第19話『喧嘩の仕方』

「立ちなさいよ、殺人鬼。喧嘩の仕方ってのを教えてあげるわ」

「……」


 明滅する視界が安定すると、サイクは全身を駆け抜ける激痛に歯噛みしつつ立ち上がる。殴ってきた張本人に促されたみたいで癪な部分はあるが、四の五の言ってられる状況でないのは明白。

 違和感を覚えた鼻を拭うと、白銀の甲冑に毒々しい色合いの赤が付着した。

 フランの奥ではジルも交戦を開始したのか。時折激しい剣戟の音が鼓膜を揺さぶってくる。


「やってくれんじゃねぇかよッ……上等だ、ぶっ飛ばしてやる」


 己を鼓舞すべく語気を強めると腰に携えた剣を抜き、半身の姿勢で刃を隠す。


朔月さくじつ流剣術が奥伝、サイク・M・ハイライン……こうだったか、喧嘩の名乗りは?」

「最低限の名乗りは知ってるのね。でも、まだ隠してることがあるでしょ。

 私の名前を引き摺り出したければ、少しは足掻きなさい」


 思い違いがあるのか、もしくはジルの犯行を止めない時点で共犯と見做されているのか。フランの眼光は氷河の如く冷たく、蒼の瞳も相まって冷厳とした印象すらも受ける。

 少女は右腕を腰の辺りに合わせて軽く拳を握ると、姿勢を低く構えた。

 どこからか、呼気の零れる音が木霊する。

 破裂寸前の風船を彷彿とさせるほど、加速度的に緊張感が高まる空間。極限まで膨張した圧力は、最早意図せぬ接触で乾いた音を轟かせるほどに。

 そして無遠慮に戦の口火を切ったのは、二つ結びの金糸を持つ少女。


「ハッ」

「ッ……!」


 地を割る速度で彼我の距離が詰められ、細腕とは思えぬ圧力がサイクへ迫る。

 半ば反射で身を捩らせると、何の捻りもない正拳突きが音の壁を粉砕。鼻先数ミリ先で大気を歪曲させる波が強く身体を打ち据える。

 出鱈目な圧に奥歯を噛み締めるも、同時に勝利の女神が鼻先で祝福していることも理解していた。

 剣の柄を固く握り締め、多少姿勢が悪いことも厭わずに刃を振り上げる。

 威力が落ちようとも魔力を込めれば誤差の範囲。人体は鋼には勝てないからこそ、空を切るクロム鋼は数瞬と間を置かずに少女の細腕を切り裂き、夥しい鮮血と共に勝利を祝う。

 はずであった。


「ま、そりゃそうか……!」


 

 右腕と、王立騎士団指定の剣の間で。


「蚊ほども効かないわ!」

「チッ、言ってくれんなぁ……!」


 フランは右腕を引くと、反動で身体を捩り回し蹴りへと移行。

 淀みなき連撃の切れ味は断頭台を彷彿とさせ、サイクは咄嗟に大きく身体を仰け反らせる。

 台風でも直撃したかと疑う音が鼓膜を殴りつける中、殺意に満ち満ちた空間から距離を置いた。


「何なんだよ、その魔力はよ……!」


 歯軋りを鳴らすサイクの視線が注がれる先は、フランの四肢。

 幾何学模様に輝くは、魔力によって肉体が強化された証。が、少年が剣に注ぐような淡い光ではなく薄暗い路地裏に太陽が上ったかのような鮮烈なる光源が、少女には宿っていた。

 魔術が目的達成の手段に過ぎないサイクと、魔術こそを目的として鍛錬を重ねたフランの差もあるだろう。が、漆黒の瞳には、端役モブの目には燦然とした光こそが主要人物足り得ることを証明するスポットライトに思えた。

