第18話『蝶のように舞い踊る』

 朝方の騒動が収まると、サイクには二つの選択肢が与えられた。

 一つは裏方での在庫整理。

 もう一つは詰所周辺の哨戒。

 いずれも病み上がりであることを配慮した比較的安易な役回りであったが、少年は後者を選択した。


「……」


 在庫整理に回れば、否が応にもオルレールと正対する場面も増えてしまう。

 正面から衝突したばかりということもあり、何となしに居心地が悪かったのだ。幸い、サイクの身体は多少の鈍りはあっても動く分に支障はない。

 回復に従って自宅周辺で剣を振るってみたものの、明確な不調が窺えなかったのも後者の選択を後押しする。

 付き添いにはオルレールでもなく、そしてツオイでもなく見覚えのない先輩騎士。


「王立騎士団所属の騎士は二七三名……そりゃ知らん顔もいるか」

「おいサイク、自分で選んだんだから病み上がりと言っても気にはしねぇぞ」


 偉丈夫の先輩騎士から告げられた忠告に鼻を鳴らして応じると、二人は町の哨戒へと当たった。

 同時に詰所の騎士達には気づかれぬよう慎重な足取りでジルもまた、外へと赴く。屋根や路地裏経由で少年の後を追いながら。

 王都の繁栄に深い影を落とす連続殺人事件は、赤煉瓦を叩く足数にも影響を及ぼす。


「見回る側としては、怪しい奴も目立つから悪いことばかりじゃねぇ。が、如何せんな」

「まぁ、寂しいってのはあるでしょうね」

「俺らの責任だ。せめてこれ以上の犠牲は絶対に防がねぇと」


 偉丈夫の先輩騎士は背負った大剣の柄を掴みつつ、周囲を睥睨する。

 彼らの責任感の強さを思えば、確かに朝見せた態度は失策だったとサイクは自省した。

 ジルと一緒という奇跡の重みを忘れ、周囲も同じことを当然考えると夢想してしまった。外から見える印象を度外視しては碌なことにならないのは現実うち虚構そとも、現代まえ異世界いまも変わらない。

 なれば、哨戒が終わればやることは一つ。


「責任、か……朝のはちょっと、無責任でしたかね」

「というよか、無神経だな。知らないんだからしゃあねぇが」

「ですかね……だったら、オルレールにも頭を下げないとですかね」

「命を張る仕事の定石だ、謝れる内に謝っとかねぇと後悔することになる。だから、哨戒から帰ったらすぐに謝っとけ」


 先輩からの助言に頷くと、サイクもまた周囲への警戒心を強める。

 通勤時間を過ぎたためか、人波は相応に疎らとなっていた。繰り返される事件の影響か、意識して注視すれば馬車の往来も平時より減少しているように思えたのだ。

 だからなのか、蹄鉄を鳴らす馬の奥に見目の目立つ少女を捉える。

 二つ結びの金髪と風にたなびく赤のコート。全身を覆うインナーに身を包みつつ、右腕と左足は素肌を晒す奇異な格好。痩身にショートパンツ、ロングブーツとどこか快活な印象を受ける。

 閉じられた目蓋が開き、サファイアの如き蒼の眼差しが少年とぶつかる。ような気がした。


「……は?」


 彼女の出で立ちにサイクは見覚えがあった。

 否。レクイエムオブアストレイを一目していれば、皆が知っている。

 並居るキャラを抑えて同作のヒロインを務め、華奢な見た目とは対照的な態度と主人公のあり方に大きく関わる立ち位置から人気も高い人物。

 魔術に精通した天才魔術師、フラン・ホーエンハイム。

 馬車に紛れた少女の容姿は、間違いなく彼の記憶の奥に存在する人物と一致していた。


「……」

「ッ……!」


 思わず視線を逸らすも、冷静になれば現時点に於いて彼女との接点などありはしない。

 連続殺人事件を追い、偶発的に別の多死者と交戦。共に並び立つ多死者と共闘する中でホムンクルスの培養槽を偶然発見する場面から、物語は始まる。

 故に証拠抹消スキルを無効化した上でジルと一緒に自宅を出る場面を目撃でもしなければ、サイクに手を出す理由などないのだ。むしろ無関係の民間人を襲うなど、彼女が最も侮蔑するやり口ですらある。

 だからこそ下手に萎縮することなく、むしろ堂々としていれば気づかれることもない。


「あー、俺はちょっと向こうを探ってくるわ。お前はあっちを頼む」

「は? いや、おいちょっと……!」


 不意に先輩騎士が進行方向を指差すと、静止の声も聞くことなく足早に現場を去ってしまった。

 同時に馬車の流れが止み、反対方向から相応の人波が進んでくる。

 無論、異質なまでに目を引く容姿のフランを含めて。


「あら、王立騎士団の方かしら。ちょうどいい所で会ったわね」

「え、あぁ、はぁ……まだ新人ですけど」


 腰に手を当て、自信に満ちた立ち姿の少女は凛とした響きで声をかけた。真っ直ぐに注がれる蒼の眼差しは強烈で、ともすれば視線を逸らしかねない圧力をも秘めていたが張本人に気づく素振りは皆無。

