第21話『喧嘩の流儀』
王都内で初となる
夜も遅く、行き交う人々も疎らな時間帯。魔道具によって駆動する街灯の仄かな明かりの下、金糸の髪を二つ結びにした少女は確かな足取りで先を急いでいた。
「この私を呼び出すだなんて、随分と生意気ね」
零れる言葉には多少の苛つきとより少ない賞賛を込め、フラン・ホーエンハイムは手紙に従って道を進む。
彼女が
下手な動きを見せれば、いよいよ手段を選ばず討伐されると理解していたのかは定かではない。が、結果としてフラン達も使い魔を介した監視以上の行為に出ず静観に徹していた。
他にも聖骸を狙う多死者や魔術師がいるならば、必要以上に個人へ執着するのは危険極まりない。
全員が彼女のように良くも悪くも目標への執着心が希薄とは限らないために。
睨み合いの中、均衡を破るように突如として根城の廃教会へ一通の手紙が紛れ込んだのは今日の朝。
烏の足に括りつけた手紙には落ち合う日時と店名、そして簡単な地図が描かれていた。
「……もうこんな時間か」
不意に時計塔が短針の一巡を告げる鐘の音を高らかに鳴らす。
音に釣られてフランが顔を上げれば、荘厳なる王都の象徴は一一時を指し示していた。密会に指定された時間帯であり、少女は一層に足取りを早める。
数刻もせず彼女の視界に飛び込んできたのは、王都の外れに位置する一店の酒場。どこか寂れた印象を受けるものの、煉瓦造りが主流の中で敢えて木材を組み上げて外観を形成している辺り、意図的な演出であろう。証拠に『ブラックロータス』と描かれた看板を照らす照明に欠損は見受けられない。
「ここね」
ヴェアヴォルフは彼女に付き添わず、廃教会で待機している。彼我の距離は著しく、仮に突然の襲撃があったとしても、救援が間に合う可能性は〇に等しい。
互いに多死者を外した一対一の面会を望んだのは、手紙の差出人。
所詮は殺人鬼の言い分に従う義理がないといえば嘘でもない。
が、使い魔による監視が可能なのはフランも同様。事前に店へ向かう少年を上空から見張り、出刃包丁を持った幼子が同行していないのは確認していた。
何らかの手段で使い魔を欺いた可能性こそあるが、少なくとも相手が道理を守っているにも関わらず自分から蹴飛ばす真似は少女が好む手段ではない。
「罠は踏み躙ってこそのフラン・ホーエンハイムよ」
拳を左手にぶつけて戦意を滾らせると、夜闇にも目を引く赤のロングコートをはためかせてフランは入店を果たした。
店内の印象は外観から来るものとは異なっていた。
マスターと向かい合う形になるカウンターや大樽をベースに改造したテーブルなど、小物自体は西欧の国を連想させる。が、奥を見れば客のプライベートに配慮した個室が散見する点が印象を大きく異とする。
左右に揺れる照明の下、フランは先んじてマスターへと声をかけた。
「サイクって奴の紹介で来たわ」
「あぁ、サイクさんのか。彼だったら五番の個室で待ってるよ」
疑う余地も見せず、快活な調子で応じるマスターの姿に催眠の痕跡はない。
個室の利用が許される常連の連れならば、問題を起こさないという判断であろうか。
案内に従って店内を進んで目的の扉をくぐると、待ち構えていたのは手紙を寄越した一人の少年。
ラヌート王国では珍しい漆黒の髪に瞳。プライベートということか麻の上下にベルトだけは丈を余らせ、辺境伯の出とは思い難いラフな衣装に身を包んだ騎士の僭称者であった。
「やぁ、フラン・ホーエンハイム」
「随分なご挨拶ね、サイク・M・ハイライン」
牽制か、もしくは純粋な挨拶か。
共に名乗られるよりも先に相手の名を告げた。
「とりあえず一杯どうだ。これくらいなら俺が持つが」
「遠慮するわ、何が盛られてるか分からないし」
酒瓶を突き出すも断られ、行き場を失った酒分をサイクは自らのコップへと導く。
眼前にいるのが油断ならぬ強敵と理解しながらも、少年は何ら躊躇いなく黄金色の液体を口に含んだ。騙し打ち目的との誤解を解くためとでも言わんばかりの豪快さで。
途端に口内に広がるアルコールと甘味の奔流は、ともすれば密会の目的を忘却しかねない甘美な誘惑を仕掛けた。
一五歳で酒が解禁されるラヌート王国にて、若い層を取り込むための工夫は酒造にとっては必須事項。故にブラックロータスにも苦味を抑え、甘味を前面に出したブランドが多数取り揃えられている。
コップの半分程度を一息で飲み干すと、多少の酩酊感を覚えつつ口を開いた。
「見ての通り、罠のつもりはない。遠慮せずにどうだ、今日は敵として会ってるつもりはない」
「そのようね。けど、アンタのような殺人鬼と飲むなんて、たとえ八〇年ものの名酒でもごめんよ」
「それは心外……でもねぇな」
端から見ればサイクかジルか、どちらの犯行かまでは不明瞭。そも殺人の片棒を担いでいるのは紛れもない事実である。
コップを乱雑に机へ置くと、漆黒の瞳は真っ直ぐに宝石を思わせる瞳を見据えた。
「とにかく警戒はしないで欲しい訳だ。少なくともアンタらと事を交えるつもりはないんだからな」
「……どういう意味?」
怪訝な反応を示したフランへ、畳みかけるように本題を口にした。
