第20話『余波は続くよ、どこまでも』

「はぁ? 何やってるのヴェアヴォルフッ、さっさと引き返しなさいよッ!」


 陰鬱とした路地裏から開放され、久方振りに陽光を肌に浴びつつ。金糸の二つ結びを風に揺らして、フラン・ホーエンハイムは自身を担ぐ男へ抗議の声を上げた。

 魔力を一気に開放した倦怠感こそあれども、最低限身体が動く程度には回復している。

 なれば地力で勝る騎士モドキと幼子を相手に反転攻勢に出るべき場面であり、撤退の判断など以っての他。今ならば、次なる被害が出る前に笑顔魔スマイリーなる殺戮者を討伐することが叶うのだから。


「断る。引き際の判断はこちらで決めると申したはず」

「だからって……今は攻め時でしょ、あの殺人鬼共を潰すなら早い方が……!」


 王家直属の騎士団を隠れ蓑にした連中など、何をしでかすか分かったものではない。

 立場を利用して、フラン達に笑顔魔としての犯行を押しつける可能性すら〇ではないのだから。

 しかし白銀の魔人は些かの迷いも見せず、少女の物言いに反論する。


「あのまま無理に続けていれば、落とされていたのはお前だ。フラン」

「はぁ? 何が言いたいの、ヴェアヴォルフッ?」


 確かにジルからの不意打ちの瞬間こそ、魔力が一時的に枯渇して動きが鈍っていた。が、あくまで回復するまでの短い時間での話であり、現に今では両腕を振って抗議を繰り返せる程度には順調である。

 フランは宝石を思わせる蒼の瞳を細めて睨みつけた。

 睥睨する彼女の視線に帰ってきたのは、一つの戦場に留まり続けた一角の武人が有する眼差し。


「ッ……!」


 思わず息を呑むと、黙ったのを確認した男は再び口を開いた。


「……我が領土を守護せし配下の中にも、貴様のように血気盛んかつ才覚に溢れた若者がいた」

「……急に何の話?」

「すぐに分かる。

 その若者は一度戦線に赴けば、右の炎熱が迫る大軍を退け、左の流水が大軍を飲み込む喰らう……正しく護国の騎士に相応しき誉れ高い姿だった」


 昔を懐かしむ口調で、どこか遠くを見つめるヴェアヴォルフの語りはしかし、フランには意味の分からないタイミングでの自分語りに過ぎない。

 首を傾げて幾らか思案を深めてみるも、結局答えは掴めない。

 止むを得ず、吐き捨てるように質問を投げかけた。


「そう、そのご自慢の部下様はいったいどんな名前なのかしらね」

「サヴァン・スレーブ……つまらん防衛線の、つまらん欲を掻いて死した部下よ」

「……は?」


 聞き覚えのない男ね、と言うつもりであったフランは驚愕に閉口し、続く言を紡ぐことは叶わなかった。

 彼女の抱いた動揺を知ってか知らずか、ヴェアヴォルフは言葉を続ける。


「攻め入る相手を退け、後は逃げる背中を追い立てるだけの戦。その中で一際飛び出て戦功を稼ごうとした所、運悪く飛来した鏃が喉を貫いた。

 山なりの軌道は誰かを狙ったものではなく、あくまで引くための牽制であったろうな。

 油断して事に当たれば、足元を掬われるものだ」


 深く、低い声音の弁には備蓄と経験に基づく説得力に溢れ、齢一六に過ぎない小娘は反論する術を持たない。


「まだ手札を隠しておきたい本心までは否定しない。使い魔や遠見、現場におらずとも仔細を把握する術が多数あることも理解している。

 が、後を意識して今を落としては本末転倒よ。

 晒した背中を刺し貫くように、な」


 心中に深く突き刺さる弁は、ある意味では幼子の得物たる出刃包丁よりなお鋭利な切れ味を以って浸透する。図星を突かれた点もそうだが、手札を隠す意図まで読まれては、最早反論する必要性すらも感じられなかった。

 風に揺られて進む中、少女は視線を落として項垂れる。

 やがて持ち上がった眼差しには、確かな宝石の輝きが宿っていた。


「……そうね。後のことを考えて、こんなつまらない喧嘩で敗北した元も子もないわ」


 正史げんさくに於いて、フラン・ホーエンハイムの慢心癖は終盤で指摘される。

 相手を格下と侮った結果、彼女は敗北寸前の状態にまで追い込まれる。あわやという場面を主人公とヴェアヴォルフの二人に救助されるも、なおも悪態をつく少女を諭す形で魔人は過去の経験を口にするのだ。