 奇跡にかけて新入りであることをアピールしてやり過ごそうとするも、当然フランは気にも留めない。


「あら、そうなの。ま、それでも貴方なら私の疑問も解決してくれるだろうから、関係ないでしょう。国の盾にして剣の騎士様?」

「それは、そうですね……で、何の話です?」

「それはね……」


 言い、少女はサイクの耳元にまで顔を近づける。

 爆弾の如き衝撃を囁き、怪しい微笑を口端に浮かべた。


「使い魔を介して王都を見下ろした気分」

「ッ……!」


 思わず声を上げそうになり、寸前の所で喉の奥へと呑み込む。咄嗟に周囲を見回し、サイクは今の発言を第三者に聞かれていないか警戒した。

 少年が行ったのは魔術書に頼った稚拙な行使。

 彼女ほどの魔術師であれば、使い魔に残留した魔力反応から犯人の特定は容易い。

 そして直近での使い魔行使といえば、ジルの捜索。連続殺人事件の犯人を追っていた少女からすれば、渡りに船というもの。


「当然、答えてくれるわよね? 言っとくけど、人払いの魔術程度ならすぐに使えるから時間を稼いでも無駄よ」


 距離を離すと、フランは再び宝石の如き眼差しを注いだ。

 蒼の瞳に宿る薄紫の輝きは魅了チャームの証。おそらくは先輩騎士もまた、魅了にかかったことで彼女の意思を尊重する動きを取ったに違いない。

 故に確信を以って抱ける。下手な誤魔化しなど通用しない、と。


「いいでしょう。ただ、ここではちょっとアレですし、せめてあっちの方で……」

「いいわ。乗ってあげようじゃない」


 指差した先は路地裏。

 陽光届かぬ深淵の入口だが、フランに罠へ臆する恐怖心などあろう訳もなし。むしろ下策など正面から踏み潰してこそ、が彼女の心情。

 故にこそ、より強力な味方カルデッドを抱えている今のサイクならば打つ手がある。

 少女の視線が背中に突き刺さる中、少年は歩みを進めた。腰に携えた剣を掴むような愚は犯さない。功を焦れば、背後を取っている彼女は容易く形勢をひっくり返す。

 故にこそ、二人はより深淵の奥へと進んでいく。

 陽光が遮られ、大通りからでは音も届かぬ奥地へと。


「随分と心配性ね。まだ進むの?」

「俺はアンタと違って臆病でね……才能もなければ、実力だって半端もんさ」

「だったら、当分の間は魔術の行使を止めることね。聖骸を狙った輩が何をしでかすか分かったものじゃない」


 忠告に首肯で応じると、サイクはフランからの疑問に──使い魔から王都を見下ろした感想を答える。


「さっきの質問だけど、観光気分を味わってる場合じゃなかったさ」

「何か探し物でもしてたの」


 当然の質問ではある。

 使い魔を頼る理由など、何択か程度しかない。

 気分転換でなければ、人か物を探しているのが定番。フランからの質問も自然な流れといえた。


「怪しまれても困る。せっかくなので答えましょう」


 大仰に肩を竦めてみせれば、振り返って漆黒の瞳でフランを見据える。


「俺が探してたのは小さな女の子で、笑顔が凄い可愛くて、芸術の才能もあるのかなぁ。

 ……出刃包丁で作った笑顔は、最高に可愛くてさぁ」

「いったい何を……!」


 刹那、少女の背中が総栗立つ。

 深淵に浮かび上がる翡翠の瞳、そして両手に握り締めた赤錆の得物が迫っていたことを肌で感じ取ったから。

 既に躱すことも叶わぬ間合いに少女は目を閉じ、口端を吊り上げた。


「……所詮三流の下策ね」


 フランの呟きを遮る剣戟の音に、サイクは思わず目を見開く。

 彼女の背後には不意を突いたジル、そして両者の間に割り込み杭を振るう人狼が如き偉丈夫が君臨していた。

 二振りの出刃包丁は、同じく両手に持つ杭に遮られて鮮血を撒き散らすことはない。

 いったいどこから姿を見せたのか。更に言えば、どうやって罠だと見切ったのか。咄嗟の反射神経ではなく戦術で不意打ちを破られたことに動揺し、サイクは反応が遅れた。

 顔面へと迫る、鉄拳への反応が。


「まずッ……!」


 生々しい音を立て、少年の肉体が吹き飛ぶ。

 床を蹴り、身を回し、路地裏の突き当たりに衝突して砂煙を巻き上げる。派手な音が反響する中、振り抜いた拳を握り締め、蒼の瞳が下郎を見下ろした。


「立ちなさいよ、殺人鬼。喧嘩の仕方ってのを教えてあげるわ」

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