて戦場の常道も知らず。ただ殺戮に濡れ、流血こそを栄養とした一角の花が故に。

 月光の絞られた光量が両手の出刃包丁を煌めかせ、翡翠の瞳は純粋な眼で獲物を見据える。

 口には狂的な三日月を浮かべて。


「ジルはジルだよ、ジル・ミストレンジっていうらしい……よ!」

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