 恵まれた才覚だけではない。身を削る鍛錬により磨き上げられ、昇華した光こそが舞台ものがたりをこれ以上もなく盛り上げる光源を為す。

 観客ファンを魅了する、燦然と輝く光を。


「怖気づいたなら、こっちから行くわよッ」


 フラン・ホーエンハイムの戦闘スタイルは徒手空拳に魔術を織り交ぜたもの。

 単なる殺人鬼と認識されている間は魔術を積極的に絡めはしないだろうが、強化された四肢だけでも絶死の威力を誇るのであれば問題とは呼べない。

 果敢に踏み込むと、次に振るうは拳の嵐。

 サイクの得物では斬られることもないと理解したのか、拳撃を繰り返す姿勢に刃を恐れる気配は皆無。空を穿つ破滅の連撃が青の制服へと殺到した。


「クッ……こ、の!」


 一撃でも直撃すれば、そのまま意識を刈り取られかねない。

 サイクは緊張感に身を引き締めると、巧みに剣を振るい拳を捌きにかかった。

 直撃の軌道を描く一撃に刀身を添え、流麗な動きで力を逸らす。空を切った拳は秒とかからず少女の元へと帰還を果たし、コンマ数秒の間を以って再出撃。そして過密な連撃をまた、少年は受け流す。

 剣を握る腕にかかる衝撃は、ともすれば剣を手放してしまいそうになるほど。

 しかし意思の力と魔力を以って捻じ伏せると、漆黒の瞳は少女の周辺を見つめる。


「どうなってるのよ、これは……!」


 防戦一方。ひたすらに攻撃を捌き続けるサイクに開幕の一撃以降、碌に有効打を入れられていない。

 押しているはずなのに押し切れない現実に、フランは焦燥感を顔に出していた。

 実際は捌いている側も拳圧と風圧に精神が鑢で削られるが如く消耗している。だが少年は努めて表情に出ないよう心がけているため、気づく様子もない。

 そして焦りは、攻勢に出る好機でもある。


「喰らい、やがれェ!」

「ハァッ?!」


 一歩後退り、暴風圏から逃れると乱雑に剣を振り上げ、まさかの投擲。

 驚愕に声を上げるフランは、しかして冷静に軌道を見切ると最小撃の動作で剣先を回避。広がった一歩の間合いを詰めんと足に力を込める。

 が、一瞬でも意識が得物へ注がれればサイクにとっては充分。


「こっちから行くぜ、お嬢さんッ」


 先んじて距離を詰めたサイクは拳を握り締め、力任せに振り抜く。

 狙うは鳩尾。

 正中線を射抜く一撃は、だが腕を割り込ませることもなく寸前の所で魔力を注ぎ込むことで身体を強化。単純にして無比な硬度によって有効打には至らない。

 そして空いている拳が飛び込んできた少年を打ち抜かんと振り上げられた。


「あまり調子に乗ってんじゃ……!」

「ハッ、言ってくれるぜ」

「な……!」


 しかしサイクは流れるように、元々本命は別にあったかのように身体を滑らせると、フランの背後へ回る。

 後方で突き刺さる剣の下へと。


朔月さくじつ流剣術、燕の飛翔ッ」


 右手で柄を掴むと、力任せに横薙ぎの一閃。

 相手の虚を突く奇剣に反応し切る様子はなく、上半身と下半身を泣き別れにする確かな手応えを感じていた。

 甲高い音が、鼓膜を揺さぶるまでは。


「これも、受け止めるのかよ……!」


 刃と身体の間に割り込んできた左腕が斬撃を受け止め、衣服にすら掠り傷一つ見受けられない。

 咄嗟に距離を離すと、寸瞬の間を置いて裏拳が飛来。

 直前まで顎があった地点を通過する拳に、サイクは彼我の隔絶した実力差。そして故に生じている微かな勝算を見出していた。

 フラン・ホーエンハイムの聖骸へのスタンスは他者とは大きく異なり、いわば優勝トロフィー。

 狂おしい程の飢餓の念に駆られて希求する悲願のため、死に物狂いで奪いに行く代物ではない。あくまで自身の優秀さを誇示し、魔術界に名を轟かせるための物的証明に過ぎない。

 だからこそ手段を選び、明確な弱者相手には慢心もする。

 飯の種にもならない、ただ羽ばたくだけの蝶を狩るのに全力を出す獅子など存在しないように。


「どうなってるのよ、なんで押し切れないのよ……コイツなんなのよッ」


 苛立ちに地団駄を踏み、蒼の瞳にも明確な嫌悪を示すフラン。

 冷静さを欠如しつつ彼女に対して、今やサイクが有する全ての手札は有効打になり得た。


「コイツ何って……単なる殺人鬼と思われるが?」

「うっさい、そんなの聞いてないッ」


 試しにおどけてみせれば、フランは面白いように声を荒げてくる。

 格下と侮っていた相手に煽られたことで怒りの沸点が急激に跳ね上がった。主要人物に相応しい端正な顔は真紅に燃え、血走った眼はサファイアに亀裂を走らせる。

 蒸気機関の如く発せられる吐息に怒気を混ぜると、少女は激情のままに一歩踏み込む。


「この、殺人鬼如きが!」


 助走の加速を計上した細腕が振り上げられ、鉄槌が唸りを上げた。

 潤沢な魔力を元手にした破滅的な一撃は人体を穿つには過ぎた威力を誇り、対城兵器の領域に到達する。単騎を以って白亜の城すら貫く火力を前に、人間など吹けば消え去る蝋燭の灯火に過ぎない。