 にも関わらず、物語が始まるよりも早く、フランは自らの短所を自覚した。

 本来ならば最初にぶつかる相手の顔すら知らぬまま。



「なん、とか……生き延びた、か……?」

「ん-ん。大丈夫、お兄さん?」


 一方、路地裏に残されたサイク・M・ハイラインは安堵の吐息を漏らして腰を下ろし、一向に立ち上がる素振りを見せないことにジル・ミストレンジは心配の声をかける。

 得物たる剣は刀身から砕け散り、サイク自身も腹部に痛々しい打撲痕を残す状況。相手が撤退の判断を下したこと自体は少年にとっても好都合である。

 問題があるとすれば二つ。


「顔が割れちまったなぁ。どうするよ、今後……」


 証拠抹消によって消滅するのはジル自身が意識せずに残した証拠まで。当然ながらサイクの人相は対象外。

 むしろわざわざ町中で魔術を行使してまで一対一の状況を作っていたのだ。元々ダメ押しの判断だった可能性すらも否定できない。後者の場合、状況証拠で判断されたのであればジルのスキルそのものが無力化されている可能性すらも存在する。

 何にせよ。


「滅茶苦茶やりづれぇぞ、今後……なんだよ、俺はジルちゃんと幸せになりたいだけなんだぞ……」


 サイクは愚痴を零すと、やりきれなさに歯噛みする。

 詰所やハイムキングスに笑顔魔の情報を流して居場所を奪うような迂遠なやり口は、勝気な態度の少女は好まないだろう。

 が、代替が直接的な襲撃とあっては無意味極まる。


「ジルと、しあわせに?」


 頭を抱えるサイクを覗き込む翡翠の瞳には、純粋な疑問が浮かび上がっていた。

 幼子の顔に努めて笑顔を返そうとするも、腹部を負傷した現状では口端を吊り上げるので精一杯。ぎこちない表情を保持し、何とか言葉を捻り出す。


「そうだよ。俺の命は、ジルちゃんのためにあるといっても、過言じゃない」

「ジルのためになるのが、しあわせなの?」

「そうだね。君を幸せにすることこそが、二度目の人生の意味といってもいい」

「二度目……うー、分かんないや」


 多少なりとも考えようとしたのか、ジルは首を傾げて声を漏らす。が、数秒と経たずに思案を放棄し、サイクへと飛びついた。

 突然の抱擁に多幸感より先に腹部の鈍痛が襲いかかるも、少年は脂汗を垂れ流すだけで耐え忍ぶ。そして彼女の思いに答えるべく、痺れる両腕で幼子の細躯を掴み返した。


「じゃあジルにとって、お兄さんのためになるのがしあわせなのかな?」

「……それは、違うんじゃないかな。いや、もし本当にそうなら嬉しいけどね。俺も」


 ジル・ミストレンジが希求するの形は、本編の中でも特に言及されることはなかった。

 終ぞ無思慮極まる殺人鬼にして世界の汚泥が煮詰まった存在として扱われていたために。正史に於いての彼女の役割は、決着まで世界の純真さを信奉していた主人公の信念を揺らがせること。

 理不尽な暴力とそれに伴う精神の破綻、加害者へと転じた被害者、そして致命的なまでの無知。

 幼子を飲み込み、適応すべく変質していった果てに彼女自身も求めるものが分からない。幸福の形を失った末に無限の死を繰り返す多死者へと成り果てたのが、サイクが奉るおしの本質である。


「ジルちゃんのしあわせが何なのかは、俺にも分からないけど……それが何であれ、俺は全力で君を助けるよ」

「おー……分かった、じゃあジルも思いっきりしあわせになるね!」


 感嘆の声を漏らすジルに感極まるものを覚えつつ、サイクはもう一つの懸念を脳内で思案していた。

 つまり、正史に於いてフランが患っていた慢心癖解消のイベントが前倒しになった可能性を。



 一度波打った波紋を止める方法は存在せず、本来の流れに合流することは不可能。取り返しのつかない奔流に飲み込まれつつ、花弁は新たな流れを模索し続ける。

 望むか否かに関わらず。

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