「もしも今後一切俺達に手を出さないならば、聖骸の情報をくれてやってもいい」
聖骸。
メシエル・セイヴァの弟子たる一三人の使徒の内、誰かのものと目される遺体。そしてセイヴァ教を前提とする世界を改変する力を持つと言われている特級の
レクイエムオブアストレイの物語の前提にして、殆んどの登場人物が追い求める神代の物質。その例外はフランではなく、サイクが強く推すジルである。
だからこそ原作知識によって詳細を把握している身としては、あくまで最上級の手札として躊躇いなく切ることができた。過去改変という逃れるのも困難な凶悪極まる誘惑を以って。
流石に聖骸を切ってまで身の保全を訴えるとは思わなかったのか、フランは俯き視線を落とす。
「信用できないのも分かる。が、俺の能力の一端は拠点の廃教会を見つけたことからも推測して欲しい。それでも信用できないなら、お前のことを今から事細かに語ってやってもいい。
重要なのは俺が聖骸の情報を抱えてはいるが、身の安全のためなら躊躇なく切り捨てられる程度の価値だってことだ」
アルコールによるものか、もしくは自らの計画への自信によるものか。
サイクの口調に上機嫌さが乗るに連れ、身を乗り出して露骨なアピールを始めた。
手招きする左手は握手の時を待ち侘びるかのようであり、同時に一度掴めば取り返しのつかない悪魔の契約を彷彿とさせる。自然とつり上がった口角もまた、少年への印象を悪辣なものへと変貌させた。
事実として、聖骸を希求するなれば書き換えたい過去を持つことと同義。
飢えた獣の眼前に生肉を置くように、狂おしい飢餓の念を持つ者に聖骸をチラつかせれば抗う術などありはしない。
「……んな」
誤算があるとすれば、サイクの前世があくまでジル個人の
「……けんな」
もしもフラン・ホーエンハイムの、もしくはレクイエムオブアストレイという作品自体の信者であれば、より適切な物言いや譲歩方法を提示して穏便に目的を果たせただろう。
少なくとも誉れも何もない殺戮者を見逃せなどという条件を飲む程、穏便でも手段を選ばぬ訳でもないとは理解していただろう。
「どうした、棚ぼただと不安か。だったら、そっちの持ってる──」
少女は無関係な他者を巻き込むやり口を許さないのだから。
「ふざけんなッ!!!」
「ッ……!」
テーブルに両手を叩きつけられ、衝撃にコップへ注がれた液体が揺れ動く。当然の怒声は個室を超え、談笑の華を咲かせていた来店客の注目をも集めていた。
無論、大声を間近で浴びたサイクも動揺は同じ。
むしろ距離を詰めていた分、一層に驚愕は大きい。派手に仰け反った衝撃で椅子のバランスが崩れ、危うく転倒しかけてしまう。
寸前の所で持ち応えた少年はテーブルに手を置きつつ、声を荒げた少女を睨みつけた。
「何怒鳴ってんだよ、いきなりビビらせやがって……!」
「随分と見くびられたものねッ、このフラン・ホーエンハイムをッ。
いいわ、ここではっきり言っておくわ。他の連中も使い魔なり遠見で見物しているなら結構よ、纏めて教えてあげる!
私が聖骸を求めてるのは私自身の優秀さを宣伝するためッ。精々貴方達は選手で聖骸は優勝トロフィーって所よ。だから手段も選ぶし、私が後世に誇れる勝ち方を追い求めるッ。
そんなフラン様が殺人鬼からの情報なんてはいそうですかで受け取れるかってんのよッ。舐めんなッ!」
苛烈な熱意を言葉に乗せ、フランの双眸が燃え上がる。
サイクの提案に乗るなど論外であり、殺人鬼に与する存在との取引が成立すると認識されたことすら心外だとばかりに。
「テメッ……聖骸がどうでもいいってか?」
だが肝心のサイクは彼女の怒気に理解が及ばず、見当違いの脅しをぶつけた。
一つの
泥中に咲く蓮を尊ぶあまり、土より芽吹き咲き誇る金花を軽視するように。
「ハッ。願いなんて始めから持ち合わせちゃいないわよ。だから貴方に手渡されるなんて真っ平ごめんよ。
そんなもの、価値がないからねッ」
「……!」
価値がないとまで言い切られてしまえば、サイクとしても切れる手札は皆無。
正史から致命的な乖離を引き起こしている現状、聖骸以外の情報に信憑性などないのだから。尤も、如何なる情報だろうとも、取引相手が首を縦に振るつもりがなければ無意味というもの。
フランは迸る感情のままにテーブルを後にし、扉へと近づく。
が、ドアノブを掴んだ段階で唐突に振り返った。
「ただ、笑顔魔の犯行を控える程度の思慮はあるようね。
だったら喧嘩の相手、挑戦者としては認めてあげるわ。犯行に及ばないのなら一回だけ、私に挑戦する権利をあげるわ。
準備が整ったら、ご自慢の能力で私に伝えることね」
一方的に言い残すと、サイクの静止を待つこともなくフランは個室を後にした。
金留が不格好な音を鳴らして外界の空気を遮断すると、一人残された少年は嘆息してコップに口をつける。
「チッ、面倒なことになったなぁ……」
不思議と口内には、アルコール特有の苦味が広がっていた。
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