 が、防御の上から骨を粉微塵にして有り余る破壊力も、当たらなければそよ風と同義。


「こ、のッ……!」


 出鱈目極まる圧力に対してサイクは剣の切先から器用に拳の軌道を逸らし、直撃から大地へと誘導する。

 けたたましい音を立てて破砕される煉瓦と震撼する大地に強く歯を噛み締め、鋭利に研ぎ澄まされた漆黒の瞳は次を見据えた。

 引き戻す腕の反動を活かして続く左拳は一歩身を引くことで悠々と躱すも、打ちつけてくる風圧を耐え凌ぐのに魔力を足へ注ぐ。菱形に輝く両足が煉瓦に轍を刻むが、直撃のリスクを考慮すれば必要経費であろう。

 拭う冷や汗すらも吹き飛ぶ衝撃の中、フランは一層激しい怒りを露わにした。


「だァァァッ。このッ。何なのコイツ、見るからに弱いのになんでこんなにッ?!」


 仮にも王立騎士団の制服に袖を通している相手への暴言としては論外。

 だが、フランが正史げんさくでは魑魅魍魎蠢く多死者や権謀術数張り巡らされる魔術師と凌ぎを削ることを思えば、むしろ十把一絡げの騎士など袖振る程度で倒して当然の相手。

 だからこそ、サイクは剣の切先を地面に突き立てて杖の真似事をした上で、ゆっくりと呼吸を整えた。


「ハァ……ハァ……こちとら、防戦一方なんだが……!」


 事実としてサイクの外見的特徴は、精々ラヌート王国では珍しいといった程度。フランの挑む相手を考慮すれば単なる辺境貴族の生まれなど、体型や魔力の優位性とするには程遠い。

 にも関わらず、初撃以外を的確に捌き切り、明確な痛手を未だ貰ってはいない。

 端役からすれば僥倖だが、主要人物からすれば怒髪天を突くというものか。


「朔日流剣術なんてこちとら何度も見てんのよッ。精々魔力操作が少し上手い程度の奴になんで私が押し切れないのよ!

 ヴェアヴォルフ!」


 だが彼女も意固地なまでに一つの考えに固執する訳ではない。フランがすぐ側で戦闘を行っている同胞へ叫び、応援を要請した。

 不幸があるとすれば、護国の英雄が対峙するもまた勇名を馳せた殺人鬼という点か。

 鋭利極まる金の眼差しが背中を射抜くも、殺意以外に少年へ襲いかかる気配はない。

 そしてヴェアヴォルフが手助けに赴けないということは、ジルが活躍しているのと同義。

 一時たりとも領土の土を踏ませなかった魔人を相手に、無垢なる殺人鬼が。サイクが愛する幼子が、正史を超えた舞台で脚光を浴びている。

 ならば、最早軌道修正の叶わない正史に用などない。


「どうせ原作通りに進んだところで、ジルの死は確実なんだ……だったら、ここらで致命的な路線変更も、アリと割り切るかな……」


 操り人形よろしく立ち上がり、サイクは自らが見据える未来図に歪な三日月を浮かべた。

 当然、今現在の流れこそが本来の流れであるフランが、少年の発言が持つ真意に気づくはずがない。


「何を訳分かんないことを。因果操作の魔術でも扱うっての?」

「いやいや……単なる端役モブに、そんなおおそれた真似を出来る訳が……」


 仮に正真正銘、初対面のフラン・ホーエンハイムを相手取れば、サイクは十回刃を交えても完敗する確信があった。

 戦況をやや不利程度に留めているのは、一重に彼女のことを知っているから。

 金糸の髪を振り乱して戦う少女のことを把握し、性格を理解した上で対処に専念しているから。

 互角とは言い難い条件が、運否天賦の博打を分のいい賭けにまで昇華させる。


「彼のフラン・ホーエンハイムを相手に、刃を交えるってのも悪くはない……!」

「フン、どうやって私のことを知ったか知らないけどッ」


 叫び、フランは一瞬の内に懐へと飛び込む。

 拳圧を耐えるのに精一杯であったサイクに、接近自体を回避する術はない。

 両腕に込められた魔力もまた莫大。人間一人相手に解き放つ出力とは到底思えず、喩えるならば要塞を守護せし城壁を粉砕する破城槌。

 類稀なる才覚を有した少女の渾身を、少年が無傷で抑える手段はない。

 故に持てる魔力を細部にまで行き渡らせて刀身を強化。網目状に張り巡らされて隆起した魔力が極光を放ち、極彩色の虹彩が路地裏を照らし出す。


「朔日流剣術が奧伝、大手を振ってまかり通る!」


 漆黒の瞳をぎらつかせ、サイクは狂暴な笑みを浮かべる。

 そして迫る鉄槌との間に刀身を突き立てると、即席の盾とした。更に両足を強化して衝撃で吹き飛ぶ愚を防ぐ。

 直後、空間が弾けた。


「お兄さん?!」

「……」


 伝播する崩壊の衝撃が多死者両名にも驚愕を与える。特にジルは死すら連想させる一撃を前に戦況の推移よりもサイクの身を案じた。


「ハァ……ハァ……ハァ……!」


 砕け散る刀身。粉微塵と舞う極光。

 舞台を照らす鮮烈なる光は、両腕を突き出した姿勢で固まるフランを捉えて離さない。

 一方で少女の英傑に匹敵する能力を証明するための当て馬たるサイクは、衝撃に身体を大きく後退させた。刻まれる轍は深々と煉瓦を抉り、浸透した威力は制服の腹部を打ち貫く。

 やがて勢いが収まると痛々しい打撲傷を抑えつつ、少年は膝を屈した。

 屈するだけの余裕があった。


「死、死ぬかと……思ったぞ、クソが……!」

「コイツ、なんでまだ生きて……!」


 なおも軽口を叩くサイクに驚愕し、フランは鉛の如く重鈍な身体を動かす。

 が、魔力を振り絞った直後とあっては碌に言うことも効かず、崩壊した地面に思わず足を取られた。

 直後、背後から殺気が迫る。


「取った」


 幼い声音は短く、端的にフランの死を告げる。

 圧倒的な敏捷性の差が魔人を置き去りにし、ジルの握る出刃包丁の切先を少女の背へ向けさせた。

 振り下ろされる刃は無防備を晒すコートを貫通し、柔肌を容易く切り刻む。

 はずであった。


「あれ?」

「グ……!」

「ヴェアヴォルフッ!」


 咄嗟に伸ばされた右腕が出刃包丁の切先を受け止めた。無骨かつ鋭利な装飾の目立つ甲冑をも貫く得物の持ち主は、隙を突いたはずにも関わらず邪魔された事実に声を漏らす。

 一方で寸前まで自身に注がれていた殺気が逸れたことで、フランもまた驚愕の声を上げた。

 動揺を見せていないのはただ一人、少女を庇ったヴェアヴォルフ・デラ・ゼッケンヴォルフのみ。


「フンッ」

「うわわッ」


 白銀の武人は鋭利な黄金の瞳で幼子を睥睨すると、出刃包丁で刺された腕を振るって脅威を払う。

 幼子は身を回して着地するも、出刃包丁の片割れはヴェアヴォルフに刺さったまま。だが、回収し損ねた得物以上の動揺がジルの表情に現れていた。

 感情のままに首を傾げると、一切の逡巡もなく問いかける。


「大して効いてない。なんで?」


 ジル自身も詳細はともかく、固有スキルの影響は把握している。

 つまり自らの得物で斬りつければ、斬りつけた分以上の痛苦が相手を襲う。

 なればこそ、出刃包丁を引き抜くヴェアヴォルフの存在は不気味ですらあるのだ。


「戦場に立つ者なれば、怨恨など身に余るほどよ。怨霊如きの恨み、既に万と背負っている。わざわざぶつけられるまでもないほどにな」

「うーん。やっぱり何言ってるのか、分かんない」

「分かってもらうこともない」


 言い、武人は今もなお倒れている少女を持ち上げると、俵よろしく肩に担いだ。

 そして一足で跳躍すると、少女が苦言を呈するよりも早く路地裏を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る